目覚め
子供の泣き声が聞こえてくる。
泣くのを必死にこらえているのに、噛み締めた口の隙間から声が漏れ出ている感じだ。時々何か言ってるものの、声が小さ過ぎて言葉が聞き取れない。
幼い神官見習いなら、必ず世話係がついているはずだ。世話係から隠れて一人で泣いているか、他の子供にいじめられているのか。どちらにしても、担当の神官に伝えねばなるまい。
「どっかで子供が泣いてるんだけど、世話係は誰なの?」
そう大声で叫んだ瞬間、サリカの額に衝撃が走った。
「痛っ!」
サリカは飛び起きると、ジンジンする額を両手で押さえた。ぎゅっとつむった目に涙が滲む。
「うるせーな、寝言で叫ぶな」
頭上から、不機嫌そうな声が降ってきた。
聞き覚えのある懐かしい声なのだが、誰の声だか全く思い出せない。何より、今の自分の状況が分らない。
子供は何処に行ったのだ。
周囲を確認しようと目を開けてみるが、視界が霞んでいて何も見えなかった。
(どういうこと?)
掌で目を擦りながら何度か瞬きを繰り返していくうちに、徐々に見えるようになってはきたが、分かった事は自分がベッドの上で座っているという事だけだ。
どうやら今まで寝ていたらしい。
「やっと目が覚めたか」
再び降ってきた声に、サリカは自分以外に人が居た事を思い出した。機嫌の悪さが滲み出ていているが、中々の美声である。
サリカは額に当てていた両手を下ろし、声が聞こえて来るベッドの左側を見ると、生成りのシャツを着た細身の男性が腕組みして立っていた。男性の背後に窓が在るため、そこから差し込む光が逆光となって少々眩しい。
目を細めて視線を上げ、相手の顔が視界に入った瞬間、サリカはポカンと口を開けた。
褐色の肌の左右対称の整った顔が、サリカをじっと見下ろしていた。ゆるく編んで胸の前に垂らした長い金色の髪は、窓から差し込む光を受けて後光のように輝いている。
「あ、師匠」
新緑のようだと称される緑の瞳の上にある、真っ直ぐな形のよい眉が寄せられた。
サリカが十歳の時に弟子となった、大神官のユリウスだった。
七年ぶりに顔を合わせたが、相変わらず無駄に輝いていて目が痛い。どうせなら、目が霞んだまま顔を見たかった。
「『あ、師匠』じゃねーよ。久しぶりに会った師への挨拶がそれか? ああ?」
相変わらず見てくれは良いのに、口から出る言葉は街のごろつきと変わらない。なのに、大神殿にやって来る人達は、有り難そうにユリウスに向かって手を合わせるのだ。お年寄りなど、姿を見ただけで涙を流す。
神殿に居ることが稀なので、姿を見られたら幸運が舞い込むとされる珍獣と同じなんだろうと、サリカは密かに思っている。
「す、すみません。お久しぶりです、師匠。お元気でしたか?」
「ああ、不詳の弟子が俺に面倒かけなきゃな」
「それなら元気ですね!」
七年会っていないのだ。当然面倒をかけた覚えはない。それに、神殿長が幾度もユリウスに振るはずのお役目をサリカにやらせた事を考えると、面倒をかけられたのは自分のほうではないかと思う。
だが、サリカの言葉に、ユリウスの眉間のシワが更に深くなった。整った顔だけに、不機嫌だと凄みが増す。
「いや、ずっと会ってませんし。それより、今まで何処に行ってたんですか? 心配してたんですよ、一応。まあ、無事だろうなあとは思ってましたけど。師匠、です、から……」
息が切れて、サリカは途中で話すのを止めた。なんだか目眩もしてきた。俯いて目を閉じていると、ユリウスの溜め息が聞こえてきた。
「寝起きで喋り続けるからだ、馬鹿が。なんでお前は日頃ボーっとしてるのに、俺と居る時は馬鹿みたいに喋り続けるんだよ」
「すみません。つい……」
「飲む物持ってくるから、そのまま休んでろ」
「はい」
ユリウスが部屋から出ていく音と聞きながら、サリカは溜め息をついた。黙って目を閉じていると、目眩も息切れも落ち着いてきたのが分かる。
(子供か、私は)
数年ぶりの再開に、些か興奮していたようだ。寝起きで驚いたせいもあるが、自分の子供じみた反応を思い出すと、かなり恥ずかしい。
また、ユリウスに指摘された自身の行動も、自覚はしているものの、こうして改めて指摘されるといたたまれない気持ちになる。
サリカがユリウスの弟子になったのは十歳の時だが、まだ親と暮らしていた五歳のサリカを神殿から迎えにきたのもユリウスだった。
弟子になる前から関わる事が多く、教団内で一番付き合いが長いのがユリウスになる。そのため、サリカにとっては師匠であると同時に、兄のような存在なのだ。
気分を切り替えるため、サリカは一度大きく深呼吸してから、部屋の中をぐるりと見回した。
木目が綺麗な滑らかな木壁の部屋の中には、小さな机と椅子に、サリカの寝ていたベッドがあるだけだ。非常に簡素な部屋だが、居心地は良い。
漂ってくる微かな良い香りは、ベッドの横に生けられた花からだった。
神殿は白を基調とするため、ここが神殿の一室ではないことは確実だろう。だが、宿屋だとしたら静か過ぎるし、誰かの家だとしたら生活感がなさ過ぎる。
ベッドから窓を見ても、外に木が生えている事しか分らない。外を見たい気持ちもあるが、動き回ると戻ってきたユリウスに激怒される。
とりあえずベッドの上で大人しく座ってることにし、乱れているであろう髪を編み直そうと自分の髪に触れたサリカは、強烈な違和感にその手を止めた。
(何これ?)
