4 最終話 綿ぼこり姫は幸せなシルフィアになりました。
あの夜会から一ヶ月。
ヒリスは学院を去り、私の生まれた国は来年には皇帝陛下の直轄地になるらしい。
私も学院をやめた。今はテオドール様が街に借りている部屋で家庭教師について一から勉強や貴族女性のマナーなどを学んでいる。今までよく分からなかった文字や言葉が理解できるようになり、本も随分読めるようになった。
それより何より、ここにいると悪口を言われたり暴力を振るわれたりしないので、毎日を心穏やかに暮らせることが嬉しい。
「フィーア、ただいま。」
「おかえりなさいませ、テオドール様。」
帰宅したテオドール様を出迎えれば、お土産、と言って小さな紙箱を渡された。何だろう、と箱を揺すって中身を確認しようとしたら慌てて止められた。
「昨日食べてみたいと言っていたクリームたっぷりのケーキだから、揺らしたら崩れるよ。」
「えっ?!本当に買ってきて下さったのですか?!」
「そうだよ。だから、そろそろテオって呼んでくれない?」
再三、お願いされてはいたのだけど、愛称で呼ぶなんて恐れ多すぎて無理だと辞退し続けていた。でも、今呼ばないとこれは食べさせてもらえない雰囲気だ。
私は手の中のケーキ箱と彼の顔を交互に見て覚悟を決めた。
「・・・テオ、様?」
こわごわ呼びかけた途端、彼が片手で顔を覆った。
「めっちゃくちゃ可愛い!これはかなり心をくすぐられるんだけど?!」
それってどういうこと?良いの悪いの?
判断がつかなかったため、助けを求めて後ろに控えている侍女のウータさんを振り返る。
彼女はハーフェルト公爵家からテオ様のお世話をするためについてきている人で、今は私の世話までしてくれている。
「シルフィア様、テオドール様は大変喜んでおられるだけですのでご心配なさらず。テオドール様、お気を確かに。シルフィア様が戸惑っておられますよ。」
彼女は後半、やや呆れたようにテオ様へ告げると私の手から箱を受け取った。お茶と一緒にお出ししますね、と台所へ去っていく。
「ごめんね、フィーア。ちょっと喜びすぎちゃった。」
薄っすら赤くなった顔で私に謝った彼は、着替えてくると言って自室に入って行った。それを見送り、私は急いで台所へ行ってウータさんを手伝う。
「美味しい。クリームがふわふわでとても美味しいです。」
ケーキをひとくち食べて喜ぶ私を嬉しそうに見ているテオ様。離れたテーブルで同じケーキを食べている護衛のフリッツさんとウータさんも美味しいと頷いている。
でも、テオ様のケーキはない。甘いものはそんなに好きじゃないからといつも自分の分は用意しないのだ。
私は自分のケーキをじっと眺めてから隣の彼を見上げた。
「ひとくち、食べますか?」
うん、とにっこり笑った彼が口を開けて、そこへ私がフォークで切ったケーキを運ぶ。
甘いなあ、と言いながら食べる彼を見ながら私ももうひとくち。お菓子を食べる時はいつもこう。最初はドキドキしすぎて落としたりこぼしたりしたけど、随分慣れた。
だけど、と私は彼の顔を盗み見る。こんな幸せはいつまでも続けちゃいけない。そろそろ潮時じゃないのかな、と決断する。
「あの、テオ様。このお茶、私が淹れたんです。」
「そうなんだ、上手になったね。美味しいよ。」
「あと、読み書き計算も随分出来るようになりました。」
「うん、毎日頑張ってるよね。」
「だから・・・だから、もう離婚していただいても大丈夫です。街で探せば仕事も見つかると思うんです。」
「は・・・?」
その場の空気が凍りついた。あれ?正確に伝わらなかったのかな、と慌てて付け足す。
「テオ様は私のことを可哀想だと思って結婚して下さったのですよね。そういうのは上手くいかないと新聞で読みました。それに貴族が実家に力がない妻を娶るのは良くないことだともありました。ですから、私がテオ様の妻でいることは間違っているのです。」
「ああ、そう。なるほどね。」
両手で顔を覆ったテオ様が、肺の空気を全部出す勢いでため息をついた。
「フィーアが僕を嫌いになったわけじゃないんだね?」
「そんな、とんでもない。テオ様を嫌いになるなんてあり得ません!」
なんだか暗い声で確認されて、私は驚いて答えた。
この世にテオ様以上に素晴らしい人はいないと思う。あの地獄から助け出してくれた恩人だし、怒鳴ったり殴ったりしないし、しょっちゅう美味しいお菓子を食べさせてくれる。
そんな私の気持ちが伝わったのか、テオ様が明るい表情になった。それを見て私もホッとする。
