1 綿ぼこり姫の定位置はすみっコです。
きらびやかな室内に流れていた軽やかな音楽がしっとりと落ち着いたものに変わった。
それはもうすぐこの学期末の夜会が終わることを示していて、私の身体は無意識に強張った。
地獄のような時間が始まる。逃げたい、でも逃げられる場所がない。
吐きそうになるほどの緊張と同時に、どうにもならないという諦めが全身から気力を奪っていく。
「あら、見て、綿ぼこりが今日も定位置にいるわ。」
「相変わらずわかりにくい隅っこを見つけるのがお上手ね。」
「いつも同じ着古されたみっともないドレスに、雑に結んだだけの汚れた髪!おお、嫌だ。」
「この学院のゴミですわね。目障りだわ、夜会に出なければいいのに。」
「学期の始めと終わりの夜会は全員参加を義務付けられておりますから、ああいう貧しい国の惨めな人は気の毒ですわね。」
「まあ、貴方はお優しくていらっしゃるのね。昨日捨てると仰っていたドレスを恵んで差し上げたらいかが?」
「さすがに綿ぼこりにあのドレスは勿体ないでしょう。それにあの丸太のようなウエストでは到底無理ね。枯れ葉で十分じゃなくて?」
「うふふ。それ、いいわね。綿ぼこり、聞いた?後で庭の枯れ葉でも拾っておきなさいよ。今よりマシになるんじゃない。」
通りすがりの同級生達が私を嘲笑っていったが、私は何の反応もしなかった。もう言われすぎて慣れている。
私の身体は小さくて手入れの行き届かない白に近い金の髪はほこりや汚れで絡まり、くすんだ灰色にも見えボサボサ、黒に近い深い藍色の瞳はいつも下を向いている。
通っている学院の教室でも夜会でも、いつも隅っこにいるので、ついたあだ名は綿ぼこり。誰が付けたのか、うまいものだと感心する。
その時、音楽が終わり、私の顔に影が差した。
「こんな所にいやがった。探したぞ、いつもいつも俺様の手をわずらわすんじゃねえよ、このゴミクズ!」
周囲に聞こえないよう低い声の悪態を耳にして、今夜も見つかってしまった、と絶望する。
そのまま乱暴に腕を引かれ、庭の隅へ連れて行かれた。
私の地獄が始まる。
ドス、と何の前触れもなく思いっきり背をけられ、私の身体は吹っ飛んで草の上を滑り石の壁に叩きつけられた。
「ちくしょう、俺の国が小さくて金がないというだけで見下してバカにしやがって。」
いつものようにブツブツ口の中だけで文句を言い、夜会で受けた鬱憤を私を痛めつけることで晴らしている器の小さいこの男は3つ上の異母兄だ。
足音も荒く近づいてきてグイッと私の襟首を掴みあげ、今度は苛つくままに私の腹を膝蹴りし続ける。周りに気づかれないよう服に隠れるところだけを狙うところにまた、性格の悪さがでている。
ろくに剣も振れぬ人だが、そこは成人男性。非常に痛い。防御になればとありったけの服や布を胴に巻いてはいるものの、酷い打ち身になって明日からまたしばらく起き上がれないに違いない。
二週間の休暇が終わる頃には治っているだろうか。だが、休暇明けにまた夜会がある。
先程の同級生が言っていたように強制参加なんてやめてくれればいいのに。
この帝国領内の国々の王族貴族子女は16歳から22歳になるまで、首都にある学院への入学が義務付けられている。体のいい人質だと父や兄が言っていた。
だから、国の順位が上の者が下の者を虐めることがよくあるらしい。
帝国領内で我が国は最弱国であるため、自分より下がいない兄の第1王子は異母妹の私へ当たるのだ。当然、私より下などいるわけがなく、全ての鬱憤晴らしに利用されている気すらしてくる学院生活は正直、死んでしまいたいと思うような状況だ。
だが、私は自ら死ぬ事はしない、と決めている。
