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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第二章 新たな地
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知らずにいたこと

「もう少し優しく扱ってもらえませんかねえ」


『うるせえ』という言葉と同時に指先で額を弾かれたサリカは、両手で額を押さえながら涙目でユリウスに訴えた。


「調整してやってるんだ。有り難く思え」

「まあ、そうなんですけど………」


 確かに、先程まであった頭の芯がぼんやりとしている感じや、体の怠さは軽減している。おそらく、指先で額を弾いた瞬間にサリカの体内魔素を調整したのだろう。


 ユリウスは優れた『読み手』であり『操り手』だが、体内魔素の調整も非常に上手い。そんなユリウスが『癒し手』ではない理由は単純だ。

 受け手となる患者の扱いが粗雑なのだ。


 弟子として一番世話になっていたサリカは、その能力の素晴らしさと扱いの酷さの両方を良く知っている。

 尊敬する師ではあるが、外見同様に非常に残念な点だ。


「ほら、飲め」

「ありがとうございます」


 差し出されたコップの中には水が入っている。両手で受け取り一口飲むと、程よい冷たさの無味無臭水がスッと体に吸収されていく感じがする。多分、水の中の魔素も調整してあるのだろう。

 その美味しさと心地よさを堪能していると、ユリウスの呆れたような声が聞こえてきた。


「一気にガブガブ飲むなよ。腹壊すぞ」

「そんな事しませんって。あ、それより話の途中でしたよね。すみません」


 サリカの言葉に、ユリウスは眉間に皺を寄せて少し目を伏せた。サリカにとっては見慣れた表情で、ただ考え事をしているだけなのに憂いを帯びたように見える。しかも、どんなに眉間に皺を寄せようと皺の跡が残らない。


(三十年経ったなら、師匠は何歳になるんだ?)


 ぼんやりと年齢不詳のユリウスの顔を眺めていると、溜め息をつきながらユリウスが顔をあげた。


「話さなきゃならん事は山程ある。だが、先にお前の質問に答えようか。その方が早そうだ」

「質問ですか……」


 コップの水をちびちび飲みながら、サリカは首を傾げた。

 知りたい事なら山程ある。ここが何処なのか、何故三十年も眠りこける事になったのか。そして今、みんな元気にしているのだろうか。


 だが、全てはあの時点に繋がっている。


「師匠。あの後、カデウスはどうなったのですか?」

「カデウスなら無くなった」


 天気の話でもするかのように、ユリウスはさらりと言いきった。


「無くなった? 他の国になったのですか?」

「違う。文字通り綺麗さっぱり消失した。人も動物も植物も建物の形跡すらない、ただの荒野になった」

「荒野……」


 サリカの息が一瞬止まった。

 目を見開き己の師を凝視ししながらも、頭に浮かんでくるのはカデウスで出会った人々の顔だった。


 頭の何処かで分かっていたのだ。それは、空に浮かぶ裂け目を見た瞬間から拭い切れずにいた予感のようなものであり、杞憂だと願っていた事だった。


「結局、何の役にも立てなかったのですね……」


 自分でも驚くほど淡々とした声が、口から零れ出る。

 悲しいわけでもなく、悔しいわけでもない。何と表現してよいか分らない重い感覚が、胸の内に渦巻いていた。


 サリカは視線を手で握っているコップの水に向け、音の無い小さな溜め息をついた。


「確かに、荒野となった場所の役には立ってないのかもな」


 衣擦れの音と共に、ユリウスが膝の上に足を乗せるのが見えた。

 顔を上げると、椅子の背もたれにだらりと寄りかかったユリウスが、呆れたような顔でサリカを見ていた。


「だが、お前が穴の広がりを止めたお陰で救われた土地はある。リマペデル大陸全土がカデウスと同じ状態にならずに済んだのは、色々な要因があったからだ。でもな、その中の一つが、お前の行動であることは確かだ。それをお前がどう思うのかは、お前の勝手だがな」


