2# 入れ替わっちゃった?乗っ取っちゃった?
「本当にお兄ちゃん? よかった……」
間違いなく、あたしの目の前にいる女の子は燈樹お兄ちゃんだ。理由はよくわからないけれど、とりあえずまたお兄ちゃんとお話できてよかった。
「柚璃……」
あたしは女の子になったお兄ちゃんを抱き締めた。そしてこのまましばらく抱いていながら泣いている。
「で、結局なんでお兄ちゃんは女の子に?」
ちょっと落ち着いて泣き止んだらあたしたちの会話は再開した。
「いや、オレだって知りたいよ」
お兄ちゃんもよく事情を把握できていないみたい。
「お兄ちゃんはこの子をトラックから助けたと聞いたけど」
「確かに女の子を助けた覚えがあるね。これはオレが助けた子の体?」
「そうみたい」
「じゃ、オレの体は!?」
「それは……」
あたしは答えるのを躊躇って、つい目を逸らした。だって、お兄ちゃんの体は、今……。
「ま、まさか……」
お兄ちゃんもなんか感づいたみたい。
「ごめん、実はお兄ちゃんの体はもう……」
「そうか……」
言わなくてもお兄ちゃんはすでに大体の事情を把握してしまったので、あたしはもうわざわざ言いたくないことを言う必要がない。
「お兄ちゃんがこの子の代わりに犠牲になったということになっているようだ。だから今あたしはこんな風にお兄ちゃんと話せるとは思わなかったよ」
「そうか……。じゃ、この子は? 今オレの意識がこの子の体に入っているよね? ならこの子本人の意識はどこ?」
「は? いや、あたしに訊かれても……」
「まさかオレの体と共に……」
「……そうかも」
よくわからない。でもお兄ちゃんの意識はこの子の体に入ったのだから、あの子の意識はお兄ちゃんの体に入ったという可能性も考えられる。
しかしお兄ちゃんの体はもう……。
「でもお兄ちゃんがまだここにいて、本当によかったよ」
この子には悪いけど、生きているのがお兄ちゃんの方っていう事実はあたしにとってとても嬉しいことよ。
今そんなこと考えても無駄みたいだから、もうどうでもいいの。
「まあ、でも体はもう……」
「意識だけでもいい。助かってよかった!」
どこの子かわからないけど、お兄ちゃんに体を貸してくれてありがとう。そしてごめん。
罪悪感が心の中に溢れてきたけど、嬉しいことは嬉しいのよ。そう考えるとまた涙が……。
「でも……」
「どんな姿になっても燈樹お兄ちゃんは燈樹お兄ちゃんだよ」
今でも普段の燈樹お兄ちゃんみたいにあたしと話している。声は変わったけど、喋り方はそのまま。こんな可愛い女の子の声で男っぽい口調はちょっと変だけれど。
「なんか柚璃は大きく見えるね」
「お兄ちゃんは小さくなったんだよ」
「そうだね……」
あたしより大きくて、いつもあたしが見上げなければならなかったお兄ちゃんは、今こんなにちっちゃくなった。なんか不思議な感じ。
『トントン』
病室のドアのノックの音が聞こえた。そしてドアを開けてお父さんは入ってきた。
「お父さん……」
「柚璃……、その子起きたの?」
「あのね、聞いてよ。実はこの子はお兄ちゃんだよ」
やっぱり今すぐお父さんにも事情を説明しよう。
「は? 何を言ってる?」
お父さんは『この娘、頭大丈夫?』と言いたいような顔になっている。こんな反応は意外ではないかも。あたしだって、最初はあまり信じていなかったから。
「本当だよ。この子の体にお兄ちゃんの意識が乗り移ったの」
「……柚璃、何の漫画の話?」
やっぱり信じてくれないみたい。
「お父さん、オレだよ。信じられないかもしれないけど……」
「君、これはどんな冗談?」
お兄ちゃんが自分だと主張しようとしたら、お父さんは難しそうな顔をした。