手に触れた髪は、真っ白だった。引っ張って確認してみるが、自分の頭から生えている髪である事は間違いない。
白髪が混じってきたというものではなく、髪全てが白髪になっている。
「えーーーーーー!」
サリカが叫んだ瞬間、部屋の扉が開いた。
「うるせえ、叫ぶな。また息が切れるぞ」
そう言って部屋に入ってきたユリウスは、眉間にシワをよせたまま、ポットとコップの載せた盆を机に置いた。
「私、白髪になってるんですけど!」
「そうみたいだな。見りゃ分かる」
「そりゃそうでしょうけど、どういう事なんですか? 師匠、私に老ける呪いでもかけました?」
「そんな訳ねーだろ。それに呪いなんぞかけなくとも、お前、もういい年だろうが」
「師匠、酷い!」
面倒くさそうな表情でベッドの隣に立つユリウスの顔を改めて見たサリカは、驚きに目を見開いた。
「師匠……なんか最後に見た時より、若くなってるように見えるんですけど」
「そうか? 自分の面を眺める趣味なんてねーから分からんな。それに白髪っていうなら、カイの坊主だって白髪だったろ」
「あれは、銀髪っていうんです」
「大して変わらんだろうが。それより、これでも飲んでちょっと落ち着け」
サリカは大きな溜め息をついた。確かにユリウスなら、金髪だろうと白髪だろうとハゲだろうと美しいに違いない。自分の平凡な見た目を卑下した事はないが、さすがにこの状況は驚く。
だが、これ以上に話したところで理解されそうにないので、サリカはユリウスが差し出してきたコップを受け取った。
一口飲むと、口一杯に優しい甘さが広がった。冷えているので、甘くても飲みやすい。
「これペシムですよね」
「そうだ」
ペシムは滋養強壮があるとされる果物で、子供に好まれる果物の一つだ。
サリカも子供の頃、体調を崩した時に食べさせてもらった記憶がある。あっという間に皮を剥いていくユリウスの手元を、不思議な気持ちでじっと見ていたものだ。
気付いていなかったが、かなり喉が乾いていたらしい。もう一口と思っていたのに、そのまま一気に飲み干してしまった。
「美味しかった。ご馳走様でした」
「まだいるか?」
「いえ、大丈夫です」
サリカの手のからコップを受け取ってテーブルの上に置いたユリウスは、ベッドの脇までガタガタと椅子を引き寄せると、その上に座った。
カイほどではないが、ユリウスもそれなりに身長が高い。だが、座るとサリカと大差無いほど小さくなる。
子供の頃、座った時に前に突き出した長い足がバッタのようだと言って、ユリウスに頭を鷲掴みにされた事がある。
「ここで目が覚める前の事は覚えてるか?」
真剣な表情で問いかけるユリウスの顔をみながら、サリカは首を傾げた。真剣なのは分かるが、無表情なので何を考えているかは全く分らない。まあ、無表情でいることが多い人なので、いつもと変わらないとも言えるが。
「一応覚えてると思いますけど」
「どんな内容だ?」
「簡単に説明するとですね……。師匠の代わりにお役目を果たしにカデウスに行って、目的地のコダルに到着する直前に空に穴が開いてるのが見えて、コダル近くの祠で何かできないかなあと思って、魔石の魔力で穴を塞ごうと色々やったら自分の魔力も尽きて、祠の中でそのまま寝たって感じですねえ」
結構大変だった気がするのだが、こうやって話してみると大した事ではなかった気がして何だか悲しい。
「いつだか覚えてるか?」
「確か出発したのが、エクト暦三八九二年、十月の七日だったから、祠で寝たのは十一日ですかねえ」
「そうか。覚えているなら話が早い」
「どういう事ですか?」
質問の意図がわからず首を傾げるサリカに、ユリアスが溜め息混じりに告げた。
「今は、エクト暦三九ニ二年、七月の十九日だ」
「は?」
聞き間違いかと思い、サリカは耳に手を当ててユリウスの方へと身を乗り出した。
ちょっと意味が分らない。いや、分かりたくないと頭が拒否している気もする。
「三九ニ二年だよ。お前は三十年間寝てたんだ」
サリカはユリウスの顔を見ながら瞬きを繰り返すと、口を開けた。
「嘘でしょーーーーーー!」
静かな部屋にサリカの声が響き渡った。




