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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第一章 神殿生活
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神殿のお客

 お勤めを終えたサリカが両手にバケツをぶら下げて回廊を歩いていると、遠くから楽しそうな話し声が聞こえてきた。


 内殿には、主神である始源の神アルプロエが祀られている。そのような場所に早朝からやってくるのはお勤め中の神官ぐらいだが、お勤め中の者には雑談する余裕などほぼ無い。

 そもそも今日の内殿の回廊担当はサリカであり、回廊以外でお勤めの予定は無かったはずだ。


 その場で足を止めると、若い女性特有の甲高い声音とカツンカツンという複数の足音が、背後から徐々に近付いてきた。


「素敵でしたわね」

「神殿なんて退屈なだけと思ってましたが、あんな素敵な殿方を拝見できるなんて」

「社交界にいらっしゃる殿方とは、また違った雰囲気の方々ですものね」


 内殿は音が反響するように造られているため、内緒話をするには最も不向きな場所である。一応声を潜めているようだが、会話の内容は筒抜けだ。何なら、興奮気味の息遣いまで丸聞こえである。


(まったく、朝っぱらからよくやるねえ)


 厳かな内殿にはおよそ似つかわしくない内容の会話に、サリカは思わずため息を漏らした。


 神殿の裏手には、神殿騎士達の鍛錬場がある。嵐でもないかぎり、毎朝鍛錬をするのが騎士達の日課だ。話の内容を聞く限り、おそらく声の主達は、鍛錬場にいる神殿騎士を覗き見してきたのだろう。


 気が付かなかった事にして立ち去りたいが、立ち止まってしまった以上、無視するわけにもいかない。サリカはバケツを床に置いて向き直ると、片手を胸に当てて軽く頭を下げた。


 姿勢は変えず視線だけをちらりと向けると、回廊の中央を歩いてくる三人の若い女性の姿が視界に入った。漆黒の長衣に白い帯を締め、服の裾には白糸で豪華な刺繍が施されている。


 神殿内では、立場や位によって服の色が決められている。大神官は白色、神官は青色、見習い神官は紺色、そして神殿外部の者は黒色である。


 服の色が異なるのは、神官が自分の立場を自覚し、それに見合う行動をすべしという意味合いが強い。同時に、ひと目で相手の立場が分かるので、不要ないざこざを起こさないで済むという利点もある。


 声が聞こえた時点で予想はしていたが、自分の目で姿を確認して、サリカは舌打ちしそうになった。


(やっぱり『お客』か。面倒な事にならなきゃいいけど)


 各国に必ず一つはある大神殿には、貴族の子女がやってくることがある。彼らが神殿内で暮らす期間は、長くても半年程度。神官達とは、生活する場も行う事も異なる。彼らに課せられるのは、神学の勉強と一部の神事や祭事の参加程度で、行儀見習いに近い。

 そんな彼らの事を、神殿内部の者は『お客』と呼ぶ。


 神殿に来る理由は様々なようだが、神殿で神にお仕えした者は神々より多くの祝福を賜ってるとされ、貴族社会では結婚する際に有利になるらしい。彼らと直接関わるのは元貴族の神官達であり、庶民のサリカには詳しい事情は分からないし、事情を知ったところで理解できないだろう。


 ちなみに、サリカが今着ている服は灰色だ。これはお勤めの際に着る作業着のようなものである。灰色が白と黒を混ぜた色であることから、お勤めに関しては大神官だろうと神殿外部の者だろうと関係ない、という意味合いがある。


 汚れが目立たないのに加え、動きやすいように作られているので意外と着心地が良い。そのため、神殿内では神事や祭事などを除き、普段は灰色の服を身に着けている者が結構多い。当然、サリカもそのうちの一人である。 


 三人は、黙礼を続けるサリカに見向きもせず、歩きながら楽しげに会話を続けている。立ち止まることも、礼を返すこともない。彼女たちの態度は、王侯貴族の使用人に対する態度と同じで、サリカの存在そのものを認識していないかの様だった。


 だが、ここは神殿。階級に違いがあろうと、互いに礼を尽くすのが当然とされる場だ。


「そういえば先程のあの庭師、不敬でしたわね」

「使用人のくせに、大きな声で私達に意見するなんて。あんな態度、我が家なら許されません」

「本当に、何様のつもりなのかしら」


 急に話題を変えたところを見ると、一応サリカの存在は認識していたらしい。微動だにせず、目の前を通り過ぎる三人の会話を黙って聞いてはいたが、内心では呆れ返っていた。


(その庭師のじいさん、誰だと思ってんだろうねえ)


 神殿内の植物をいそいそ世話する神殿長の姿は、セリウォル大神殿では日常の光景である。神殿長とは、言わずと知れた大神殿での最高位。当然、世界に数える程しかいない大神官でもある。

