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エルフスキー1


「アスィル、貴方は私が出会った人間の中で、一番素敵な人だったわ」

 俺の身体を抱きしめて耳元で囁く彼女の声が、胸に突き刺さる。


 だったら行かないでくれとの、口元まで出掛かった叫びを、俺は必死に飲み下す。

 地団太を踏んで暴れてみっともなく転がって、もし彼女が傍に居てくれるなら、俺は間違いなくそうするだろう。

 でもそんな事は無意味だし、彼女にとっての『人間』は最低の生き物で、その中で俺が一番マシだったに過ぎないってわかってるから。

 だから俺は、彼女を仲間の元に返すのだ。

 彼女の中の俺が、少しでもマシなままであるように願いを込めて、精一杯に格好を付けて。


 名残はどこまでも尽きないけれど、俺は彼女の身体を引き剥がす。

「行って。欲塗れの馬鹿が追って来てる。結界に入ればエルフ以外は追えないから、早く」

 結界の向こうはエルフの領域だ。

 そこまで辿り着けたなら、もう彼女は誰にも捕まらないだろう。

 逆に言えば、そこに辿り着くまでは決して油断してはならない。


「アスィル、絶対に忘れないから!」

 踵を返す彼女の瞳が、僅かに潤んでいた様に見えたのは、俺の願望か、自惚れか。

 どちらにしても、俺の事は忘れて良い。

 それでも俺は忘れない。

 だって彼女にとって人間の世界での出来事は悪夢でしかなく、俺にとっての彼女は全てだったから。


 だからこそどれ程名残惜しくても、叫び出したいほどに寂しくとも、心が空虚に感じても、今は切り替える時だった。

 手の短槍を強く握る。

 腰に吊るした小剣を確かめる。


 追手の数、感じる気配は五人。

 飛び道具がないのは不利だが、ここは森の中だ。

 ……まぁ、何とかなるだろう。

 何時だって何とかして来たのだから。


 ほんの数分後、ガサガサと森の向こうから、武装した五人組、傭兵達が現れる。

「よぅチャンピオン。まさかせっかく手に入れた女を逃がそうとするとは思わなかったぜ。……一応聞いとくが、今からでも女を捕まえて引き渡す心算はねえか? だったらアンタは死なずに済む」

 本当に一応と言った風に聞いて来る、傭兵達のリーダー格。

 彼等も、出来れば俺と戦う無駄なリスクを冒したくないのだろう。

 でも俺の答えは当たり前だが決まってた。


「彼女は、エルフの娼婦ミスティラの身は、ゲラルド伯との契約で正式に俺の物になった。どうしようが俺の自由だ。例えゲラルド伯の子息と言えど、彼女を譲る気はない。……つまりお前等はここで死ね」

