明けない夜、その4
『ふぁ~っ…。』
彼女は口元に手を添え、あくびを一つした。
その何気無い動作さえ、セシリアの心を惹き付け、まるで海に沈む夕陽を眺めた時の様な、深い感動を与える。
セシリアを一瞥した彼女は、その美しい声で続けた。
『…ヴァイジャよ…。妾は“無関係の者をこの場に入れるな”と、命じたな?
…何故この娘は此処に居る?』
竜人の大魔術師は、恭しく一礼をすると、こう続けた。
「無論、このヴァイジャ、わが君の命に背く事など有り得ませぬ。
私めが彼女を招いたのは、彼女はこの場に於いて関係者であるからに御座います。」
そう言ってヴァイジャは視線を動かす。
セシリアは、その動きを追う様に向き直り、その異形に気付いた。
そこに居た異形。
この場に居る以上、真祖血族ではあろうが、セシリアはその人物を知らなかった。
成人の男性の人族で、身の丈は平均より少し高めだろうか。
黒い服で全身を包み、その頭部には口元だけ出た兜鎧を付けて居る。
伺える口元は美しく、恐らくは非凡な顔立ちなのだろう。
しかし、彼の左半身は焼け焦げており、その容姿の印象より、痛々しさが最初に目に付いた。
そして、彼の足下に目をやったセシリアはそれに気付き、大声で叫んだ。
「お母さんッ!!」
そこには、血にまみれ、地に伏している母の姿があったのだ。
セシリアが叫ぶのを喜悦の目で見ていたヴァイジャはこう続けた。
「…彼女の名はセシリア=アルバーン。
愚かにもわが君に刃を向けた、そこに居るシェリス=ラファガ=アルバーンの実の娘に御座います。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「お母さん!お母さん!!」
セシリアは伏しているシェリスに駆け寄り、必死に語り駆ける。
褒めてくれなくても良い。
叱り付けてくれても良い。
ただただ今は母の声を聞きたかった。
「…セス…?どうして…此処に…?」
聞こえた母の声に、セシリアは喜んだ。
その呼び掛けに応える様に、息も絶え絶えになりながらもシェリスはセシリアに疑問を投げ掛けたのだ。
「お母さんの火炎竜巻が消えるのが見えたの!!
だから私、走って来たの!!
お母さん、帰ろう?
帰ってお医者様に見て貰わないと!!」
「ッ…!」
シェリスは上手く声を出せなかった。
もう会えないと絶望し、もう一目だけでも会いたいと焦がれた愛娘。
…そして、この場には絶対に来ては欲しく無かった愛娘。
シェリスは叱り付けたかった。
『あれだけ待って居てと頼んだのに、どうして来たの!?』
と。
しかし、セシリアを前にして、その言葉は出せなかった。
―会いたかったのだ。
母親として最低かも知れない。
これが物語ならば、侮蔑される登場人物に成るかも知れない。
しかしシェリスは今、娘に会えた事が堪らなく嬉しかった。
愛おしくて堪らなかったのだ。
シェリスはセシリアを強く抱き締めこう言った。
「…ありがとう…セス…。」
セシリアは泣きながら、その言葉に応える。
「う゛ん…うん…。
さぁ、お母さん帰ろう?
一緒に帰ろう!」
「…!」
シェリスの胸が締め付けられた。
彼女は理解している。
決して一緒に帰る事は出来ないと。
この場には、竜人の大魔術師が張り巡らせた高位の空間干渉術式が施されている。
それなのにセシリアが此処に居るのは、彼が意図的に迎え入れたと言う事になる。
そして、“混沌王ゼーランディア”は、決して慈悲等与えない。
『…さて、どうするかのぅ…?』
美しい声が、母娘の会話を引き裂いた。
セシリアは、母にしがみつきながら声の主を睨む。
「お母さんを返して!!」
セシリアは叫んだ。
母と父と自分との、幸せな日常を取り戻す為に。
その様子を見ていた鎧兜の真祖血族が、セシリアを止めようと動いたが、混沌王がそれを遮った。
『よい、フェムトよ。
そなたは少し下がっておれ。』
フェムトと呼ばれた真祖血族は、そう言われると恭しく一礼をして、二人から離れて行く。
混沌王はその様子を見ながら続けた。
『…ふむ、そうじゃのう…お前の母親は返してやろう。』
「!?」
二人に動揺が走る。
混沌王ゼーランディアは、“好血姫”と呼ばれる程に残酷な魔王であり、慈悲等与えないと言われていたからだ。
『妾は約束は守るぞ?
無論代償は必要となるがのぅ。』
―もしかしたら助かるのかも知れない。
本当は、そこまで悪い魔王じゃないのかも知れない。
そう思ったセシリアだったが、続く言葉でその考えは崩れ去った。
『代償は貴様の命じゃ。
両の手足を引き裂き、達磨にした後で逆さに吊るし、死に絶えるまで晒してやろう。
無論、貴様の母親の前でな。
どうじゃ?面白かろう?』
「……………ッ!!!!!」
セシリアの背中に氷柱が差し込まれたかの如き悪寒が走る。
全身の水分が出尽くすかと思う程の大量の汗が流れ、セシリアは動悸で呼吸が苦しくなる。
彼女は言ったのだ。
慈愛に溢れたその顔で。
芸術とも言えるその容姿で。
カナリアの様な、美しい声で。
彼女は言ったのだ。
―私を殺すと。
『さて!では早速とり掛かろう。
フェムト、その娘を捕らえ、四肢をねじり切れ。』
嬉しそうに混沌王がそう言うと、今まで黙っていたシェリスが吼えた。
「ッッふざっっけるなぁぁぁっッ!!」
そう叫びながら、シェリスは剣を構えて混沌王へと迫る。
しかし―
「!?」
シェリスの全身を、赤い糸が縛り付ける。
「“血操術”。
先程フェムトが見せた種族技能じゃよ。
まぁ、ワシの血操術は、奴より数段上じゃがの。
…わが君への無礼。これ以上許さぬぞ。」
ヴァイジャ=ズールー。
竜人の大魔術師は、そう言いながら母親を拘束した。
「…!!」
口を塞がれて、叫ぶ事も出来ず、シェリスはその視線で抵抗する事しか出来無い。
セシリアは余りの恐怖に、その様子を見ても、動く事が出来ずにいた。
『さぁ、殺せフェムト。』
混沌王が続ける。
しかし、フェムトと呼ばれた真祖血族は動かない。
『…どうしたフェムト?』
混沌王は怪訝そうな顔を浮かべ、フェムトを覗く。
それを見たフェムトはゆっくりと、まるで舞台俳優の様な大仰な仕草でこう言った。
「わが君、それは少々勿体ないかと存じます。」




