level29
やがて冷気がおさまり始める。
彼女が周囲への干渉を止めたからだ。
「……準備運動は終わったわ。
ずっと苦手な炎を使ってたから、少し加減を間違えたけどね。
…これから術に入るけど、命乞いでもする?」
彼女は穏やかな声で俺にそう告げた。
しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の瞳には優しさは見えない。
俺が命乞いした所で見逃す事は無いだろう。
「ハッ!
俺が命乞いなんてする訳無いだろ?
俺は命乞いと嘘は大嫌いなんだよ!」
「凄まじい矛盾ね。」
彼女はそう言って首を振る。
どうやら俺が超絶イケメン過ぎて目眩がする様だ。
俺は続ける。
「……もし仮に、絶対に無い事だが、俺が命乞いをするとしたら、打つ手が無い時だけだ。
この状況で命乞いなんてしねぇよ。」
「……あら、そう……。」
そう言った彼女の表情には、怒りでは無く呆れが浮かんでいた。
彼女には確信があるのだろう。
俺を絶対に葬れるという確信が。
「じゃあ、始めるわね。」
そう言った彼女の挙げていた両手に、上位構造世界帯から強烈な干渉が起き始める。
……確かに、今までの魔術の比では無い。
“手加減されていた”とは違うが、全力では無かったのは見て取れる。
“努力する神託者”とは、ここまで化け物染みた力を発揮するものなのか。
そして彼女は詠唱を始めた。
――静寂よ我は汝の信徒なり――
――我が信奉に応え、その安寧の一端を、愚かなる我が敵に能わん事を――
彼女の詠唱に合わせ、掲げた両手に巨大な冷気の塊が現れる。
…使い回した表現だが、敢えて使わせて貰おう。
その姿は、太陽を掲げた女神の様だ。
――“零下の悪夢”――
彼女の言葉と共に、彼女の作り出した冷気の太陽が、俺に向かってゆっくりと沈み始めた。
“最上級魔術”。
系統魔術の頂点に位置する魔術であり、例外はあるが、実質的には人が生身のみで扱える最強の魔術。
見た目だけはさっきの火炎球に似ているが、威力は桁違い。
彼女なりの皮肉なのだろう。
……恐らく彼女は俺が逃げ出す事を前提に、速度の遅いこの術を選んだ。
その不様な姿を笑う為に。
そして、彼女はこの術の制御を既に手離し、逃げ出した俺を追撃する為に新たな術を用意している。
つまり俺はこのまま術を受けるしかない。
――そう、俺は賭けに勝ったのだ。
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「……全く、何を仰るのかと思ったら。」
そう言って、ルイスは溜め息を吐く。
この性悪な義父の冗談には、いつも反応に困らせられる。
しかし、冗談を言ったはずの義父は、何も言わずにこちらを見て笑みを浮かべていた。
ここに至って、ルイスは彼が冗談を言っていないのだと気付いた。
「……ま、まさか本当なのですか!?」
そうルイスが語りかけると、タナスは頷きながら告げた。
「うむ。もう一度言おう。
奴は初めて会った時、“最強の神託者が殺す気で放った魔術を避けてのけた”のじゃ。」
「バカな!?」
ルイスは声を上げる。
そんな事はあり得ないのだ。
タナスアート=ラファガは、世界最強の魔術師だ。
その実績には、“繁殖王ドゥブロブニク”の単騎討伐という、前人未到の偉業も含まれる。
そんな大魔術師の魔術を、何の修練も積んで居なかった劣化吸血鬼が避ける等あり得ない。
あり得ないのだ。
「……不味い!セシリアが!!」
ルイスはそう言って慌てる。
義父の言った事が事実なら、あの場に居た劣化吸血鬼は、自分の認識しているものとは全くの別物という事になる。
ルイスはセシリアの身を案じ、慌てたのだ。
その様子を見たタナスは、落ち着かせる様に告げた。
「……安心せい。奴は不要な時に人を傷付ける事等出来ん。
出会って直ぐにワシの血を飲ませ、そのアストラル体に“血封印”を施しておる。
ワシが何の保証も無しに魔族を手元に置く訳があるまい?」
そう言って笑うタナスを見て、落ち着きを取り戻したルイスは不満を延べた。
「驚かせないで下さい。タナス様……。」
その様子を見て、一頻り笑い終えたタナスは続ける。
「ラファガ流術式戦闘術の極意とは、なんじゃか分かるか?」
突然の質問に困惑したルイスだが、この義父の話の続きが気になったのか、答えを述べる。
「…術式干渉魔術を用いた、相手の魔術の掌握かと……。
具体的には、魔術を構成している上位構造世界帯の精神干渉に介入し、一部を自身の精神干渉と置き換える事で、“相手の魔術を乗っとる事”では無いでしょうか?」
それを聞いたタナスは、満足そうに頷き続けた。
「そうじゃ。
魔術とは、現実世界の事象を、そのまま再現する訳では無い。
疑似的な事象に置き換え、対象や影響範囲を指定する事で、その利便性を発揮する。
そして、ラファガ流術式戦闘術は、相手の魔術に介入し、精神干渉の中でも対象と影響範囲を指定している箇所を改竄する事で、魔術の掌握を行うのじゃ。
それには究めて高い術式干渉魔術の才覚が必要となる。」
「…そんな才覚を持つのは、タナス様お一人だけですからね…。
相手の精神干渉を読み取り、自身の精神干渉を伝えるというのは、究めて精緻な技術が必要ですから。
そんな事を戦闘中に行うなど、たとえ神託者にも不可能でしょう。」
それを聞いたタナスは、大きな笑い声を上げた。
「ハッハッハッ!
確かに、今まではワシ一人しかおらんかったのぅ?」
それを聞いたルイスの顔が驚愕に染まる。
ルイスはその動揺をそのまま言葉にした。
「ま、まさか……!?」
“術式干渉魔術”
それは、他者の魔術に干渉し、現実世界に落とし込む事象を、自身の望む形へと変質させる魔術である。
マナと魔力消費の観点で多大なメリットのあるこの魔術は、しかし相手の精神干渉を読み解き、術構成を理解し、自身の精神干渉へと置き換えると言うプロセスが必要であり、戦闘中での使用は実質的には不可能と言われていた。
破格の才を持つタナスとて、完璧に相手の精神干渉を読み解いている訳ではなく、ある程度の推察と、自身の神託者としての許容量で補う事でこの魔術を成立させている。
しかし、ユーリはタナスすら上回る才覚を与えられていた。
彼はタナスにその才覚の使い方を学び、そして3年の月日をかけて自身の物へと昇華して行った。
そう、彼は持っているのだ。
相手の精神干渉を読み取り、自身の意思を伝える力を。
自身が翻訳チートと呼ぶ、超常の力を。
「…奴は初めて会った時、無自覚ではあるがワシの精神干渉を感じとり、そしてワシの術を避けたのじゃ。
じゃからこそ、ワシは奴を手元に置く事を決めた…。
奴は、神託者では無い。
真祖血族でも無い。
しかし、ただの劣化吸血鬼でも無い。」
そう言い溜めて、タナスは宣言する。
「奴の名はユーリ=ネルタナス。
世界最強の一番弟子じゃ。」




