明けない夜、その6からの新手のSM。
明けない夜、その5の内容で一部分かりにくかった点を修正してます。
―怖い―
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
セシリアは、その一つの感情に支配されていた。
ゆっくりと近付いてくる絶望は、このままここに留まれば想像を絶する苦痛を自分に与えるだろう。
左手が痛む。
まるで指から先を熱湯に浸けた様な痛み。
この痛みですら、泣き出したくなる程なのに、これ以上の苦痛を味わう事に成る。
時間が止まって欲しい。しかし、それは叶わない。
選ばなくては成らないのだ。
自分か母かを―
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『貴様のやり口には反吐がでる。』
そう、彼は口にした。
自身の絶対的支配者にして、“混沌王”。
ゼーランディアに向かって。
“黒龍”
レイガルドである。
「黒龍!!わが君に向かいなんたる非礼を!!」
そう叫ぶルクスレシアであるが、レイガルドは気にも掛けずに続ける。
『母と娘の慕情を嘲笑い、それを玩具の様に扱う。
正に反吐が出る程の悪趣味であろう。
…昔の貴殿ならば、我よりも先に口にした事であろうに…。』
「貴様ッ!!」
今にも飛び掛からんとするルクスレシアだが、混沌王はそれを笑いながらたしなめる。
『ハハハ、よいよい。
元々こやつは妾に心酔しておる訳ではないからのぅ。』
『…』
そう、黒龍は他の3体の真祖血族とは違い、自身の明確な意思を持っていた。
彼にとって、混沌王は未だに“敵”であり、可能ならばその躰を引き裂きたいのだ。
しかし、それは出来ない。
彼の“魂”に課せられた誓約がそれを許さないのだ。
前龍王、暗黒龍王に混沌王が与えた役割は、“敵対者”。
“絶対服従の敵対者”なのである。
『…では、どうするのじゃ?
黒龍、妾と戦うかえ?』
混沌王は、分かりきった答えを聞く為に黒龍へと言葉を投げ掛ける。
黒龍は憤怒の表情でこう言った。
『…全てはわが君の意のままに。』
それを聞いた混沌王は、満足そうに頷き、微笑んだ。
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神託者の精神的発達は、通常の人のそれよりも遥かに早い。
生まれた時から、そのアストラル体は高い存在力と成長率を持ち、それに付随して精神的にも早く成長する為だ。
とは言え、精神的な成長を延々と続けて、人間を越えた精神性を持つ訳では無いが。
セシリアも例に漏れず、年齢よりも高い精神年齢を持っていた。
その為、同年代の子供達との間に精神的に大きな解離が存在し、セシリアには友達と呼べる存在は居なかった。
これは他の神託者にも言える事だが、こういった能力的・精神的解離が大きな環境下に置かれる事の多い神託者には、選民的思考が根付く事がまま見られる。
自分に劣る人間達が、自分を疎外するのだ。
それも無理からぬ事であろう。
しかし、セシリアはそうは成らなかった。
母が居たから。
シェリスは、セシリアが神託者だと分かると、冒険者としての仕事を控え、可能な限りセシリアと過ごした。
同年代の子供と遊びたがるセシリアを引き留め、神託者と普通の人間との違いを諭し、そして教えたのだ。
正しい“人”としての有り様を。
神託者は通常の人とは違うが、それは特別な事では無い。
ただの個性の一つなのだと。
セシリアは母に学び、神託者でない人とも分け隔てなく接した。
自分を特別視せず、他者を思い遣れる正しい心を持って成長したのだ。
しかし、その心が今のセシリアを縛り付けていた。
セシリアは動けない。
―怖い―
一歩ずつ近付いてくる絶望に、目を背ける事が出来ない。
―怖い―
ここから逃げ出したいのに、出来ない。
―怖い―
母を見殺しには出来ない。
―怖い―
母は私に他者を思い遣れる人に成れと言った。
