第六話
朝のくだらない一件が終わってからしばらくした後、朝食を食べるいつもの時間となった。
屋敷で働く使用人達と料理人達が続々と集まり、数分後には屋敷に居る全員が食卓へと並んだ。
本来ならここで私が一言だけ話してから一斉に食事を始めるのだが、皆が集まっているということもあって今日はこの屋敷に新しく住むことになった少女の紹介を先にすることにした。
「この少女のことをマリアやクラスターから聞いた者も居るだろうが、知らない者の為に簡単な紹介を一応しておく。私の妹であるエリィ・マクガイアだ」
「…………」
先程までの戦争で大分疲れてしまったのか、少女は私の隣で身体ごと食卓に伏せていた。
「見ての通り、まだ幼い少女だ。何かと貴公らに迷惑を掛けるかもしれんが、並大抵のことなら目を瞑って許してやってくれ。だが、叱らなければならない時は容赦なく叱ってもよい。それが本人の為にもなる」
「「「「かしこまりました」」」」
まだ子供だからある程度の許容はしてやるが、だからと言って何もかもを許していい訳ではない。
ダメな事をした時はちゃんと叱ってやらなければ子供は学習しないので、私がそういう意味を込めて言葉を発すると、少女と私を除いたその場に居る全員が頭を下げた。
「うむ。では、今日も一日己の役目を確と果たせ」
「「「「はっ!」」」」
私のその言葉を締めとして、皆それぞれ朝食を食べ始めた。
▼▼▼
「だーうー……」
アリステレス達が食事をしている最中、一足先に朝食を食べてしまったエリィは気怠そうな声を上げながらチラリと顔を横に向ける。
「リーク、貴公の妻は元気か?確かそろそろ出産の時期だった筈だが」
「えぇ、元気すぎてお前本当に妊婦か?って言ってやりたいぐらいですよ。家に帰ってからの掃除やら飯の支度とかは全部俺がやらなきゃいけないんで、毎日が大変ですよ」
「まぁそう言うな。貴公はこれから一児の父になるのだから、弱音を吐いていては生まれてくる我が子に失望されてしまうぞ?」
「あはは。そうならないように頑張ります」
エリィの隣に居るのは実の兄であるアリステレスなのだが、アリステレスは今エリィなど眼中に無いとばかりに他の者達と楽しそうに話していた。
「むー……」
楽しそうに笑うアリステレスを見て、エリィは非常に面白くない気分を味わっていた。
エリィにとってはアリステレスが誰と何を話そうが別にどうだっていいのだが、兄が実の妹を構わないというのは如何なものだろうか。
(やっぱりこんなやつキライよ!!)
怒りで頬を膨らませ、無言の抗議をするエリィの視線にアリステレスは気付かず、そのことが更にエリィを苛立たせる。
(はぁ……ワタシの想像していた兄様と全然違う……)
思わずそう思ってしまったぐらい、エリィにとっての理想の兄と現実の兄であるアリステレスは全く違った。
自分のことをいつも気に掛けてくれる優しい兄。困った時には直ぐに何処からともなく駆け付けてくれる兄。自分に悪いことをしようとする奴らを一人残らず倒してくれるカッコイイ兄。
それがエリィの理想の兄。生まれた時からいつか会えることを楽しみにしていたエリィにとって、その理想が叶ってほしいとずっと思っていた。
だがーーーその願いは叶わなかった。
現実の兄であるアリステレスは、エリィからしたら『野蛮な他人』としか思えなかった。
出会った時に剣で斬り掛かられ、言葉では妹と言っているが実際は自分のことをただの少女としか見ておらず、決めつけは自分など居ても居なくても構わないと言わんばかりの態度。
アリステレスは明らかに自分のことを妹として認めておらず、ただ居候しに来た幼い子供としか認識していない。
実際にアリステレスからそう聞いた訳ではないが子供の直感とでも言うべきか、エリィはアリステレス本人さえ気付いていない、無意識の内にそう思っていることに勘付いていた。
