彼の性癖3
神殿で聞けた話の中で、特に俺が一番重要だと感じたのは、人間の中に現れた勇者の話だった。
そう、ドルドギア聖教でも語られる事のある、あの勇者だ。
人間と魔族の戦いは、どうやら東側でも実際にあった事として語られている。
但しドルドギア聖教の言い分とは大きく異なる点も数多い。
まず人間と魔族の戦いは、確かに魔族側から仕掛けられた物だが、その戦いにはエルフやドワーフを始めとする亜人が人間側に味方していたと言う。
他にも勇者を含む四人の聖人のうち、勇者と神官である聖女は確かに人間だが、他の二人はエルフとドワーフだったらしい。
更に勇者は魔族を滅ぼした訳ではなく、戦争を主導する過激派の長、魔王を打倒した後は、穏健派の魔族と和睦を結んだそうだ。
そして勇者は和平の証として、魔族の姫と結婚し、更にエルフやドワーフ等の各種族からも側室を迎え、東側の地に全ての種族が分け隔てなく暮らせる王国を建国した。
異種族間の交配で、子供を授かり易くする奇跡も、この時に勇者が古き神々に願って得た物なんだとか。
だがこれに怒りを覚えたのが、密かに勇者に心惹かれていた聖女だった。
彼女は、勇者が他種族の女達との間に子供が生まれなければ、最終的には自分の元へ帰って来ると思い込んで居たらしい。
けれどもそんな彼女の希望は、他ならぬ仕える古き神々の手で打ち砕かれる。
勇者に、古き神々に裏切られたと、恨みを抱いた聖女は西の地に渡り、そこで新たな宗教を生み出す。
古き神々を否定し、他種族を踏み躙り、人間にのみ都合の良い事を教えとしたその宗教が、ドルドギア聖教だ。
でも当たり前の話だが、本来ならそんな戯言が成立しよう筈はない。
しかし聖女は魔王を討伐した一員であり、その実力と権威は計り知れず、また彼女は己の目的の為には手段を選ばなかった。
聖女は人間の権力者達に利を説き、捕らえた亜人を奴隷として差し出し、時には己の身体も使って、ドルドギア聖教の礎を築く。
そしてその際に聖女は、西側の地と古き神々の繋がりを断ち、神秘を消し去ろうとしている。
故に今の西側の地からは神の奇跡が消え、魔物も消え、東側には当たり前に居る魔術師が西側に行けば、魔術を使えなくなってしまうそうだ。
エルフの様に森に籠ればまだ神秘の力を行使できる種族も居るけれど、何れはそれも消えてしまうかも知れない。
またドルドギア聖教が抱える魔術師は、エルフの様に神秘の力を行使する種族から、それを搾り取る事で力を振うとも言う。
つまりこれが、大陸が西側と東側にわかれ、争いつつも交わらない理由であった。
西側の人間軍が東側に侵攻すれば、魔術を含む神秘の力で簡単に殲滅が出来る。
だが逆に東側の連合軍が西側に侵攻すると、神秘の力が使えずに、それに頼らずに戦える西側の人間軍に敗北するのだ。
実際、軍同士が動く際の戦術は西側の方が遥かに研究されているし、武具の質はドワーフの存在で東側が上回るにしても、クロスボウの様な新しい武器が存在するのは、やはり西側だけだった。
ドルドギア聖教が出来たばかりの段階で勇者が手を打てば今ほどには広がらなかっただろうが、彼は昔の仲間であり、自分に向けた感情故に狂った聖女を、どうしても敵として見做せなかったらしい。
要するにこの大陸では、勇者の性癖と痴情のもつれで、それから永い時が経ったにも拘わらず未だに戦いは続き、聖女の怨念が亜人達を苦しめている。
本当に、ふざけるなと思わず叫びそうになる程に、実に馬鹿馬鹿しい話だった。
勿論この話の全てが真実だとは限らない。
でもある程度信じるに値するだけの状況は揃ってしまってる。
もっと果てしなく、俺なんかには計り知れない事情で、世界は回ってると思ってた。
なのに、なのに、そんな下らない事の為に、ミスティラは囚われて人間に隷属させられて、タウーニは両親を失い、マールリは故郷を奪われて石を投げ付けられたのか。
勇者の性癖には、あぁ、同意もするし共感もする。
俺も彼女達を美しいと思い、心惹かれた。
子を成す奇跡は、彼や俺と同様に異種族に心惹かれる者達にとって、時に希望となるだろう。
だが勇者が本当に異種族の女達を愛したのなら、例えどんなに複雑でも聖女を見逃すべきじゃなかった。
俺はその一点だけで、勇者が許せない。
……けれども、確かにこれは実にふざけた昔話だったけれど、知れて良かったと俺は思う。
だってそんな個人的な感情が発端になってる世界の仕組みなら、俺が壊そうとしても良いんじゃないかって思うから。
東側の住人は、神秘の力を使わずして戦いに勝つ術を知らない。
だけど俺は知っている。
物心付いた時から戦場に居て、その空気を吸って生きて来た。
西側の誰を、どうすれば味方に引き込めて、誰が絶対に倒すべき敵なのかも、理解をしてる。
酷い自惚れかも知れないが、多分今この段階では、俺だけがそれを成せるのだ。
逆に言うと、今ある知識が西側で時代遅れの物となったら、俺はもうなにも成せない。
だったら動くべきは、今しかなかった。
後は、そう、纏まった力をこの東側で手に入れたなら……。
カラーンと、ドールデンスの町に昼の訪れを告げる鐘が鳴る。
「あら、もうそんな時間ですか。アスィル様は熱心に聞いて下さるので、ついつい語り過ぎてしまいますね」
ベランザーナ神官は、そう言って微笑む。
俺は自らの内側の滾りを知られまいと、顔を俯けて頭を掻いた。
「昼食はどうなさいますか? もし宜しければ、朝に多く準備してしまったので、男の方に食べるのを手伝って戴けたら助かるのですが」
そんな俺を見て、ベランザーナ神官は不意にそんな言葉を口にする。
確かに、俺もどこかで昼食を取らなければならないけれど、果たしてそこまで甘えてしまって良いのだろうか。
少し悩んでいると、彼女は俺の手を取り、二度、三度と引っ張った。
不意に俺は、ベランザーナ神官から教えられた、この東側に住む亜人、異種族の話を思い出す。
そう、確か彼女は自分の種族であるドリュアスを語る時、気に入った異性を誘惑する事があると言っていた筈。
随分と可愛らしい仕草だが、するとこれは、もしかしてその誘惑とやらだろうか。
三つの鐘が鳴るには、昼を食べてもまだ暫くの時間を潰す必要があった。
「ならもう少しだけ、話を聞かせて欲しい」
俺はそれなりに葛藤しつつも、結局首を縦に振る。
昼食を御馳走になるのなら、もう幾許か喜捨するべきだろうか。
そんな風に考えながら。