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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第一章 神殿生活
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願い

「行くのか?」


 シノフィスの街に入ってすぐ、カイは後ろから自分を呼び止める声に足を止めた。振り返ると、ここ数ヶ月の間にすっかり顔馴染みになったタイナが立っている。


「はい」

「なら、少し寄っていけ」


 返事を待たずに踵を返し、国境検問所へと歩いていくタイナの後ろ姿を見ながら、カイは溜め息をついた。


 自由に動ける時間は限られているため、少しでも時間を無駄にしたくない。だが、そんな逸る気持ちなど、全てお見通しのはずのタイナが呼び止めたのだ。どんな用事か知らないが、着いて行く以外に選択肢はないだろう。


 カイは騎獣の手綱を引きながら、既に姿が見えなくなったタイナの後を追いかけた。




 先日、カデウスという国がこの世界から無くなった。原因となった災禍から、三ヶ月後のことである。

 近隣諸国が協議した結果だが、その決定に異議を唱える国は皆無だったらしい。それほどに、カデウスの国土は壊滅的な状況だった。

 今後も調査は続けられるという話だが、人が暮らせるようになるには、最低でも百年は必要だと言われている。


 その決定を受け、無事だった街や村はパモスとクラネオスに併合されることになり、シノフィスはパモス王国の一部となった。内陸部については、その都度パモスとクラネオスで相談しながら対処するらしい。


 カイはタイナの後に続き、多くの人で溢れかえった検問所の一階を抜け、二階にある所長室へと向かった。

 皆自分の事に忙しく、人々の合間を縫って進むカイ達を気にする者はいない。


 災禍直後は、悲嘆や恐怖の表情を浮かべた人々が混乱状態で検問所に押し寄せていたが、今は違う。それは人々の努力の結果であり、非常に喜ばしい事なのだが、何故かカイの目には芝居の一場面のように映っていた。


「そこに座ってお茶でも飲んでいけ。ひどい顔してるぞ」


 執務室に入ったタイナは、部屋の入口に佇むカイに声をかけると部屋の隅に歩いていく。なんと答えたら良いか分からぬままソファーに腰掛け、ぼんやりとタイナの様子を眺めていると、お湯を注ぐ音と共に甘い香りが漂ってきた。


(そういえば、この人お茶を入れるのが趣味って言ってたな)


 五年前にカデウスに訪れた際、サリカがそう話していたのを思い出す。その時もお茶を振る舞ってもらったが、このような香りはしてなかったように思う。


 タイナは慣れた手つきでカイの前にお茶を置くと、カイの正面に座った。


「口に合うかは分からんが、それは嬢ちゃんが好きなお茶だ」

「いただきます」


 女性が好みそうな甘い香りを嗅ぎながら一口飲むと、意外にも味はすっきりとして飲みやすい。カイの好みとは異なるが、これはこれで美味しかった。


「美味しいですね」


 カイの言葉に、タイナの目元が僅かに和らいだ。


「子供は苦いお茶は飲めないだろ。そんな子供でも飲めるように入れてるんだよ」

「ということは、あの人の味覚は、子供のまま成長してないという事でしょうか」

「そうかもな」


 カイの言葉に腹を立てるサリカの姿が頭に浮かび、自然と顔に笑みが浮かんだ。あの日以来、こんな穏やかな気持ちになった事はなかった気がする。


「嬢ちゃんを探しに行くんだろ?」

「はい」


 カイはカップの中で揺れる琥珀色の液体を見つめたまま、そう答えた。


 災禍当日、カイは王都から騎獣で約二日ほどの所にある実家にいた。表向きは子爵である父親の誕生祝いだったが、一番の目的は、母親から幾度となく送りつけられる縁談話にけりをつけるためだった。


 それが済んだら、早々に大神殿に戻るつもりだったのだ。

 まさかその間に、サリカが護衛である自分を残し、お役目のためにカデウスに赴くなど思いもしなかった。更に、そのままサリカが行方不明になるなど、カイにとっては悪夢のような事態だった。


「三眼馬の話は聞いたか?」

「はい、神殿長から伺いました。それを受け、私がイリア様を捜索しに行くことになりました。表向きは、クラネオスの大神殿へ書簡を届け、旧カデウスの様子をクラネオス側からも確認してくるという事になっていますが」