 サリカの頭に、以前ユリウスが言っていた言葉が浮かんできた。


『世界はタペストリーのようなものだ』


 様々な糸で織られ、様々な模様を描き出す。一本の糸で全てが作られているわけではなく、一本の糸が抜けても全てが崩れるわけでもない。


 そもそもカデウスに起きた事を、自分一人の力でどうにかできた思うことが間違いなのだろう。

 世界はそんなに単純ではなく、小さくも弱くもない。そして、その世界に生きる人もまた、同じはずなのだ。


 その時々で自分にできる事を、全力でやっていくしかない。サリカは目の前の師から、そう言われていたはずだ。


 俯いて目を閉じると、一度だけ大きく深呼吸をした。


 これからもカデウスの事で色々思い出すことはあるだろう。だが、それはまた別の話だ。

 見当違いの後悔で自分の目を曇らせないようにしなければならないと、サリカは自分に言い聞かせた。


「すみません。くだらない事を申しました」

「構わんさ。お前が馬鹿なのは、今に始まった事じゃねえからな」


 そう言って鼻で笑う師の姿を見ながら、サリカは苦笑した。

 がさつで口は悪いが、有能で優しい人だ。だが、その優しさを、もう少し前面に押し出していただきたいものである。


「カデウスが無くなったということなら、何故私はこうして生きているんですかねえ?」

「そこなんだがなあ。お前、あの時に何をしたんだ?」

「祠で、ですよね」


 サリカは、その時の事を必死に思い出しながら説明をした。

 その場の勢いと感覚でやった事なので、記憶が曖昧な部分も多々ある。それに、今こうして思い出してみると、あれは夢だったのではないかとすら思えてくる。

 そもそも、生きて活動していた時間より、眠っていた時間の方が長いのだ。


「ああ、成る程な。祠の中で、中身が空っぽの魔石を抱え込んで寝てたからか」

「どういう事ですか?」


 サリカのつたない説明で理解してくれたのは良いが、当事者であるはずのサリカにはさっぱり分らない。

 困ったように眉間に皺を寄せてユリウスを眺めていると、腕を組んだユリウスがサリカの顔をじっと見た。


「聖典にある創世の章は覚えてるか?」

「そりゃ、忘れたくても忘れられませんよ」


 神官見習いになって最初にさせられるのが、創世の章の勉強だ。儀式によっては暗唱させられる箇所もある。五歳から神殿に居るのだ。半分寝ながらでも言える気がする。


「なら言ってみろ。ああ、長いから短くまとめてな」

「え……」


 顔を引きつらせながら、面倒くさいという言葉を必死に飲み込む。意味は分らないが、拒否するという選択肢は無いので仕方ない。


「虚無から現れた最初の神、始源の神アルプロエ。アルプロエは己の中から光の神エクトアと闇の神ディリスを創る。

 二神はそれぞれ己の力が満ちた地を創り、エクタル、ディタルと名付けた。二つの地には小さな神々が誕生し、徐々に大きく広がっていく。

 やがて、大きく広がったエクタルとディタルが交わり、我々が暮らすテッセオという地ができた」


 本来はもっと長いのだが、まとめるとこんな内容だ。


「さすが長年唱えていただけあるな」


 ユリウスが無表情のまま拍手をしてくれたが、ちっとも嬉しくない。


「で、師匠。これが何か?」

「創世記にある通り、エクタルとディタルが交わってテッセオの地が出来たのは事実だ。だが、その二つの世界が広がって生まれたのは、テッセオだけじゃない。テッセオ以外にも無数の世界が生まれ、存在している」

「神殿長が言っていた幾重にも重なる世界とは、それのことですか?」

「そうだ。エクタルの質とディタルの質がそれぞれどの程度含まれるかで、世界が異なってくる。界壁と呼ばれるものが世界と世界を隔ててはいるが、質の異なるものが本来混じり合うことはない」


