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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第一章 神殿生活
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『なんだと!』


 サリカは、神殿長の焦ったような大声を聞きながら、目の前の光景を眺めていた。いつも穏やかな神殿長でも大声をだすのだなあと、どうでもいい感想が頭に浮かんでくる。


 街の上空に浮かんでいる裂け目は、二倍近く大きくなっていた。一つの細長い裂け目から放射状入っていたひび割れが広がり、今は歪な形の大きな穴となっている。


 白と黒とに切り替わる穴の中からは、白と黒の霧のようなものが混ざり合いながら、ゆらゆらと螺旋を描きながら地上へと降り注いでいる。


 茶色の山に囲まれたコダルの街は、降り注ぐ霧によって霞んでよく見えない。眺めていると、雲一つない青空を背景にした周囲の山々の方が、非現実なものに見えてくる。


 異様なのに、どこか美しさを感じる光景だった。魅入られたかのように、そこから視線を逸らすことができない。


(あれは何なんだ……)


 昨日とは異なり、感覚を切り替えていないのに見えている。

 肉眼で捉えられるものなら、今頃コダルの街では大騒ぎになっているだろう。だが、この場所からは遠すぎて、街の様子は分からない。

 それでも何かしら感じ取れるものがあるかもしれないと、サリカが目を凝らしてコダルを見ていると、突如右掌に熱と痛みを感じた。


「熱っ!」


 何度も強く右手を振り払うが、熱い何かは掌にひっついたまま離れない。


『この馬鹿者! ちゃんと話をきけ!』


 怒鳴り声は、右掌に乗っている半透明の小さな神殿長からだった。


 目の前の光景に気を取られて、念話中だったのをすっかり忘れていた。そういえば、先程から何か言われていた気がするが、全く聞いていなかった。


「も、申し訳ありません」


 慌てて返事をしながら手を見ると、掌の真ん中がわずかに赤くなっている。おそらくサリカの意識を向けるために、神殿長が念話に使っている魔力で何かしたのだろう。


 緊急時だとしても、もう少し優しい方法は思いつかなかったのだろうか。しかも、どんなに振り払っても掌にくっついている姿は、実物ではないと分かっていても、かなり不気味である。


『いいか、もう一度話すぞ。今度ぼーっとしていたら、掌に穴を開けるからな』

「は、はい」


 やはりこちらの様子が見えてるのではないかと、サリカは意味もなく周りをキョロキョロと見回した。

 あの穏やかな神殿長は、一体何処に行ったのだろう。今まで聞いたことのない口調と脅し文句に、別人ではないかとすら思う。


(そういや、この人師匠の師匠だったよ……)


 全ての辻褄が合って、サリカはがっくりと両肩を落とした。神殿長をクソジジイ呼ばわりしていた師匠の気持ちが、今ほんの少しだけ分かった気がする。


『予想以上に進みが早い。お前は早急にそこから離れろ。その場所ならクラネオスの方が近い。とっとと国境を越えて、クラネオスに入れ。必要なら、祠の魔力を全て使っても構わん』

「ですが……」


 矢継ぎ早の言葉に、神殿長の心情が伺える。おそらくサリカが感じている以上に、まずい状況なのだろう。


(だとしたら、コダルはどうなるんだ……)


 かつて訪れたコダルの街の光景が、頭の中に次々と浮かんでくる。


『サリカよく聞け。残念ながら今のお前に出来る事はない。パモスに居る私にもだ。互いに、今の自分に可能なことをやるしかない』


 確かに神殿長の言うとおりだ。今コダルへ向かったとしても何も出来ないどころか、街に辿り着くことすらできないだろう。だが、クラネオスに行くだけの猶予があるのだろうか。


『くそっ、そろそろ限界か。サリカ、分かったな!』

「……承知しました。最善を尽くします」


 徐々に薄くなっていた神殿長の姿が、怒声と共に完全に消えた。同時に、先程まであった皮膚の赤みも無くなっている。

 サリカは大きな溜息をつき、視線をコダルへと戻した。


 降り注ぐ霧の量が先程より増えている。この様子だと、今からクラネオスに向かっても、国境に到着する前に事が起こる気がする。


(さて、どうするかねえ)