私は名もなき下働きだった母の命と引き換えに生まれてきた。それを知ったのは5歳の時で、もうすでに城中から邪魔者扱いされていたが若くして死んだらしい母の代わりにこの碌でもない人生でも最後まで生き抜いてやる、と誓った。
その時はまだ生きていれば何か一つくらい、良いことがあるんじゃないかと淡い希望を抱いていたというのもある。18年生きてきた今現在、そんな希望は微塵も残っていない。
「あいつもあいつも、絶対に許さねえぞ!」
私でない相手への怒りをぶつけられ続け、意識が朦朧としてきた。いつもならそろそろ終わるはずなのだが、今日はなかなか気が済まないらしい。
いい加減、馬鹿にされることに慣れるか、見下されないような人間になればいいのに、そういう努力はしたくないらしい。それで立場の弱い私を殴って憂さ晴らしをするのだから、この人はダメなのだと思う。
しかし、このままでは骨の1本や2本くらい折れるかもしれない。あれは治るまで痛くて辛いから嫌だ。
それともこのまま殺されてしまうのか。それではあの世で母に合わせる顔がないとぼんやり考えていた、その時。
「止めろ、何をやっているんだ!」
複数の足音とともに、鋭い声がした。
よく考えれば、人けがない場所とはいえ、ここは城内の庭で誰かに見られる可能性は常にあった。兄の迂闊さには笑うしかない。
「ヒリス・リンジ殿か。そこで彼女に何をしている?」
低い冷たい声が聞こえてきて、私を掴んでいた兄の腕がびくっと震えた。
「なんだ、テオドール殿か。こいつは酷く出来の悪い異母妹でな、今日の夜会で粗相をしたから躾け直していたところだ。気にしないで放っておいてくれたまえ。」
そう虚勢を張った兄の声は震えていて、いかにも嘘らしくみっともなかった。更に彼は証拠を隠すように私の身体を近くの植え込みに押しやった。
なんの抵抗もできずに低木の上に倒れかかった私の身体を細かな木の枝がチクチク刺してきたけれど、私はもう指一本動かせずボロ雑巾のようにそこに落ちていた。
サクサクっと足早に草を踏む音がして失礼、という言葉とともに誰かが私を抱き上げる。その扱いはまるで壊れ物を扱うように優しくて、私は自分が死んでお迎えがきたのかと錯覚した。
そして、ふわっと草原を渡る爽やかな風のような匂いがした。
「私は用があって彼女を探していたのだけど、夜会では見つけられなかったんだ。それで、まだ帰っていないと聞いて探していたのだけど、まさかこんな事になっているとは。これは酷すぎる、躾け直しなんてものじゃないだろう。君がやったのは弱く抵抗もしない者への一方的な暴行だよ。」
重く凛とした声が静かに兄を責め立てる。
「金も権力もあるお前に俺の気持ちなんてわかるものか!そいつは俺の異母妹なんだから、俺の所有物だ、何をしようと勝手だろ!綿ぼこりはゴミ以下なんだよ!」
いい反論が思いつかなかったらしく、兄は苦し紛れな台詞を言い捨てて走り去った。
「やれ、逃げたね。フリッツ、すぐに彼女を医者に診せるから準備して!」
「どちらに運びますか?」
「一番近いのは城内だろ。だから、例の部屋に。」
「マジですか?!普段お使いになるのを避けているのに。いえ、かしこまりました。直ぐに準備致します。・・・あー、その方、随分とウエストがふくよかで重そうですね。俺が運びますよ?」
「いや、見た目より随分と軽いから僕が運ぶ。それより早く手配して。」
何だか失礼な会話が交わされていたような気がしたが、暴力が止んだ安堵と身体中の痛みで私の意識は遠のいていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
しょっぱなから痛そうですみません。暴力はここで終わりですので、
次話からは安心して読んでください。