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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第一章 神殿生活
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予感

「そういや、今晩はこの街に泊まるのかい?」


 水筒にアキルムのジュースを入れていた店主が、サリカに尋ねた。


「そのつもり。裏通りにある『熊の巣穴亭』て宿に泊まろうと思ってるんだ。メソアードに来た時はいつもそこに泊まってるからね」

「ああ、ヘレナの所だね」


 眉間を寄せて呟く店主を見て、サリカは首を傾げた。

 ヘレナは女将の名前だったはずだ。熊のような亭主とは対照的な小柄な女性で、宿屋の中を元気にくるくると動き回っていたのが印象的だった。


「何かあったの?」

「夏の終わり頃だったかな。あそこの旦那、腰を痛めたんだよ。なんでも、若い時に怪我した場所らしくてねえ」

「えっ、おじさん大丈夫なの?」


 そういえば、怪我をきっかけに猟師を辞めたと本人が話していたのを、幼い頃に聞いた記憶がある。

 無くなったものを生やすことはできないが、大怪我でも早期に治療すれば、ほぼ完全に治すことができる。おそらく怪我をした時、すぐには治療できない状況だったのだろう。


「最初は無理しなきゃ厨房の仕事はできてたみたいなんだよ。だけど、そのうち起き上がるのも大変になったみたいでねえ。ヘレナも頑張ってたんだけどさ。さすがに商売まで手が回らないって、先月から宿を閉めて、パモスで宿をやってる息子夫婦の所に行ってるよ。旅行がてら療養してくるって言ってね」

「そっかあ。おじさん、早くよくなるといいなあ」


 あの大男を、華奢な奥さん一人で面倒みるのはまず無理だ。確か息子も父親に似た大男だったはずだから、息子夫婦の所でしっかり療養してもらいたい。

『熊の巣穴亭』での食事を楽しみにしていたので、非常に残念ではある。だが、彼らがパモスに居るのであれば、パモスに戻ってから息子が営む宿に行ってみればいい。


「教えてくれてありがとう。この後宿に行くつもりだったから、無駄足踏まずに済んだよ」

「そうかい? それなら良かった」

「おばちゃん、宿屋の女将さんと親しいの?」


 ジュースの入った水筒を受け取りながら尋ねると、店主の表情がほんの少しだけ緩んだ。


「私達とヘレナの夫婦は同じ時期に商売を始めたんだよ。それが縁で親しくなってねえ。ここから少し西に行った所にあるテイダンていう町に私達は暮らしてたんだけど、商売でこの街に来る時は、必ずヘレナの宿に寄ってたんだよ」

「へえ、そうなんだ」

「お互いもう若くはないから気を付けなきゃと言ってた矢先にうちの旦那が死んで、今度はヘレナの旦那が倒れただろ。年をとるのは仕方ないし、嫌な事ばかりじゃあないけどね。でも、病気や怪我には困ったもんだよ。特に、今年は気候がおかしいからねえ」


 店主はそう言うと、苦々しい表情で空を見上げた。


「確かに寒いよね。私、パモスの人間だから知らないんだけど、今年の気候おかしいの?」

「そうなんだよ。ほら、ここらはカデウスでも北の方だろ。だから、夏でも朝晩はわりと涼しいんだよ。でも、今年の夏はとんでもない暑さでね。それで、ようやく秋になったと思ったらこれだろ。体の弱い年寄や子供なんかは、みんなどっかしら具合が悪いっていう話だよ」

「それは大変だ……」

「医者にかかっても、気候や年のせいだから、無理せずゆっくり休むように言われるだけだしねえ。困ったもんだよ」


 おそらく体調不良は、神殿長代理からの手紙にあった魔素欠乏症が関係しているはずだ。

 高齢の者は持病を抱えているものが多いし、子供は成長するのに多くの魔素を必要とする。何らかの原因で魔素が足りなくなれば、体調を崩す者が出てくるのは当然だ。

 だが、異常な気候が続いたせいで、皆どこかで何かおかしいと感じながらも仕方ないと思っているのかもしれない。


「神殿には行かないの? パモスでは、調子の悪い時に神殿に行く場合もあるんだけど」


 パモスでは癒し手の神官が相談者の様子を視て、医師へと伝えることも多い。魔素の欠乏ならば、魔力回復の飴で一時的でも体調は回復するはずだ。


 だが、店主は目を閉じて首を振ると、大きな溜め息をついた。


「以前はそうだったんだけどねえ。いつ頃からだったか覚えてないけど、神官様の人数がかなり減ってね。相談したくても、神官様が神殿に居ないのさ。何があったのかは知らないけど、本当に困ったもんだよ」