 土にまみれて植物と語らう不思議な好々爺だが、神殿から出れば王族と同等以上の扱いをされる立場にある。

 

 鍛錬中の神殿騎士を覗き見して神殿長に注意されたのなら、問題となるのは間違いなく彼女達だ。


 また、内殿の回廊は誰もが端を歩かねばならない。中央は神々が通る場所とされているからだ。もちろん、用もないのに内殿に入ることも禁じられている。


 何様のつもりだと肩を掴んで問い質したいのは、正直こちらの方である。 


(最近は、こんなお客ばかりだなあ)


 神殿内の決まり事は、神殿に来た初日に担当の神官から説明されることになっている。彼女達もしつこいくらいに説明されているはずなのだが、おそらくまともに話を聞いていなかったのだろう。


 これが世の流れなのか、国ごとに変わるのか、人によって違うのか、サリカには断言できるだけの情報はない。だが、数年前に来たお客の中には、神殿にいる全ての者に敬意を持って接していた人がいた。伝え聞くところによると、彼女はその後、どこかの国の王太子妃になったらしいので、できれば個人的な問題であってほしい。


 三人が通り過ぎるのを横目で確認してから頭を上げる。ここで八つ当たりのように難癖をつけられると、その後が面倒だ。

 そんなサリカの耳に、聞き慣れた名前が飛び込んできた。


「やはり噂通り、カイ様が一番素敵でしたわね」

「私もそう思います。貴族の出でいらっしゃるから、立ち振舞全てが洗練されてますし」

「新雪の輝きのような銀の髪に、真夏の澄み渡った青空のような瞳。本当にお美しいこと」

「真剣なお顔もとても凛々しいですが、甘い笑顔も拝見できたら良かったのに………」


 サリカは慌てて口を押さえ、吹き出しそうになるのを必死に堪えた。貴族的な賛辞なのかもしれないが、冬ぽいのか夏ぽいのか、どちらかにしてほしい。


(どうせなら、春と秋も加えてもらって『四季の君』とでも呼んでもらえばいいのにねえ。そうすりゃ、あの不機嫌そうな顔も、表情豊かになるんじゃないか?)


 よく見知った神殿騎士が『四季の君』などと呼ばれ、その端正な顔に心底嫌そうな表情を浮かべる様子が容易に想像できる。

 吹き出して大笑いする前に、お客達には内殿から立ち去ってもらいたい。だが、切なる願いは届かず、優雅にゆっくりと歩く彼女達は、なかなか先に進んでくれない。歩き方だけなら淑女に見える。


 もう限界だと思った時、今度は嫌というほど耳にしている名前が聞こえ、サリカは軽くむせてしまった。


「カイ様は、大神官候補とされる上級神官様の護衛騎士でいらしたわよね。お名前は確か………」

「イリア様です。カイ様のお姿を公の場で拝見できるのは、イリア様の護衛をなさってる時ぐらいだそうです。ですから先程は、まるで夢を見ているかのような気分でした」

「そのイリア様という方、どんな方なのかしら」

「良くは存じ上げませんが、なんでも艷やかな長い黒髪に紅紫色の瞳の、とても嫋やかな女性という噂です」

「でも、上級神官ということは結構なお年でしょ? 若さも美しさも私達には敵わないのではなくて?」

「確かに」


 嬉しそうに笑い合いあう三人が内殿から出ていくのを見届けてから、サリカは床にドカッと座り込んだ。ほんの数分の出来事なのに、異様に疲れた気がする。


 神殿では、見習い神官から神官になる際に神官名が与えられる。それ以降、対外的な場で名乗る時には、この神官名を使う。サリカの神官名は『イリア』。先程彼女達が話題にしていた人物、当の本人である。


 特徴とされた長い髪は、お勤めの邪魔にならないよう編み込んできっちりまとめているが、そもそも神官は男女問わず髪が長いし、黒髪の者など山程いる。


 少々珍しい紅紫色の目は、頭を下げていたため分からなかっただろうが、見えたとしても気にも止めないだろう。彼女達からすれば、嫋やかな上級神官とやらが、両手にバケツをぶら下げて歩いていることなどあり得ないからだ。


 サリカがこの大神殿に来てから、二十年以上経つ。貴族社会のみならず、庶民の中でも行き遅れと言われるような年齢になった自覚もある。

 神官として働くことは好きだし、人から何を言われても自分の年齢を気にすることなどほとんど無い。とはいえ、他者の事情に絡めてああだこうだ言われるのは、いささか不快だ。


(まったく、いいとばっちりだよ)


 回廊の真ん中に残された赤黒い足跡を眺めながら、サリカは再び大きなため息をついた。 



 

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