 腕を組んで首を傾げるサリカの背中が、トンと軽く押された。振り返るといつの間にか三眼馬が後ろに立っている。


「お前は本当に頭がいいねえ」


 神殿長との会話を聞いていたのかもしれないし、魔獣としての鋭い感覚で、この場に漂う不穏な何かを感じ取っているのかもしれない。だが、この三眼馬なら、どちらもありそうな気がする。

 琥珀色の体を撫でていると、寒さと緊張で強張った体から力が抜け、自然と頬も緩んでくるのが分かる。


 三眼馬に乗ってクラネオスに行くことも考えたが、サリカはその考えをすぐに却下した。

 この賢く優しい魔獣は、背中に乗るサリカを気遣い全速力は出さないだろう。それではおそらく間に合わない。


 だが、三眼馬だけなら何とかなるかもしれない。


「ちょっと待ってて」


 サリカはその場に座り込むと、急いで鞄から紙とペンを出し、獣車屋の店主に手紙を書き始めた。書き終えた手紙は金貨一枚と一緒に小さな巾着袋に入れ、その口をしっかりと縛る。


 金貨一枚あれば、庶民なら三ヶ月は余裕で生活できる。

 獣車屋の主人が趣味で作った獣車らしいが、あの設備を考えたら、金貨一枚では到底足りないだろう。だが、手持ちがそれしかないので、残りは神殿長に丸投げすることに決めた。


「私はここでやることがあるんだ。だから、これをお前の主に届けてほしい」


 そう言って、三眼馬の馬具に袋を落ちないように結びつけ、魔力回復の飴を三つほど食べさせる。


「頼んだよ。だけど、お前の安全が最優先だがらね」


 じっと見つめる三眼馬を撫でながら、サリカは苦笑した。額にある緑色の魔石が、日の光を受け煌めいている。


 サリカは鞄の中から赤紫色のリボンを取り出すと、三眼馬の鬣の一部に編み込んでいった。途中立ち寄った街で自分用に購入したもので、ソニヤへは彼女の瞳と同じ黄緑色のリボンを購入していた。


 出来上がった姿は、中々可愛らしい。牡馬ではあるが、特に問題ないだろう。


「お前と一緒に旅ができて楽しかったよ。元気でね」


 一歩後ろに下がると、三眼馬は仕方ないとでも言いたげに低く嘶き、背を向けて走り去っていく。その後ろ姿を眺めながら、サリカは感嘆の溜め息を漏らした。


 艷やかな琥珀色の鬣が風になびく様子は、とても美しかった。野生の三眼馬を見たことはないが、きっとあんな姿で自然の中で生きているのだろう。


 三眼馬が手紙と金貨を括り付けたまま何処かに行ってしまったとしても、サリカは一向に構わなかった。

 店主の話だと、不測の事態で御者がいなくなった場合、あの三眼馬はシノフィスの獣車屋に自分で戻るらしい。だが、今後の状況によっては、どうなるかは分らない。


 偽善的だと言われるかもしれないが、この場でサリカの身勝手な行動に付き合わせるのが忍びなかった。三眼馬のためというより、自分のためだろう。


 サリカは再び視線をコダルに向け、ぎゅっと手を握った。掌に食い込む爪の感触が、目の前の光景が夢ではないと伝えてくる。


(こんな予定じゃなかったんだけどねえ)


 カデウスに来ることになった日の出来事を思い出し、サリカは一人苦笑した。


 上級神官などと呼ばれる立場にはいるが、この状況において何一つはっきりと分かる事がない。その時々の自分の選択が、正しいのかも分からない。


(だけど……)


 考えてみれば、正しさなんて時と場所と立場が変われば、簡単に入れ替わるようなものだ。ならば、その時に最善と思うものを選択していくしかない。


 可能か不可能かは関係なく、自分の心が向かう先に進んでみるしかない。それしか出来ないし、それで構わない気がする。


 サリカは振り返って、扉が開いたままの祠を眺めた。離れた所からでも、中の魔石が虹色の光を放っているのが見える。


(やるだけやってみますか)


 胸の内に巣食う迷いの欠片を吐き出すかのように、サリカは思いっきり息を吐き出した。



 

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