祠
「あともう少しで着くから」
サリカが前を向いたまま声を掛けると、背後から機嫌良さげな三眼馬の嘶きが聞こえてきた。
サリカの歩く速度が少しでも遅くなると、背後を歩く三眼馬が鼻先で背中を押してくる。急かしているのか手伝っているのか、三眼馬の様子を見ても今一つ理解できない。
仕方ないので、適当に返事をしながら歩いているが、今のところ問題ないようだ。
祠に向かうと決めた時、三眼馬には空き地で留守番してもらうつもりでいた。祠の状態を確認して、上からコダルの様子を見たらすぐに引き返す予定であり、結界内なら安全だろうと思ったからだ。
通じているかは不明だが、一応三眼馬にも説明はした。
それなのに歩き始めたサリカの後を、三眼馬はさも当然といった様子で獣車をガタゴト引きながらついて来た。
祠までの道は細く、小型であっても獣車が通るのは不可能だ。空き地で待つように説得を試みるが、三眼馬からの妙な圧にサリカが負けた。
獣車を外すと、三眼馬はサリカを背中に乗せようと体を低くしていたが、こればかりは必死に断った。
鞍なしの馬に乗れるような技術も運動神経も、サリカは持ち合わせていない。しかも、三眼馬は普通の馬より大きいのだ。途中で背中から転げ落ち、大怪我するのが目に見えている。
こうして空き地に獣車だけを残し、サリカは三眼馬と仲良く山登りする羽目になってしまった。
朝日と共に少しづつ明るくなって空の下、サリカは祠へと続く山道を登りながら、大きな溜め息をついた。
三眼馬から嘶きの声援を受けながら山の中腹を越えると、小さな公園のような場所に出た。今は枯れたような木と草ばかりだが、人の手で整備された場所であり、腰掛けられるような切株も幾つかある。
中央には、真っ白な建物が一つぽつんと建っており、その周囲にだけ白い小石が敷き詰められている。椀を伏せたような形のドーム状の建物は、大人三人ぐらいなら中に入れそうな大きさがある。
この建物がフォシアル教の祠である。
汚れ一つない白い祠は、不思議と周囲の景色に溶け込んで見える。それはこの祠だけではなく、サリカが巡祈で回ったことのある祠全てに共通するものだ。
自然の中にあっても違和感がないため、野生の動物達もやって来るのだが、彼らに荒らされたという話は聞いたことがない。
「到着!」
立ち止まって両手を腰に当て、サリカが大声で宣言した。
三眼馬は小さく嘶くと、サリカの脇をさっさと通り抜けて、祠から少し離れた場所で枯草をはみ始める。そんな三眼馬に倣ってサリカも近くの切株に腰を下ろすと、鞄から取り出した水筒の水を一口飲んだ。
斜面近くまで行くと、そこからコダルの街が一望できるはずだ。昨日のような気分の悪さはないが、今すぐコダルの様子を見に行く気にはなれなかった。
臆病者と言われようと、見る前に心の準備をしておきたい。
(先に祠でも確認するか……)
とりあえず、できる事からやろうと決め、サリカは祠へと向かった。
白い小石の上は、一歩踏み出すごとに音が鳴る。ジャリジャリという音と足の裏に感じる小石の感触が、非常に心地よい。
祠の周りをぐるりと一周してから、サリカは祠の正面で足を止めた。
正面には、両開きの茶色い扉がある。
サリカは両手を交差させて胸に当てると、扉に向かって深く頭を下げた。
サリカの身長でも頭を下げねば通れない大きさの扉には、祠の壁と同様に何一つ装飾はない。加えて、取っ手のようなものもなければ、指が引っかかるような隙間もない。
ゆっくり頭を上げたサリカは、両手をそれそれの扉の中央に当てた。すうっと静かに息を吸い込んでから、掌から扉へと光の魔力を注ぎ込んでいく。
「開門」
言葉と同時に、扉に金色の魔法陣が浮かび上がる。
魔法陣が回転し始めるのを確認したサリカは、扉から手を離して一歩後ろに下がる。すると、ギギギという音を立てながら、扉はゆっくりと外側に向かって開き始めた。
真っ白な外側とは打って変り、祠の中は夜空を彷彿とさせるような濃紺色だ。
中央にある台座には、サリカの頭の三倍以上ある球体の魔石が置かれている。魔石は虹のような光を放っており、濃紺色の壁にゆらゆらの動く光の像を映し出していた。
(良かった、変わりない)
サリカの口から安堵のため息が漏れた。
魔素が枯渇し、空には異常な裂け目が出来ている場所だ。更に祠に問題などあったら、何が起こるか分からない。
サリカはその事態を想像しようとして、すぐに諦めた。怖いからではない。事が大き過ぎて、漠然としたものしか浮かんでこないからだ。
祠の確認が終えたら、残るはコダルの街と裂け目の確認だ。
(さて、そろそろ行きますか)
扉はそのままに、サリカが再び深く礼をしてから祠から離れようとした時、どこからともなく光を放つ白い蝶が飛んできた。
(まさかこの蝶……)
サリカは昔、一度だけこの蝶を見たことがある。師匠と共に各地の祠を回っていた時、師匠の所に飛んで来たのだ。
蝶と一緒に師匠は何処かに行ってしまったので、その時は何なのかは分からなかった。だが、後から師匠に尋ねると、神殿長からの『念話』だと説明された。
なんでも、自身の魔力を練り上げ、話をしたい相手へと飛ばし、それを媒介にして会話するのだという。大神官クラスでなければ使えず、その大神官でもかなり面倒な作業らしい。そのため、滅多に使われないという話だった。
その蝶が、今サリカの目の前でひらひらと飛んでいる。
(これ、どうすりゃいいの?)