「冗談じゃないよ! お父さん、本当にオレだよ。彩河燈樹だ。お父さんの息子だよ。今朝まだ元のオレだったはずだけど、家から出掛けて……気づいたらこんな姿になったよ」
「確かにそんな喋り方は燈樹……?」
お父さんもなんか少しずつ信じるようになってきたみたい。でもさっきのあたしみたいに、まだ混乱が残っている。とにかくお父さんにもっとお兄ちゃんの話を聞いてもらったら……。
「お兄ちゃん、さっきの話の続きは? 家から出た後、お兄ちゃんに何が起こった? 詳しく……」
「いや、なんか記憶は曖昧で、オレもよくわからないよ」
「覚えてることだけでいいから……」
「えーと、確かに覚えている最後の記憶は……オレが道路を渡る途中で……、あの時信号がまだ赤なのに、いきなりトラックが……」
やっぱりあのトラックの運転手は酔っ払いだったね。
「で、女の子が轢かれそうになったから、オレは助けようとしたけど……」
「どうなったの?」
「えーと……、やっぱりわからない。その後のことは本当に思い出せないよ」
どうやらお兄ちゃんはトラックに轢かれる前までの記憶しか持っていないみたい。
でもその後の展開は何となく想像できる。要するに、お兄ちゃんの体はあのトラックに轢かれて……、そして意識だけはこの子の体に乗り移った。
なんでこうなるかわからないけれど、とりあえずこういうことだと思う。
「ところで、この子は誰なの? 知ってる?」
お兄ちゃんは自分の体のあっちこっちをその小さな指で触れまくりながらあたしとお父さんに質問をした。
「え?」
その質問を聞いてお父さんもあたしも不思議そうな顔をした。
「は? お兄ちゃんも知らないの?」
お兄ちゃん本人もわからないのに、あたしに訊かれてもね。なんかこれはまるで『私は誰だ』って、記憶喪失の人の質問って感じ。
「全然知らない子だよ。気がついたらこの子の体になった」
「そんな……」
知らない女の子をそこまで守るなんて、やっぱりお兄ちゃんは善人だ。
「お父さん、この子について何か知ってるよね?」
お父さんならもっと病院側とかから情報を教えてもらったかもしれないと思って、とりあえずあたしはお父さんに訊いてみた。
「いや、今のところまだ誰もわからないそうだ。そもそも本人から聞いたらわかるはずだけど」
「そう……。これは困ったね」
この体はお兄ちゃんになっているが、この子本人の存在はもうどこにいるかわからない。
「お兄ちゃん、この子の記憶とか残ってない? もしかしてこの子の意識もまだこの体の中のままかも?」
漫画でもこういうパターンもあるようだから、念のためにそんな可能性を考えてみた。
「は? いや、わからないよ。目覚めた時からオレは完全に自分が彩河燈樹だと認識している」
確かに話し方から見ればそうだと思う。これはどう見てもお兄ちゃんとほぼ同じだ。こんなロリっ子が『オレ』と言うなんて違和感が湧いてくるけれど。
「そう……」
「この子の記憶は……多分、残ってないよ。今でも頭の中ではこの子の記憶みたいなものが全然感じられない。全部はオレの記憶だ。この体もこうやってオレの思うまま動かせるようだし」
そう言ってお兄ちゃんはベッドから降りて歩いてみた。まだちょっと慣れないようで動きはぎこちなくて若干変に見えるけど、ちゃんと歩ける。
どうやらこの体は全部お兄ちゃんの意識によって支配されているみたいだ。人格が合体するとかではなく、完全にお兄ちゃんになっている。
ならこの子の意識は? やっぱりお兄ちゃんの体に……? でも例えそうだとしてもあの体はもう……。
結局この子は誰なのかはわかりようがない。どうしよう……。