―怖い―
母の教えを守らなくては。
―怖い―
セシリアは動けない。
しかし、それは覚悟故の選択では無い。
セシリアは、自分と母を秤にかけ、そして結論を出せなかっただけなのだ。
彼女が踏み留まる理由。
それは、母を見捨てる覚悟が出来ないからだった。
そしてセシリアは言ってしまう。
この先の人生を大きく変える一言を。
自分の心を縛る一言を。
「…お母さん…助けて…。」
そう呟いた瞬間、何かが弾ける様な音が母から聞こえた。
そして、シェリスを拘束していた竜人の大魔術師は、彼女が何をしたのか理解し、驚愕する。
「…こやつ…まさか!?」
彼が施した血操術の拘束は、フェムトとの戦闘で消耗したシェリスにどうにかなる物では無い。
彼女はそのままでは、娘に声一つかける事は出来ない。
だから吹き飛ばしたのだ。
自分自身の顔を。
彼女は今まで自分の顔が在ったはずの隙間から、娘に話かけた。
ありったけの優しさと、娘への愛を込めて。
「…セス…お父さんを一人にしないで…。」
「!!」
セシリアの心が溶ける。
母に頼まれたのだ。
私は行かなければ成らない。
セシリアは、走り出す。
母の言葉を守り、そして―
母の命を見捨てて。
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「ハァッハァッ」
セシリアは走った。
「ハァッハァッ」
息があがろうとも、けして足を止める事無く走り続けた。
「ハァッハァッ」
母の教えを守らなくては。
「ハァッハァッ」
“母の言い付けを守らなくては”
セシリアはそれだけを考え走り続けた。
やがて、見慣れた街の景色に辿り着き、彼女は安堵する。
ここはセシリアがいつも来ていた通りだ。
父もこの辺の拠点に居るはず。
ここまで来れば安心だろう。
…そう思い、フッと我に返る。
―私は、何をした―?
自分が何をしたのか。
その事実がゆっくりとセシリアの心を蝕み始める。
「あ…あぁ…」
言葉が上手く出ない。
自分の行いが理解出来ない。
「あ…あぁ…あ?」
苦しい。
凄く苦しい。
「え?…あ…あぁぁ?」
お母さん、助けて。
今、私は凄く苦しい。
「あ…あ…あぁぁッ!!?」
だけど母は来ない。
自分が見捨てたのだから。
「ヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッ!!」
“好血姫の乱”。
その後の被害調査で、エル・フェルダンの人口200万の内、約60万人の人間が犠牲に成った事が判明する。
その中には、アルバーン侯爵家の当主と、ルイスの兄も含まれた。
家督は一度、ルイスの大叔父が引き継ぎ、ルイスは大叔父の養子として入籍。冒険者を引退し、セシリアの傍に居る事を選んだ。
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「…貴方達吸血鬼は…私に母を見殺しにさせた…。」
そう言って泣く彼女の左手は、血にまみれている。
大半は俺の血だが、彼女自身の血も含まれていた。
「グフッ!?」
もう何度目になるか分からない拳が、また俺を打ち抜く。
痛々しいその左手に構うこと無く、彼女は俺を殴り続けている。
「なんであんな事が出来るの!?
貴方達はなんとも思わないの!?」
彼女は泣きながら叫んだ。
感情的で、要領を得ない話だったが、彼女は母を見殺しにしてしまった事で、自分を責めているらしい。
俺は言われた通り思った事を答えた。
「…羨ましいな…。」
「ッッざけるなぁぁぁぁぁぁ!!」
彼女はそう叫ぶと、俺を何度も何度も繰り返し殴り続ける。
「死ね!死ね!死ね!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねねェェェッッ!!!」
…そんな連呼しなくても死ぬよ。
俺が生きるのを諦めかけた時、聞き慣れた声がその場に響いた。
『何やってんの?新手のSM?』