とりあえず、飛んでる蝶の下に掌を差し出してみる。すると、蝶はふわりと掌の上に乗って、光と共にその形を変えた。
『サリカか?』
掌の上で、半透明の小さな神殿長が話し始めた。
神殿長の声に、呆気にとられ半開きになっていた口を慌てて閉じると、背筋を伸ばしてから返事をした。
「は、はい。そうです」
『そんなに畏まらずともよい。このように会話はできるが、姿は見えないからな』
本当に見えていないのか疑いたくなるような言葉に、サリカの顔に引きつった笑みが浮かぶ。
ついでに、可愛らしい蝶のままでいて欲しかったという心の声が、何かの拍子に口からこぼれ出ないよう気を引き締める。
『そなたの報告書は読んだ。体調はどうだ?』
「少し疲労感が残っていますが、特に異常はありません」
『そうか、それなら良いが。で、今どこにいるのだ?』
「コダルの南東にある祠に居ります。つい今しがた祠の中を確認しましたが、問題ありませんでした」
『またそうやって無茶をする……』
掌の神殿長から、呆れたような声が聞こえてきた。何となく俯いているようにも見えるのだが、気の所為だろうか。師弟そっくりだと言われた気もするが、これは聞こえなかった事にする。
『報告書の内容は中央に伝えた。それに伴い、そなたに依頼した役目は中止とする。すぐにパモスに戻りなさい』
「承知いたしました。差し支えなければ、中央は何と?」
『早急に対応するとのことだ』
「あれが何か中央に居られる方々には分かっている、という事なのでしょうか?」
『おそらくな。だが、詳しい事は私も聞かされてはいない』
「そうですか」
いつもなら、納得いかなくともここで話を終わらせる。だが、今回はそんな気になれなかった。
知らなけれはならない事がある、そんな直感のようなものが胸の内でサリカに訴えかけていた。
「神殿長。神殿長は、どのようにお考えですか?」
おそらく、神殿長はコダル上空の裂け目について心当たりがある。そんな確信のようなものがあった。
サリカは黙ったまま、答えがくるのを待った。すると、しばらく無言だった神殿長が、大きな溜息をついたのが分かった。
『知らない方が良い事もあると思ったが、そうして関わってしまった以上、何も知らない方が酷というものか……』
独り言のような神殿長の呟きが聞こえてくる。
『サリカよ。私もわりと長く生きてはきたが、そなたが目にした裂け目のような物は見たことがない』
「はい」
『よって、全て私の憶測でしかないが、それでも良いか?』
「構いません」
サリカはゴクリと唾を飲んだ。この先を聞いたら引き返せない、そんな気がした。
『おそらく、コダル上空に見えるという裂け目は、この世界と他の世界との間にある界壁が裂けたものだろう』
「界壁……ですか?」
『そうだ。詳しく説明すると長くなるので今は辞めおくが、この世界は、この世界一つだけで成り立っているわけではない。異なる質のものが、幾重にも重なって存在している」
「はい」
『重なり合う世界が完全に混ざり合う事はない。ただし、接点はある。そんな世界と世界の接点となる場所、境界を、教団内では界壁と呼んでいる。詳しい事は、戻ってから師に聞くといい』
「はい」
神殿長の話が完全に理解できたわけではないが、聖典の最初にある創世の章には、今の話を彷彿とさせる記載がある。そして、神官として役目を果たす中、この世界のものではない何かを感じることも多々あった。
だが、サリカが知らねばならないのは、その先である。
サリカは、コダルが見える場所へとゆっくり足を進めながら、話を続けた。
「中央の言う対応とは、界壁の裂け目を塞ぐという事なのでしょうか」
『おそらく、そういう事だろうな』
心臓の鼓動が、少しづつ速くなってくるのがわかる。
「もし仮に裂け目を塞ぐことが出来ず、更に大きくなった場合、何が起こると思われますか?」
『……そこから異質なものが、こちら側に流入してくる可能性がある』
「その際、コダルはどうなるのでしょうか」
『考えたくない事態ではあるが……』
神殿長が言い淀む間に、サリカはコダルを見下ろせる斜面までやってきた。
いつの間にか朝焼けの色は薄まり、目の前には雲一つ無い青空が広がっている。
『コダルだけでなく、その辺り一帯……いや、このリマペデル大陸に惨事が起こる可能性がある』
「……神殿長、新たにご報告しなけれはならない事があります」
『何があった?』
真正面から吹き付けてくる強く冷たい風が、容赦なく体温を奪っていく。
サリカは片腕で顔を庇いながら、よろめかないよう両足に力を入れた。
「昨日よりも裂け目が大きく広がり、中から霧のような物がコダルへと降り注いでます」




