第二話
このドリントの街で私が擦れ違う人々に挨拶をした場合、ちゃんとした挨拶が返ってくるのはごく僅かである。
私から誰かに挨拶をした場合、大抵は以下のようなケースが発生する。
「こんにちは」
「ヒィ!?」
ケース1、異常に怯えられる。
「こんにちは」
「ーーーーー」
ケース2、呆然としたまま私を見つめる。
「こんにちは」
「お、オレは何もしてませんよ!?だから殺そうとしないで!!」
ケース3、命乞い。
大抵はこの3つの内のどれかが発生し、私としては酷く居た堪れない気持ちになるのだが、その話はまた今度にしようと思う。
とにかく、誰が流したかも分からない変な噂のせいで、私にちゃんとした挨拶を返してくれる者はほとんど居ないのが現状である。
別に挨拶程度そこまで気にしなくてもいいのだが、元日本人としては誰かと挨拶を交わさないと、言い知れない違和感があるのだ。
学生だった頃によくやった挨拶強調週間でもドリントでやるべきか悩みながら街の警備をしていると、不意に遠くの方に見える一つの建物の姿が視界に入った。
「そういえば、まだ今日は彼処に行ってなかったな」
思い出したら早速行動。私は視界に映る建物に向けて近付いて行く。
そして、数分も歩けば木造の大きな三階建ての建物の前に辿り着いた。
「さて……」
自分の姿に何か可笑しな所は無いか、最低限の身だしなみを整えた後、私は木で造られた両開きの扉を手で軽く押して中に入る。
「こんにちは、諸君」
「「「「「こんにちは、隊長」」」」」
中に入ってみれば、そこには私と同じ鎧を着た数人の者達が並んで居り、私が挨拶をすればちゃんとした挨拶が返ってきた。
ここはドリントの街を警備する警備隊の本部であり、一階は受け付けや事務仕事をこなす為の机などが置かれており、二階と三回は住み込みで働く者用の個室があり、地下には犯罪者を収監しておく為の独房などがある。
そして、今目の前で整列をしている彼らは私が参加している警備隊の正式メンバーで、今街で警備をしている者達に代わって何か非常事態が起きた時に対応する為に本部に残っている留守番隊である。
「隊長、これが先日捕まえた者達のリストです。ご確認をお願いします」
「うむ、承知したが……」
近付いてきた男から何枚かの紙を受け取ると同時、目の前の男に視線を向ける。
「ベルナンド。隊長は私ではなく貴公であると、何度もそう言っているだろう?」
「いやまぁ、それはそうなんですけどね……」
私がそう言えば、警備隊の正式隊長である彼ーーーベルナンドは困ったように苦笑を浮かべた。
「もう既に警備隊の中じゃ俺よりもアリステレス様の方が隊長ってイメージが浸透しきってるんで、こればっかりはどうにもならないです」
「そうか……」
ベルナンドの言葉を聞いた私は、少しだけ後悔の念を抱いた。
私はあくまで領主として警備隊に参加しているのであって、正式に警備隊に所属している訳ではない。
だと言うのに、ベルナンドの役職を横から奪ってしまっているような現状に、私は彼に対して申し訳なくなってしまった。
「すまない。本来なら貴公の役目である筈なのに、私のような者が代わりを務めてしまうなんて……」
「いいんです。気にしないでください」
私が彼に謝ると、彼は笑顔を浮かべながらこう言った。
「今の俺達があるのは隊長のおかげなんです。ですから、そんな謝ろうとしないでください」
「ーーーーー」
嘘偽り一つ無い彼の言葉に、私は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「あぁ……ありがとう」