 一週間ほど前、シノフィスの獣車屋の元に、一頭の三眼馬が戻ってきたという。サリカに貸し出した三眼馬で、馬具にはサリカから店主に宛てた手紙と金貨一枚が入った袋が括り付けてあったらしい。

 獣車屋の店主は王都の大神殿まで出向き、神殿長に手紙を見せた上で金貨を返したが、神殿長はその金貨を受け取った後に、金貨三枚をお礼として店主に渡したという話だ。


 サリカがカデウスに行っていた事は、教団内でも極一部の者しか知らない。おそらく、店主に渡した金貨には口止め料も含まれていたのだろう。


「そうか。予定はどのくらいなんだ?」

「長くても二ヶ月と言われています。二ヶ月経ったら必ず戻るようにと厳命されました」


 災禍直前、サリカがコダル近くに居た事は、神殿長から聞いている。

 コダルに行くためには、一度クラネオスに入ってから北上し、災禍を逃れたもう一つの国境の街オリフィスから向かうことになる。遠回りではあるが、旧カデウス国内の状況を考えると、それが一番安全で確実なのだ。


「まあ、期限を設けないと、嬢ちゃんを見つけるまで帰ってこなさそうだもんなあ」


 図星であったため、カイは苦笑いするしかなかった。今回のお役目も、神殿騎士を辞めてでも探しにいくと言い張るカイを、神殿長が慮ってくれたからだろう。


「できれば俺も一緒に探しに行きたいところなんだが、さっき見たように今慌ただしくてな」

「いえ、これは護衛である私の役目ですから。お気持ちだけありがたく頂戴いたします」


 これまで、カデウスを経由せずパモスとクラネオスを行き来するには海路しかなかったが、今回の事態で陸路ができた。これまでのやり方を変えて行く必要もあるだろうし、色々と大変なのだろう。

 加えて、来月には国境検問所も移転されるらしい。所長がこの場を離れる訳にいかないのは、誰にでも分かることだ。


「そういえば、私がシノフィスに来たことがよく分かりましたね」


 忙しいはずのタイナが、カイの到着を見越したように現れたことを、最初から疑問に思っていたのだ。偶然というにはタイミングが良すぎるし、検問所から人の往来を眺めていられる時間など、この人にはない。


「三日前に、ラフェルが来たんだよ」


 タイナの答えに、カイは目をしばたたかせた。


「まさか、そのラフェルとは、ラフェル大神官のことでしょうか?」

「そうだ」


 カイは天井を仰ぎ、大きなため息をついた。


 ラフェルとは、サリカの師匠であるユリウスの神官名だ。ちなみに、カイに護衛としての技術を叩き込んだ人物の一人で、カイにとっても師匠のような存在といえる。


 ユリウスは護衛を付けずに一人で動き回っているため、動向が全く掴めない。それを許されているのは、彼自身が化け物のように強いからだ。

 一応神殿長とは連絡を取り合っているようだが、弟子のサリカとも七年会ってないはずだ。


「ラフェルがな、お前さんが今日の昼頃にシノフィス来るって言ってたんだよ」

「なるほど、そういうことでしたか。あの人、他に何か言ってましたか?」

「『後悔しないよう、好きにやれ』だとさ」

「そう、ですか……」


 カイは、再び大きな溜め息をついた。

 これまでも後悔しないよう、自分の思うように動き、生きてきたつもりだ。だが、今も胸の奥に重く居座り続ける後悔の念は、一体何なのだろう。


「クラネオスに出発する前に、獣車屋に寄っていけ。俺から紹介されたと言えば、店主が色々便宜を図ってくれるはずだ」

「いえ、そこまでしていただく訳には」

「奴も嬢ちゃんの祈祷に助けられてるんだよ。だから気にするな」

「分かりました」


 以前聞いた話だと、タイナの家族や親族が絶妙なタイミングで災禍から逃れたらしい。ただの偶然かもしれないが、タイナはサリカの祈祷のお陰だと信じているようだった。おそらく同様の事が、獣車屋の店主にもあったのだろう。