 弓持ちが二。槍使いが一、剣使いが一、鈍器使いが一。

 戦いの前に全員が姿をわざわざ晒してくれるとは、実に間抜けな連中だ。


 俺の言葉に、傭兵達のリーダー格が溜息を吐く。

「あぁ、そうかい。ならアンタを殺してあの女を追うさ。ここで死ねよ。素人童貞のチャンピオンさんよぉ!」

 そんな風に言いながらも、弓使いが一人と、鈍器使いは俺を無視してそのまま彼女を追おうとしている。

 勿論させる筈がないだろう。

 それに彼女は、そう、少なくとも昨晩の彼女は、既に娼婦は引退済みだ。




 ……俺、アスィルが彼女、ミスティラと出会ったのは、十二歳の頃。

 俺は自分が何処で生まれたのかも良くは知らない。

 物心付いた時には既に傭兵団の下働きとして飼われていて、何だかんだで生き残ったから当然の様に槍を持たされて傭兵になった。

 まぁそんな生まれなんで、人を殺す事に関しては何も感じない。

 敵は散々殺したし、味方も大勢死んだ。


 下働きの時に良く食事を分けてくれた気の良い傭兵も、子供だった俺を殴る蹴るして憂さ晴らしをする傭兵も、同じ下働きで買われて来た誰かも死んだ。

 槍を構えて一緒に突っ込んだ隣の傭兵も死んだし、傭兵団の長も一回変わった。


 人間同士の戦争も多かったけれど、亜人との戦いも多かった。

 この大陸の西半分では、人間国家の多くが人間こそを至上とするドルドギア聖教を国教としており、亜人と激しく争っている。

 もしも人間国家でエルフや獣人やドワーフ等の亜人を見掛けたなら、それは攫われて来た奴隷だろう。


 俺は多分、運が良かった。

 他人より少し早く動けたし、他人より少し目が良かったし、他人より少し耳も良かったし、身体が頑丈で頑健で、死が他人より少し遠かったから。



 そんな俺が彼女に出会ったのは、傭兵団の長に連れて行かれた娼館で。

 あんまり覚えていないけれど、確か兜首を取った褒美か何かだったと思う。

 兜首は身分ある将の首なんだけれど、俺は何度か取ってるから、多分それだ。


 最初はあまり興味を惹かれない褒美だと思った。

 俺にとっての亜人は、戦場で出会う敵だったし、腹の膨れる飯の方が有り難いなんて風に考えてた。

 でもそんな考えは、彼女を、エルフの娼婦であるミスティラを一目見たら吹き飛んだけれども。


 彼女はそれまで俺が見て来た物の中で、一番美しかった。

 良い匂いがしたし、柔らかくて、何より暖かくて優しかった。

 勿論それは彼女にとって仕事だっただろう。

 それも攫われて来て奴隷として無理やりやらされてる仕事だ。

 けれども無知だった俺は、そんな彼女の暖かさに感動して、溺れた。


 物凄く皮肉な話だったと、今になってはそう思う。

 だって俺は彼女に会う為、彼女を抱く為に戦場で稼ぎを求めた。

 死なずに敵を殺し、金を得て彼女の居る娼館に行く。

 そしてその敵の中には、彼女の同族であるエルフだって含まれていたのに……。



 そんな生活は三年続いたが、けれども転機が訪れる。

 彼女を、町の領主である貴族、ゲラルド伯が買い求めようとしたからだ。

 それは彼女にとって幸運な……、否、不幸中の幸いであったのかも知れない。

 娼館で不特定多数の人間を相手にし続けるより、貴族に飼われた方がマシな暮らしを送れるだろう。

 しかし俺は彼女と、ミスティラと会えなくなる事がどうしても嫌だったし、一つ心配な噂も耳にしていた。


 ゲラルド伯は兎も角、その子息であるジャーチルは、密かに亜人の剥製を蒐集していると言う噂があったのだ。

 ミスティラを見染めて買い求めたのはゲラルド伯だから、彼女も当面の間はその寵愛を受けるだろう。

 でも長い寿命を持つエルフは、やがてゲラルド伯の精力衰え飽きられれば、或いは代替わりが起これば、子息であるジャーチルの物となる可能性が非常に高い。

 そうなった際にミスティラがどうなってしまうのかを考えると、俺は居ても立っても居られなくなった。


 幸いだったのは、俺の所属する傭兵団はゲラルド伯に何度も雇われており、また個人的にも若くして何度も手柄を挙げた俺の事を、ゲラルド伯は知ってくれている。

 故に俺は、何としても金を溜めるから彼女を買い取らせて欲しいとゲラルド伯に頼み込んだ。

 本来ならば無礼過ぎて首を刎ねられかねない行動だったが、ゲラルド伯は面白がって一つの条件を出してくれた。


 そしてその条件とは、町の闘技場でチャンピオンとして君臨する事

 具体的な条件は、一年後の闘技場のシーズンが終了時に、チャンピオンとして君臨していた者にミスティラを賞品として与えると、ゲラルド伯は言う。

 市民に食と娯楽を与えるのは統治者の義務であり、最大の娯楽である闘技場が盛り上がるなら、エルフの娼婦の一人くらいは惜しくないと、ゲラルド伯は笑って俺にチャンスをくれた。


 勿論俺はその話に飛び付いて、傭兵団を退団し、下級剣闘士として闘技場の門を叩く。



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