少し間を開けてから、私は照れ恥ずかしい気持ちを胸に抱きつつ感謝の言葉を呟いた。
▼▼▼
簡単な書類仕事や最近ドリントの街で起きた出来事について話した後、隊長は再び街の警備をしに外へと出て行った。
「お疲れ様です、ベルナンドさん。水でも要りますか?」
「いや、大丈夫だ。気持ちだけ貰っておくぜ」
部下の一人からの気遣いをやんわりと断り、俺は与えられた机に座って軽くため息を吐く。
「大分お疲れのようだな」
「あぁ、まぁな」
隣に座っている同僚から掛けられた言葉に軽く頷く。
「隊長にあんな顔されちゃ、こっちとしても困るしかねぇからな」
「くくっ、違いねぇ」
笑いながら俺の言葉に同意した同僚を視界の隅に捉えつつ、俺は昔のことを思い出す。
今からおよそ数年前ーーー俺は冒険者だった。
当時の俺は何処にでも居るような銅級冒険者で、生活費やら装備の整備費を稼ぐ為に来る日も来る日も弱小モンスターを狩り続ける生活を送っていた。
ゴブリンみたいに弱いモンスターを幾ら狩ったところで報酬は高が知れており、その日狩ったモンスターの分だけ冒険者ギルドで安い賃金へと変えられ、それがそのまま今日生きる為の出費へと持ってかれる。
貯えなんて存在せず、その日暮らしで何とかして生きるしかなかった。
銀級や金級ならギルドから直接受ける依頼とかで高額の報酬を貰え、裕福な暮らしをすることが出来るのだが、生憎と俺は銅級。ギルドからの直接依頼なんて来ない。
なら俺も銀級になればいいじゃないかと夢想したことは何度もあるが、その為にはギルドから指定されたモンスターを倒さなければならなかった。
鉄級の場合はゴブリンなどの小型モンスター10体の討伐が条件で、銅級の場合はオークなどの中型モンスター5体の討伐が必要。
じゃあ銀級は?ってことになるのだが、銀級の場合だと鉄級や銅級と比べて難易度がかなり跳ね上がる。
ーーー単独での大型モンスター1体の討伐。
それが銀級になる為の条件であり、俺が銀級になることが出来なかった理由でもある。
大型モンスターは基本的にドラゴン種のことを指しており、その中でも代表的なのは、天空を縦横無尽に飛び回るワイバーン、大地を揺るがすアースドラゴン、水を自在に操るウォータードラゴンの3つである。
この3つのドラゴンは比較的狂暴であり、人間を含めた他の生物を前にしたら直ぐ様牙を剥く。
しかも、ドラゴンである故に力が非常に強く、どいつもこいつも体格がかなり大きいので、暴れだしたら手に終えない。
ワイバーンは空を飛び回りながら人一人分ぐらいはある大きさの火球を口から吐いてくるし、アースドラゴンは地震かと思うぐらいに地面を揺らしながら暴れ、ウォータードラゴンは水を操って大洪水を簡単に起こす。
そんな化け物の相手をたった一人でやらなきゃいけないなんて、命が幾つあっても足りやしない。
だから俺は銀級になることを諦め、近場に居る鉄級でも倒せるゴブリンみたいな弱小モンスターを狩ることで生活費を稼ぐことにしたのだ。
冒険者が冒険をしないなんて笑い話にすらならないが、生きていく為には仕方のないことだと自分に言い聞かせる。
どうして冒険者になろうと思ったのかすら忘れ、現実の前に挫折した人生を送り続けていたある日ーーー俺はあの人に出会った。
ギルドから俺が住んでいる宿屋へと戻る途中、身なりの良い格好をしたガキんちょが突然話し掛けてきたかと思えば、そのガキは俺が何か言う前にこう言った。
ーーー突然ですが、僕と一緒に街の警備をしませんか?
