フ タ リ ノ ヨ ル
夜がかがやき始めて、わたしたちは二人きりでした。
会話もありません。終わることない本日の片隅に、わたしたちは身を隠したままです。
「静かだね」
沈黙を裂いたのは、彼女の独り言のような声でした。彼女のふわと吐く息は軽くて、そしてすうと夜に溶けて往きます。
街を胎動していた電車は、先程から横たわるばかりで、世界は束の間の静謐です。バイクや車のエンジン音も、過ぎてしまえば、またなんてことない静寂が訪れます。
わたしは相槌を返しました。それは相槌に程遠い無視で、無関心を示すみたいな返事です。
「他に誰も居ないみたい」
そう言った彼女に、わたしは目を遣ります。端麗な横顔とその柔肌に、微かな光が滑りました。わたしはそれが眩しく感じてしまって、直ぐに、でも彼女に気付かれないようそっと、また視線を逸しました。述懐などままならないような、肺の奥の疼きを覚えます。
夜がいっそうかがやいた気がして、わたしは眩しさに目を細めました。
「行こう」
彼女は腰掛けていた小さな塀から飛び降り、わたしにそう声をかけました。
「ここは淋しいから」
そんなことない。
とは言いませんでしたが、しかしわたしは同意します。もしかしたら、わたしたちはどうしたって淋しいのかもしれません。
わたしは何処へ征くのか問いました。
「少し遠くの方」
彼女はそう答え、そして歩き出しました。わたしは少し後ろを追います。
ありふれた景色が視界の隅に流れていきます。それがいっとう心地良くて、わたしの足取りは軽やかです。
夭折した太陽も、空に舞うバス停も、飄逸の鉄塔も、すべてわたしたちの外側のことです。止まれの標識だって、きっとその逆三角形を逆にしても、わたしと交わることはありません。
小さな星たちがちろちろと空を燃やします。空に浮かぶ星たちが流れ落ちることはありません。わたしたちばかりが、世界に流され揺蕩っていました。
一切の事実はわたしたちの輪郭を鮮明にします。
たどり着いた先は、街の端に位置する小さな神社でした。雑木林を背にぽつねんと在るお社が、わたしたちを迎えます。
鳥居をくぐります。
「ほら、猫」
彼女が指さす方向に、野良猫が二匹座っていました。わたしたちが近づこうとすると、猫たちは音も立てずに逃げてゆきました。小さな二匹の曲線が暗闇に吸われます。
わたしはその仕草が美しく思えてしまって、果たして情景から逃げ出すことができませんでした。
「君がいるからかな。逃げられちゃった」
彼女は言います。わたしが、普段はあの猫たちは逃げないの、と問うと
「いつもはね」
と言って彼女は笑いました。どこか嬉しそうな彼女の相好に、どうしたって触れてしまいたくなるくらいの情緒です。
こんな日和ですから、わたしと彼女でこの世界から逃げ出してしまいたい。あの猫たちのように、厭世に尻尾を振りかざして、お互いの声に耳を澄ませて、凛とした表情で世界を嫌って、このどうしようもない日々の連続から抜け出すのです。
「静かだね」
境内に座った彼女が嬉しそうなのは、きっとわたしの錯覚ではありません。
星が瞬いて、わたしたちは二人きりでした。