 コダル上空にあった穴から降っていた霧状のものを思い出しながら、サリカは首を傾げた。


「神殿長は、あの穴は界壁に開いた穴だと言ってました。だとすると、あの穴から出てきたものは」

「この世界の霊素だろうな」

「この世界?」

「ああ、言ってなかったか。ここはテッセオじゃねえ。テネアルと呼ばれる世界だ。テッセオより少しだけエクタル寄りの世界だな」


 サリカはポカンと口を開けた。


 ユリウスの話が理解できない事は、これまでも多々あった。だが、今日ほど頭に疑問符が浮かび続けた事は無かった気がする。

 サラッと聞き流したいところだが、重要な事というのだけは分かる。何より自分に大きく関わっている。


「界壁の穴の先にあった世界が、このテネアルだ。ただし、お前の話を聞くと、穴と繋がっていたのはテネアル以外にもあったんだろうな。そりゃ、なかなか穴が塞がらねえ筈だ」

「な、なんか分からない事だらけなんですけど。師匠、何気に穴のこと詳しくないですか?」

「中央の奴らと一緒に、こっち側から穴塞いでたからな」

「え……」


 あの不気味な穴の向こう側にユリウスが居たという事実に、サリカは絶句した。


「霊素ってのは、テッセオで言う魔素と同じものだと思っていい。ただし、質はかなり違うがな。カデウスが無くなったのは、おそらく強く濃い霊素がカデウスに流れ込んだせいだろう。

 で、お前がそうしていられるのは、空っぽになった魔石に霊素が流れ込んで、祠の結界を起動させたからだろう。ただし、霊素用に組まれた陣じゃねえからなあ。結界内の物を守るために、勝手にテネアルに転移しちまったらしい」

「霊素、転移……」


 ユリウスの話についていこうと必死に頭を働かせるが、正直なところ半分も分かっていない気がする。

 

「まあ、今は分からん事だらけだろうが、そのうち分かるようになる。ここでしっかり勉強しろや」

「え、元の場所、テッセオには帰れないのですか?」

「お前の体が安定してねえから、今は無理だな」

「そうなんですか?」


 サリカは自分の体を見下ろし、頭を傾げた。ベッドの上から動いていないが、体に不調がある感じはあまりしない。


「その首から掛けた身分証あるだろ。神殿から出る時に必ず所持する必要があるのは、それを通して持ち主の生死が分かるようになってるからだ。だから、お前が生きているのは分かってたんだが、何処に居るのか分かるまでに二十年かかっちまった。で、ようやく見つけたら、祠の結界に取り込まれて出すに出せねえ。少しずつ結界を緩めて、外に出すまでに十年かかった」


 ユリウスの言葉に、サリカは目をしばたたかせた。まさか、この三十年ずっと世話を掛け続けてたとは思ってもみなかった。


「そう、だったのですね。お世話をおかけしました」


 サリカはユリウスに向かって深々と頭を下げた。


「まあ、一応俺の弟子だからな」


 ユリウスの顔に、珍しく僅かな笑みが浮かんだように見えた。


「お前はこれからここで学ばなきゃならん事がある。下に行くのはその後だ」

「分かりました」


 下というのはテッセオの事なのだろう。とりあえず、体を回復させつつ勉強をするのが最優先らしい。


「ここは俺の家だが、俺は殆ど居ないから好きに使え。これからの事は明日話すから、お前はもう寝ろ」

「分かりました」


 三十年寝続け、ついさっき起きたばかりらしいのに、横になったらすぐに眠れる気がする。衝撃的な事だらけで混乱しているものの、悩んだところで頭が整理されることはないだろう。


 もう一度眠るべくベッドに座ったまま枕やシーツを整えていると、椅子から立ち上がって扉に向かって歩いていたユリウスが、不意に立ち止まって振り返った。


「ああ、一つ言い忘れていた事があった」

「なんでしょう?」

「お前、大神官になったぞ」

「は?」


 中級神官や上級神官になるには、一応試験のようなものがある。大神官になるために必要な事が何かは知らないが、サリカは試験のようなものを受けた覚えは一切ない。


「大神官になるために必要なのは、テッセオでの自分の役目を自分で思い出して遂行する事と、このテネアルに入れる事だ」

「私、何もしてませんけど……」

「穴の広がりを止めただろ」

「え……」

「大神官就任おめでとう」


 ユリウスはニヤリと笑って、部屋から出ていった。

 サリカ一人となった部屋の中に悲鳴が響いたのは、それからすぐの事だった。




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