いきなり何を言ってるんだと思ってガキんちょの話を聞いてみれば、驚くべき言葉が幾つも出てきた。
まず、そのガキが新しく就任したドリントの領主であること。
これはガキの身なりが良いことから予め何処ぞの貴族の息子辺りだと予想していたのでそこまで驚きはしなかったが、まだ20歳にもなってない奴が領主になったのは少なからず驚いた。
俺が本当に驚いたのは、そのガキが自ら率先して街の警備をしようとしていることについてだった。
世間的な領主のイメージってのは、住民から税を絞り上げて私腹を肥やすような奴らという感じが強く、俺としても領主は住民の為に何かをしてやろうとする気が一切無いんだろうと思っていた。
だから、領主自身が街の警備をやろうとしていることに対し、俺はただただ驚くしかなかった。
だが、どうしてそれで冒険者の俺と一緒に街の警備をしなければならないのか分からず、その理由を領主のガキに問いただしてみた所、ガキは困ったように苦笑いを浮かべながら警備隊の人数が圧倒的に不足していることを俺に教えた。
よくよく考えてみれば当たり前のことなのだが、この街に居るのはほとんどが冒険者だ。
モンスターと戦ったことも無いような奴が多くのモンスターと戦ってきた冒険者に勝てる筈も無いので、警備隊に入れる人間は総じてある程度の戦闘経験が必要になってくる。
そうなってくると、警備隊に所属するのは極僅かな人間しか居らず、必然的に人間が足りなくなる。
警備隊の人数不足。それによって発生しやすくなる犯罪の数々。それらの問題を無くす為にはどうすればいいのか、領主のガキはこう考えたらしい。
ーーー冒険者には冒険者で対抗すればいい。
俺とて冒険者の端くれ。モンスターと戦ったことなんて幾らでもある。
つまるところ、俺が勧誘されたのはそういうことらしい。
俺を勧誘した理由は分かったが、それで俺が街の警備に参加しなければならない必要性は一切無い。
他の奴を当たってくれと俺が言おうとした時、領主のガキは警備隊に入った時のメリットを話し出した。
三食無料で提供。給料毎月支払い。住み込み可。街の警備中に傷を負ってしまったなどの場合の手当。その他諸々。
……その話を聞き終えた時、俺はいつの間にか領主のガキの手をがっちりと握っていた。
どうやら俺は自分で思っていたよりも今の生活に不満を抱いていたらしい。
無意識の内に了承してしまい、はっと我に返っても後の祭り。領主のガキは嬉しそうに俺の手を握り返した。
こうして、なし崩し的に始まった街の警備の仕事。これは壮烈を極めた。
犯罪者で溢れかえったドリントから犯罪者を無くすのを目的に、領主のガキを筆頭に俺達は来る日も来る日も犯罪者を捕縛する毎日に明け暮れた。
最初の頃は一人や二人ぐらいしか捕まえられなかったが、日にちが経てば気が付いた時には十人ぐらい捕まえられるようになっていた。
ーーーだが、領主のガキは俺の遥か上を行っていた。
俺が犯罪者を一人捕まえてる間に、領主のガキは何人もの犯罪者を既に捕まえている。
見るからに重そうな大剣を、まるで軽い枝でも振るかのように片手で振り、もう片方に持った大盾で敵からの攻撃を一切食らわないように防御する。
はっきり言って、魅せられた。その戦い方に、その動き方に、一挙手一投足に至るまで。
自分よりも年下のガキの方が強い。その事実が悔しくて、俺は必死になって戦い続けた。
そうして、日に日に減っていく犯罪者。そして、それとは逆に領主のガキの勧誘によって徐々に増えていく警備隊。
たった数人しか居なかった警備隊も、数年も経てば百人以上まで膨れ上がった。
どいつもこいつもが元冒険者であり、俺みたいに現実に挫折した奴や、怪我や病気を負ってしまった奴、何かしらの訳ありがある奴など、様々な内情を抱えた奴らがここには居る。
そして、それを知った上でここに居る全員を領主のガキは受け入れた。
現実に挫折した奴らの愚痴を黙って聞いたり、怪我や病気で冒険者を止めた奴らの治療を施したり、訳ありの奴らをちゃんと気にかけたり。
俺達みたいな奴らを支え、それでいて誰よりもドリントの街と住民達のことを愛している。
そんな人だからこそ、俺達は敬意と感謝を表して隊長と呼んでいるのだ。
「たくっ……いっそのこと役職上の警備隊長の座も隊長に渡すか?」
「いや、隊長は領主なんだからダメだろそれは」
「分かってる。言ってみただけだ」
思わず愚痴ってしまった言葉を隣に居た同僚に聞かれてしまったが、心の底から思っている言葉なので嘘は当然無い。
子供だった隊長はこの数年で大人としての風格と領主としての貫禄を手に入れ、今じゃすっかりドリントの領主として誰からも認められている。
今はもう昔みたいに俺達に対して敬語を使ったりするようなことは無くなったが、俺よりもよっぽど隊長面が似合うようになった。
「なぁ、俺と隊長、どっちの方が隊長面してると思う?」
「あ?そりゃ隊長に決まってんだろ」
「だよなぁ」
念の為に確認してみたが、やはり俺の認識は間違っていないようだ。
「40越えた見るからに厳ついおっさんが、20そこらの若者に負けるなんて聞いたら、他の街の奴らは笑うと思うか?」
「さぁな。そんなことより仕事するぞ。書類はまだ残ってんだからよぉ」
「おう、そうだな」
軽く無駄口を話ながら、俺達は仕事へと取り掛かった。