 サリカは神官として高い能力を持つ。それを周囲の者はよく知っているが、当の本人だけが無自覚だった。

 無自覚に行動し、それでも関わった人々に何らかの影響を与えているのがサリカらしい。そして、その人々の中に、確実に自分も居るのだ。


「今度は大人向けの入れ方をするから、それを飲んでから出発しろ」

「ありがとうございます」


 ソファーから立ち上がったタイナに、カイは深く頭を下げた。




 ********




 シノフィスの獣車屋で再度装備を整えると、カイはクラネオスに向けて騎獣を駆った。


 パモスとクラネオスを繋ぐ街道は、街道とは名ばかりの荒野の中の砂利道だ。それでも災禍から一ヶ月も経たないうちに通行できるようにしたのだ。両国の必死の努力が窺える。


 カイは街道から少し外れた場所に騎獣を止めると、かつて存在していたカデウス王国の方向へと目を向けた。

 一面に荒野が広がり、所々で砂煙が上がっているのが見える。数ヶ月まで、多くの人が暮らしていたとは思えない景色だった。


 カイの母親は、カデウスの伯爵家の末娘だった。

 パモスを訪れた際、亡くなった妻との間に二人の息子がいたカイの父親に一目惚れし、強引に後妻となったらしい。

 だが母親は、カイを出産して間もなく身勝手な理由で父親と離婚し、カデウスの実家に戻った。そのため、カイには母親に関する記憶は殆どない。


 母親が居ない生活が当たり前で、それを淋しいと思った事はない。それより、カイを口実に子爵家の事情にまで口を出してくる母親とその親族の存在が、疎ましくて仕方なかった。


 カイが神殿騎士となったのは、それが理由だ。


 神官もしくは神殿騎士になれば、家族との縁を切ることになるため、母親達が干渉してくることはなくなる。それに兄たちがいれば、子爵家は何の問題ないことも分かっていた。

 神殿に行くと自ら決めた七歳の時、父親から『お前は聡すぎる』と溜め息混じりに言われたが、それが自分なのだから仕方ない。

 

 神殿での生活は楽しい事ばかりでは無かったが、家族に変な気を使いながら生きるよりは遥かに楽だった。

 そんな生活も、母親が送りつけてくるようになった縁談話で一変した。神殿長に激怒されて大神殿から追い出された貴族の娘達も、カイの母親が一枚噛んでいたらしい。

 

 だが、厄介な母親と母方の親族も、カデウス王国と共に消えていった。父親と腹違いの二人の兄とは、それなりの関係を保ってはいるが、それだけだ。


 カイの居場所は七歳の頃から神殿の中であり、守りたいと願うものも、神殿の中にある。


 カイがサリカと初めて出会ったのは、神殿の中庭だ。

 騎士見習いになったはいいが、鍛錬について行けない悔しさで、傷だらけのまま人の居ない中庭の隅で蹲っていた時、いつの間にかサリカが隣に座っていた。

 そして、お勤めで作った飴が何故か美味しくならないと嘆きながら、サリカは飴をカイに手渡してきた。


『食べ切れないから食べるの手伝ってくれる? 美味しくはないけど、ちゃんと効果はあるから』


 本人の申告通り、口に入れた飴は苦みがあって、お世辞にも美味しいとは言えないものだった。だが、その時のカイには、この少々苦みがある飴の方が好ましく思えた。


 神殿長からは、一緒にカデウスに行かなくて良かったのだと言われた。あの状況下では、自分より他者を優先する傾向にあるサリカにとって、一人でいたほうが動きやすかったはずだと。


 庇われる立場から、庇う立場になるために護衛騎士となったのに、未だその願いは果たせていない。

 

(再び黒い服が着られるのは、いつなんだろう)


 護衛騎士としてではなく神殿騎士としてクラネオスに向かっているので、今身につけているのは白の騎士服だ。

 不意に、護衛騎士となって、初めて顔を合わせた時のサリカの言葉を思い出した。


『白の騎士服も似合うけど、黒の騎士服を着てる方がかっこいいねえ』


 カイは大きく息を吐いて視線を街道へと戻すと、クラネオスに向けて出発した。


 

 

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