本人にそのことを言えば、アリステレスは謝りながらちゃんとエリィのことを妹扱いしてくれるだろう。
だがそれは、アリステレスの本心からの行動では無い。エリィに言われたから仕方なくやってるだけの、謂わば仕事と同じでしかない。
そうじゃない。エリィが求めているのは決して偽りの兄妹仲じゃないのだ。
エリィにとってアリステレスはこの世界でたった一人しか居ない唯一の兄。出会いこそ最悪ではあったが、今までずっと会うことの出来なかった兄と仲良くなりたいのは妹として当然の気持ちだった。
(どうすればいいんだろう……)
アリステレスと仲良くなりたいと思う反面、アリステレスへの嫌悪が邪魔をする。
相反する二つの感情にエリィが苛まれていると、不意に隣に座っていたアリステレスが席を立った。
「片付けはお任せください」
「あぁ、任せた」
アリステレスから一番近い席に座っていたマリアがそう言うと、アリステレスは食器をマリアに任せて食堂から出ていく。
まだ皆が食べている途中だというのに、アリステレスは何処に行ってしまったのか気になったエリィはマリアに声を掛けた。
「ねぇねぇ」
「……何でしょうか、妹様」
声を掛けられたマリアは心底嫌そうな顔をしながらエリィの方を見て、エリィはマリアの態度に若干むっとしたが、ひとまず我慢することにした。
「兄さ……あいつは何処に行ったの?」
アリステレスのことを兄様と呼びそうになったのを慌てて言い直したエリィをマリアはジト目で見ていたが、直ぐにため息を吐いた。
「アリステレス様はこれから街の警備をしに行かれるのです」
「え?」
マリアからの言葉を聞いて、エリィは純粋に首を傾げる。
昨日エリィはクラスターと屋敷を探検していた時にアリステレスがドリントの正式な領主であることを聞かされており、領主が何なのかエリィには分からなかったが、とにかくこの街で一番偉い人だという認識はしていた。
そして、街の警備は警備隊という所で働いているお兄さんお姉さん達が悪い人達と戦う仕事であり、普通の偉い人は危ないから絶対にやらない。そうエリィは両親から既に教わっていた。
だからこそ、この街で一番偉い筈のアリステレスが街の警備を何故するのか、エリィには分からなかったのだ。
「アリステレス様は誰よりもこの街のことを愛されている御方。自ら街の警備を行うのは当然と思っていらっしゃるのです」
「だけど、街の警備って危ないんでしょ?」
エリィが投げ掛けた当然の疑問に対し、マリアは然りと頷いた。
「本当なら領主が危険である警備をするのは以ての外ですが、アリステレス様だけはそんな常識に囚われないのです。何故なら……」
「な、何故なら……?」
物凄く真剣な表情で言葉を止めたマリアに、エリィが思わず緊張した面持ちで続きを待っていると、不意にマリアが柔らかな微笑みを浮かべた。
「アリステレス様は誰にも負けない、最強の御方ですから」
何処か誇らし気な顔をしながらマリアがそう言うと、エリィを除くその場に居た全員が同時に頷く。
この場に居る者だけでなく、この街に住む者にとってアリステレスは間違いなく最強であり、例え剣で心臓を貫かれても死なないビジョンが容易に思い浮かぶ為、ドリントの住民にとってはアリステレスが街の警備ごときで危険に晒される筈が無いと確信していたのだ。
「でも、やっぱり危険なんじゃ……」
だが、アリステレスが領主になってから現在に至るまでの長年の日々で植え付けられた洗脳にも近いその考えを、新参者であるエリィは受け入れることが出来なかった。
エリィが他の者達との考え方のズレに戸惑っていると、一人の男が席を立ち上がる。
「なら、危険か危険じゃないか実際に坊っちゃんの仕事風景を見てもらった方が手っ取り早いな」
「え?」
困惑するエリィを見ながら、立ち上がった男ーーークラスターは悪戯小僧のような笑みを浮かべ、マリアは額を手で覆いながら深くため息を吐いた。




