彼の性癖2
「ではアスィルさん、今日も宜しくお願いします」
俺に向かって丁寧に頭を下げるのは、グルンブラス商会の長であるマイルズの娘、ロネットだ。
齢十四、五に見える彼女の品のある所作は、育ちの良さを否応なしに感じさせる。
因みにロネットは人間であるマイルズの娘だが、その頭部には狐の様な耳が、臀部にはふさふさの尻尾が生えていた。
そう、彼女は獣人の一種である狐人なのだ。
まぁ勿論それはマイルズの妻であるローザリンデが、狐人であるからなのだが、これは俺にとって驚くべき事だった。
何故なら、基本的に人間とエルフや獣人とドワーフの様な、種の異なる者同士の交配では、子供が生まれる確率は凄まじく低いから。
一応全く例がない訳ではなく、生まれてくる子供がミックスではなく、完全にどちらかの種族の特徴のみを受け継ぐ事も知られているが、西側で実例を見た試しはない。
アレだけ捕らえた亜人を娼婦として用いてるにも拘らずだ。
だから異種族同士であるマイルズとローザリンデが愛し合って生まれたロネットは、俺から見れば奇跡の産物の様にすら見えたのだが、東側では割と見られる事だと言う。
けれども奇跡の産物と言う認識も、ある意味では間違いではない。
何でも東側で崇められている古き神々の神官は、様々な奇跡を神に願う事が出来るそうで、その一つに異種族同士で子供を授かり易くなる奇跡があるんだとか。
実に驚愕すべき話だった。
ドルドギア聖教の僧侶共には、間違ってもそんな事は出来やしない。
そんな奇跡を与えてくれる古き神々ではなく、何故西側の人間はドルドギア聖教なんて物を信じるのか。
これには深く長い理由があったのだが、
「アスィルさん? どうされましたか?」
物思いに耽っていた俺を、ロネットが上目遣いに覗き込んで来たので、曖昧に頷いて誤魔化し、何事もなかったかのように歩き出す。
西と東の差を確認して考察する事は大切だが、今は与えられた仕事をこなすとしよう。
今の俺はロネットがトラブルに巻き込まれない様に、ドールデンスで暮らす住民の、比較的裕福な子供達が八歳から十六歳までの間通う、学校とやらに送り届ける護衛なのだ。
俺がドールデンスにやって来てから、もう一ヶ月が経つ。
初日にマイルズの歓待を受け、旅の垢を落としてさっぱりとした俺は、まず当然ながらこの町の娼館に向かった。
いやまぁあまり褒められた話でないのは自覚してるが、ジャージャーニ族を逃がす為にタウーニと別れてから、そう言った事を一切していなかったのだから仕方ない。
本当はゴルドリア王国の町で娼館に向かう心算だったが、町に入った初日にマールリと出会い、その後は食料補充等の最低限の用事以外では人里に寄り付かずに旅をした。
それも結構な長旅をだ。
俺は戦場で暮らしてた時期が長いから、その欲求を我慢する事には慣れている。
だからマールリに手を出したりせず、長旅を終えて無事にドワーフの地下王国まで送り届けた。
でも我慢は我慢なので、何の問題もなく発散出来る機会があるなら、そうしたいのは当たり前だ。
だってこの町の娼館には、無理矢理捉えられて奴隷にされた訳ではない、エルフや獣人、その他の種族の娼婦が居る。
ミスティラに会う前の、色を知らなかった頃なら兎も角、今の俺は発散する楽しみと悦びを知ってしまっているから。
そこは実に楽しい場所だった。
色々と罪悪感で心がチクチクともしたけれど。
「?」
思い出して口元を緩めた俺を、不思議そうに振り返るロネットには何でもないと首を振る。
流石にそんな話を、この子に知られる訳には行かないだろう。
尤も俺は、そんな事を思い出しながらも、周囲への警戒は途切れさせてはいなかった。
グルンブラス商会はこのドールデンスで暮らしていれば世話にならぬ者は居ないと言って良い規模の商いをしてる。
故に基本的には尊敬を集めるマイルズの娘であるロネットに、悪さを企む者は少ない。
寧ろ仮に護衛が居なかったとしても、ロネットに何かあれば近くに居る町の住人が助けに入るだろう。
しかし不心得者とは西側のみならず東側にも、つまりどこにでも、種族を問わず居るもので、特に町から町へと旅をしてる腕に自信のある旅人は、グルンブラス商会自体を知らずにロネットに絡む事もある。
あぁ、マイルズの妻であるローザリンデは、彼が羨ましくなる程に美しい狐人だったから、その娘であるロネットも人目を惹く容姿をしているのだ。
だがそんな事情を知らない旅人であっても総身の全てをドワーフ製の、それも明らかに逸品とわかる品々で固めてる俺が近くに居れば、悪さをしようとは思わないだろう。
別に俺の実力は全く関係ないけれど、護衛にそれだけの装備をさせてる相手を敵に回すのは良くないと、少しでも考えればわかるから。
まぁこの武装は自前の物だが、そんな事は傍から見てもわかるまい。
そして俺としても、全く何も働かずにマイルズの世話になるよりも、何かしら役立てた方が居心地も良いから、ロネットの護衛は歓迎すべき仕事だった。
「ならまた昼の三つの鐘が鳴ったら」
学校とやらの門の前で、俺の言葉にロネットは頷き、一度頭を下げてから背を向けて門の中へと消えて行く。
一つ一つの仕草に、育ちの良さが滲み出る、良い子だと思う。
良い子過ぎて、俺の知ってる獣人達との違いに戸惑いもするけれど。
この学校は、幾ら護衛であっても関係者以外は立ち入り禁止だ。
衛兵も数人配置されてるので、門の中での安全に関しては、学校側が保証してくれる。
さてここから学校とやらが終わるまでは自由な時間だが、流石の俺も昼間から、しかも知り合いの少女が熱心に勉学に励んでる間に、娼館に行こうって気持ちにはならない。
だから俺も、今の間に学べる事は学んでおこう。
ロネットの姿が完全に建物内に消えるのを見送ってから、そんな俺が足を向けるのは、古き神々の一柱が祀られる神殿だ。
ドルドギア聖教では神と言えば実体のない唯一の存在だったが、この神殿に祀られるのは森の女神と呼ばれる美しい女性だった。
「あら、アスィル様、またいらして下さったのですね」
神殿に一歩踏み込んだ俺に、振り返って微笑むのは一人の女。
彼女は森の女神に仕える神官で、そして種族はドリュアスだ。
ドリュアスは西側では一度も見た事のない種族で、見た目や雰囲気はエルフに似ているが、頭部や背などから枝の様な物が生えている。
東側であっても基本的に森から出る事の少ない、珍しい種族らしい。
「あぁ、ベランザーナ神官。また話を聞かせて欲しい」
俺は懐から取り出した銀貨を一枚喜捨し、彼女、ベランザーナにそう告げる。
ドリュアスがエルフに似てるだけあってベランザーナも大層な美人ではあるのだが、別に俺はこの神殿に彼女を口説く為に通ってる訳では、あまりない。
……少しはそれもある。
お近づきになりたい気持ちが皆無であるとは口が裂けても言わないが、それ以上にこの東側を知る上で、古き神々の存在は非常に重要だったのだ。