「そうなんだ……」


 同じフォルシア教でも、各国の状況やその時の神殿長によって状況が異なるのが実情だ。

 神殿長から話は聞いていたものの、カデウスの内情は思った以上に厄介な事になっているようだ。


「公園に人がいないのは寒いからだと思ってたんだけど、それだけじゃなかったんだ。前に来た時と様子が違うから、驚いたんだよ」

「そうだよねえ。どうやら豊穣祭も規模を小さくしたらしいよ」

「豊穣祭の時、おばちゃんはどうしてたの?」 

「一度ぐらい王都の祭を見てみようと思って、王都に行ってたよ。凄い人でびっくりしたけど、いい思い出になったよ」

「それは良かったねえ」


 今まで通って来た街では変わった様子はなかったし、気候や病人の話を耳にしたこともない。

 今こうして店主が屋台を出していられるのは、ここを離れて王都に居た期間があるからかもしれない。


(このあたりで、一体なにが起きてるんだろう)


 胸の内側から何かが引っ掻くような嫌な感覚に、今すぐ席を立って動かねばならないような気がしてきた。メソアードで一泊してからコダルに向かうつもりだったが、早々にコダルに行った方が良いかもしれない。


 サリカはカップの中身を飲み干すと、ふうと小さく息を吐いてから、できるだけ自然な笑顔を店主に向けた。


「おばちゃん、美味しいジュースありがとう。そろそろ行くよ」

「そうかい」

「娘さんが心配してるだろうから、おばちゃんも早くクラネオスに行った方がいいよ。今から出発すれば、夜には国境に着くんじゃない?」

「それもそうだねえ。だれも居ない公園でこれ以上店開いてても仕方ないし。この子達に、もう少しだけ頑張ってもらおうかねえ」


 店主はそう言って立ち上がると、背後で寝ていた二匹の魔獣の頭を両手で撫でた。


「その子達って、飛狼だよね」

「そうだよ。この子達がまだ子供の頃から一緒に暮らしてるんだよ。二匹とも頭のいい優しい子でね。旦那が死んだあと何とかやってこれたのも、この子達のお陰さ」


 飛狼は、風の魔力を持つ魔獣だ。その魔力で飛ぶように速く走る事から、飛狼と呼ばれている。大型犬より大きく力もあるため、騎獣として使われることもある。


 起き上がって嬉しそうに尻尾を振る二匹は、薄っすらと青みがかった灰色の毛並みをしている。よく手入れされていているが、少々毛艶がない。人間が魔素不足なのだ。当然魔獣も魔素不足だろう。


 サリカは自分の鞄を開けて水筒を入れると、代わりに疲労回復の飴と魔力回復の飴を取り出した。


「おばちゃん、これパモスの大神殿にいる神官の友達からもらったんだ。良かったら食べてよ」

「もしかして、神殿が作ってる疲労回復の飴かい?」

「そうそう、青いのが疲労回復ね。それで黄色いのが魔力回復だよ」

「いいのかい? そんな貴重な物を」

「沢山もらったら大丈夫。あとこれ、魔獣も食べられるから。魔力回復のをあげると元気になると思うよ」

「お前達良かったねえ。最近、元気がないみたいで心配してたんだよ」


 二匹は店主から差し出された飴の匂いを嗅ぐと、パクリと口に入れた。お気に召したのか激しく尻尾を振っているが、一個では足りないのだろう。店主の前に並んで座り、キラキラとした目で店主の顔を見つめている。可愛らしいが、圧が強い。


 サリカが追加の飴を店主の両手に載せてやると、あっという間に食べてしまった。明らかに食べる前よりも元気になっている気がする。


 余程心配だったのだろう。二匹の変化に店主は大喜びし、お礼だと言って焼き菓子を三袋くれた。

 有り難く焼き菓子を受け取ったサリカは、屋台の片付けを手伝い、クラネオス向かう店主達と公園の中で別れた。


(クラネオスに行くことがあったら、おばちゃんの所に行ってみようかな)


 一人残されたサリカは、大きく伸びをしてからゆっくりと周囲を見回した。

 大通りがある方向からは、獣車の走る音が聞こえてくる。その音を聞きながら無人の公園を見ていると、落ちつかない気分が増してくる。


「さて、うちの子にも申し訳ないけど、頑張ってコダルまで行ってもらうとするか」


 一際強い風が公園の中を吹き抜けて行く中、サリカは獣車屋に向かって歩き始めた。

 

 

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