犬耳のくれた安らぎ5
夜明け前の薄闇の中を、俺は一人歩く。
目的地は、俺とタウーニが求め合ってる頃に、ダーンが族長の指示で調べて来てくれたと言う。
俺の意図は族長にはまるきりお見通しだったし、ダーンはジャージャーニ族でも一、二を争う程に足が速く、また移動の為の荷物も少ない。
天幕の片付けさえ別の誰かに任せれば、夜中の内に斥候に出る事も可能だったから。
あぁ、そう、斥候だ。
俺が目指す場所は、グヴォード遊撃隊が四方に放った斥候の野営地だった。
グヴォード遊撃隊はジャージャーニ族の居住地が正確にはどこにあるかを知らない為、四方に斥候を放って探しながら進んでる。
そして斥候の報告を元に、進路を決めて本隊が移動し、その後に人員を交代して斥候を放つ。
故に放った斥候の一隊が戻らなければ、そちら側に何かがあったと本隊は判断を下すだろう。
つまり俺がやるべき事は、ジャージャーニ族の居住地があった場所とは別方向の、斥候部隊の殲滅だった。
グヴォード遊撃隊の目を逸らすのは、一日や二日で充分だ。
それだけの時間があれば、健脚の犬人達は追い付かれない場所まで逃げられる。
だとすれば、……二度か。
先ず一度目はグヴォード遊撃隊の側面方向、北側の斥候を殲滅し、そちらに本隊を呼び寄せる。
当然そちらには何もないから、再びグヴォード遊撃隊は数を増した斥候を出すだろう。
仮に出さなかったとすれば、そのまま手を出さずとも時間は充分に稼げる筈。
二度目の斥候も殲滅出来れば、グヴォード遊撃隊は警戒でまともに動けなくなる。
大切なのは、一度襲った斥候は確実に殲滅する事だ。
俺の姿を見た斥候を逃がせば、グヴォード遊撃隊の動きは読めなくなる。
敵が何であるかを認識した傭兵団に、たった一人で対抗出来る筈もない。
今から行うのは、亜人狩りだと嘯くハイエナの油断に浸け込む、失敗する訳には行かない奇襲だ。
あぁ、やってやれない事はないさ。
今の俺は、タウーニから力を貰ったから。
さっきだけの話じゃない。
この一ヶ月と半分程の日々、ずっとずっと、俺は彼女から少しずつ力を貰った。
結局俺は、こんなやり方でしかその恩に報いられないけれど。
俺は、敢えて姿を隠さずに、草原で野営中の三人組に近付いて行く。
方角は、グヴォード遊撃隊の本隊が居る方向から。
彼等は、この地に居る人間は自分達だけだと思ってる。
故に姿を隠さず近付いて来たのが亜人じゃなくて人間だと分かった時点で、彼等は自分の仲間だと思い込む。
まぁ実際に俺の恰好は傭兵その物だし、長年傭兵をして来たから、雰囲気だって違和感はない。
当然武器を抜けば警戒されるから、俺は大きめの革袋を彼等に翳して揺すって見せながら、笑みを浮かべて近寄って行く。
伝令か何かに見えるだろうか?
「おい、どうしたんだ。わざわざ酒の差し入れか?」
ニヤニヤとしながら近寄って来るのは、見張りで起きていた一人。
後の二人は何事かと、ごそごそと起き出して来てる。
だから俺は、その革袋を思い切り近寄って来た傭兵の頭に振り下ろした。
ぐしゃりとした感触が手に伝わり、傭兵の頭が潰れる。
勿論革袋の中身は酒なんかじゃない。
砂と小石を詰められるだけ詰め込んだ、即席のブラックジャックだ。
鎧の上から身体を殴っても効果は薄い武器だけれども、無防備な頭に振り下ろせば、こうやって絶大な殺傷力を発揮する。
「なっ?!」
倒れる仲間の姿に、起きる最中の二人が驚きの声を上げるが、その時には既にブラックジャックを捨てた俺は、剣を抜いて接敵してる。
一振り、二振り。
確実に命に届く様に武器を振い、二人を殺す。
そして大きく息を吐く。
第一段階は成功した。
傭兵達の武装を確かめれば、剣や斧は兎も角、クロスボウなんて代物を持っている。
ジャージャーニ族にはやはり逃げて貰って正解だった。
こんな物が五十もあれば、それだけでジャージャーニ族の戦士は殲滅されてしまう。
俺は三つのクロスボウとボルトを有り難く頂戴すると、穴を掘って三人の傭兵を埋めた。
偽装して発見を遅らせようとしていてる、こちら側に何かがあると、彼等を探しに来るだろうグヴォード遊撃隊の本隊に思わせる為に。
本当はクロスボウも一つだけで充分なのだが、しかし一つしか減っていなければ疑問に思われるかも知れない。
一つしか持って行けないのは、一人しか居ないからだと思われでもすれば、その後の行動が読めなくなって面倒だから。
次に派遣される斥候は果たして何名だろうか。
少なくとも八名を下回る事はない筈だ。
仲間を殺されている以上、当然警戒も強くなる。
さっきの様な奇襲は通じないだろう。
勝てるだろうか。
問い掛ける様に、俺は肩口に振れる。
そこには未だ、タウーニの噛み跡が残ってるから。
『アンタなら大丈夫さ』
彼女にそう言われた気がした。
それにしても獣人は、犬人は、アレの最中に噛み付いて来るのが普通だなんて、俺は知らない事ばかりなんだなぁと、そう思う。
惚れた女との別れは二度目だけれども、不思議と今回は空虚感がなかった。