「じゃあ、離婚はしなくていいね。フィーア、おいで?」
なんでそうなるの?と思いつつ、ポンポンと膝を叩いて言われたら、結婚してからの習慣でそこに座ってしまう。
私を膝に乗せたテオ様は私を後ろからぎゅうっと抱きしめて、安堵したように耳元でささやいた。
「君に嫌われたんじゃなくてよかった。離婚して、なんて言われて心臓が止まるかと思ったよ。」
「ごめんなさい。でも、私が妻だとテオ様の為にならないって思ったのです。だって、私の実家はもうないし、あったとしても何の役にも立ちません。それに、私は貴族女性としての教養が全くありませんから。」
それを聞いたテオ様の腕に力が加わった。
「大丈夫。僕は妻の実家の力を借りなくても平気だし、逆に口を出されないからその方が楽だ。それに教養なんてこれからいくらでも身につけられるから、君が僕の妻で全く問題ないよね。」
悩んでいたことをテオ様にあっさり吹き飛ばしてもらえて私は嬉しかった。でも、あと一つ、ずっと気になっていることがあった。
「・・・あの、なんで私だったのですか?」
後ろを振り向いて綺麗な薄青の目をじっと見上げながら尋ねると、彼の顔が赤くなった。
ええと、と言いながら、彼がはにかんだ笑みを浮かべる。
「僕は万年筆を拾って震えながら渡してくれた君を見て、生まれて初めて心の底からこの人の笑顔が見たい、この人を守りたいと思ったんだ。今まで誰にもそんな気持ちを抱いたことがなかったから、結婚するなら君しかいないと感じたんだよね。もう一ヶ月以上、君と一緒にいるけど、その勘は間違っていなかったと思っているよ。」
それを聞いた私の目からぽろっと涙がこぼれた。
「痛くも悲しくもないのに・・・?」
手のひらに落ちた雫を不思議がれば、彼の方へ身体の向きを変えられてぎゅうっと抱きしめ直された。
「フィーア、人はね、すごく嬉しい時にも涙が出るんだよ。」
そうなんだ・・・私は彼の言葉が泣くほど嬉しかったんだ。
「テオ様、私を妻にしてくれてありがとうございます。」
「僕の方こそ、君にお礼を言わないと。フィーア、妻になってくれてありがとう。」
幸せな気持ちでいっぱいになった私は、ドキドキしながら初めて彼の身体に腕を回して抱きついてみた。
テオ様は大きくて温かい。こうやってくっついていると、とても安心する。
じっと彼の心音を聞いていた私は、あることに気がついた。あれ?もしかして・・・。
「テオ様は私が気の毒で助けるために結婚したんじゃなくて、もしかして、私のこと、その、」
「うん、好きだよ。愛してる。」
「ふぇっ?!」
「だから、一生側にいて欲しい。」
「ほぇっ!」
「そこまで驚く?ああ、そういえば、言葉では伝えてなかったっけ。ごめんね、これからは毎日言うから許して。」
「いえっ、それはご勘弁を!」
「それくらいさせてよ。それと、そろそろ本当に夫婦にならない?」
その言葉に驚いた私は、彼の膝から飛び降りてその前に立ちはだかった。
「私達、夫婦じゃなかったのですか?!」
叫んだ私を見上げた彼が真面目な顔で深く頷いた。
「書類上は夫婦だけど、僕達はまだキスもしてないし、寝室も別だよね。急な結婚だったし君は大怪我をしていたから、落ち着くまで待っていたんだ。でももう僕も我慢が出来なくなってきてて。」
「え、我慢していたのですか?!キスを?一緒に寝ることを?」
「両方?」
「両方?!」
全然知らなかった、どうすればいいの?!と混乱している私を見た彼が立ち上がって私の両手をとった。
そろっと彼の顔を窺えば、優しい笑みを湛えた瞳がこちらを見ていた。
「フィーア、一気には望まないから焦らないでいいよ。ゆっくり進もう。ほら、まず目を閉じてみて。」
言われた通りにすれば、唇にふわっと柔らかくて温かいものが触れてきた。思わず目を開けると灰色の長いまつげに縁取られた薄青の瞳がすぐそこにあった。
視線が絡んだ瞬間、パッと彼の顔が赤くなる。
「僕、初めてなんだよね。上手くなかったらごめん。」
「私も初めてですから、分かりません。」
そう返すと照れたように笑んだこの人が、私の夫です。
母様、私は今とても幸せです。これから一歩ずつ、テオ様と本当の夫婦になっていきたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ある意味学生結婚したこの二人、どんな新婚生活を送るのか。
別作品ととして一章読み切り不定期で投稿した場合、需要はありますか・・・?