第一話
ーーーこの世で最も強い人物とは誰か?
もしそう問われた時、人によっては様々な答えが出てくるだろう。
己こそが最も強いと言い張る者も居れば、これまで自分と関わってきた人物の中から最も強いと思う者の名を出したり、風の噂で聞いた人物の名を出す者も居るだろう。
明確な答えなんて存在しない以上、誰の名前を出すかなんて人によって違うのは当たり前。むしろ違っていない方がおかしいと言えるだろう。
だが、とある街において、そのおかしいと言える事態が起きていた。
ーーー荒くれ冒険者の街『ドリント』。
名前からして分かる通り、その街には『冒険者』と呼ばれる職業に就いた多くの者達が暮らしている。
冒険者とは、モンスターと呼ばれる異形の存在を倒す為のエキスパートであり、下から順に鉄級、銅級、銀級、金級の4つの階位がある。
駆け出しや初心者レベルの強さしか持たない冒険者ならば鉄級、中級冒険者レベルの強さならば銅級、上級冒険者レベルの強さならば銀級、人間を超越したレベルの強さならば金級という風に割り振りされている。
この階位を上げる為には『ギルド』と呼ばれる冒険者を統括する組織から指令される依頼を達成するしか無く、その難易度はかなり高い。
世間的には銀級になるだけでも数十年は掛かると言われており、金級なんて世界中を探しても数人程度しか居ないと言うのだから、如何に階位を上げるのが難しいのか少し考えれば誰でも分かるだろう。
さて、そんな冒険者達が住むドリントだが、この街では力の優劣が全てを決めると言っても過言ではない。
冒険者は力が全て。自分よりも強い者には素直に従うが、自分よりも弱い者には決して従わない。それが冒険者間での暗黙のルールだ。
冒険者が多く暮らしているドリントでもそのルールは適応されており、いつも街のあちこちで冒険者同士のいざこざが発生している。
喧嘩や怒声が常日頃から止まないことから、ドリントは"荒くれ冒険者"の街と呼ばれるようになり、その評判からか街の外から余所者がやって来ることは滅多に無い。
そんな危険な街ではあるが故に、これまで殺人や窃盗などの犯罪が起きた事は数え切れない程にあったのだが、不思議なことに現在は目立った犯罪が一度も起きて無いという。
今も昔も荒くれ者だらけだと言うのに、どうして現在は犯罪の一つも起きないのか。その答えは冒頭でした質問にある。
この世で最も強い人物とは誰か。ドリントに住む人々はこのような質問をされた時、誰もが決まって一人の男の名前だけを挙げる。
曰く、その男は武力、知識、心、全てを兼ね備えた最強。
曰く、その男は世界中の誰よりも美しい。
曰く、その男は冒険者ではなくドリントの街を治める領主。
曰く、曰く、曰く……他にも多くの言葉が出てくる。
その男について聞いた時、ドリントに住む冒険者達からは様々な感情が見てとれるだろう。
畏怖、恐怖、嫉妬、憧憬、羨望、服従、数えるだけでもまだまだある。
力を最も重要視する冒険者達が、冒険者でもないただの領主に対してそれだけの感情を抱いている。
ある意味では異端とも言えるその領主はいったい何者なのかーーーこれを読んでいる貴方が少しでもそんな風に気になったのなら、己が足で直接ドリントに来てみればいいだろう。
そして、刮目して見よ。荒くれ者達のーーーいや、世界の頂点に君臨する男。『白銀の狼』の姿をーーー
ーーー『ドリントの英雄』より一部抜粋。
▼▼▼
晴れ渡る青空の中で大きく照り輝く太陽からの陽射しを身体に浴び、少しばかり冷たくも心地の良い風が余分に熱せられた体温を奪っていく。
気温もぽかぽかと暖かく、昼寝するには持ってこいの日和の中ーーー
「ふざけてんじゃねぇぞテメェ!!」
「あぁ!?ふざけてんのはテメェの方だろうが!!」
今日もドリントの街では、一つのいざこざが起きていた。
「いいか、このリンゴは俺様が先に取ったんだ!後からやって来たくせして寝言ほざいてんじゃねぇぞ!」
「はぁ?そのリンゴは元々俺が買おうと思ってたヤツなんだよ。金だって店主に渡してあったし、後で食べようと思って俺がちょっくらトイレに行ってる間に人の物を盗みやがって……返しやがれ泥棒野郎!!」
街行く人々が通る往来で始まった、冒険者姿の二人の男の喧嘩。原因はどうやら片方の男が持っている赤いリンゴのようだ。
「誰が泥棒だ!?こちとら金払ってこのリンゴを買ったんだ!テメェは他のリンゴでも買いやがれ!」
「ざけんな!先に金払っていたのはこっちだ!テメェこそ他のリンゴを買いやがれ!!」
たかがリンゴ一つで大人気なく言い合う男二人に対し、その様子を見ていた人々は呆れた顔をしながら歩き去っていく。
「あの……二人とも落ち着いてください」
「「あぁ!?テメェは引っ込んでろ!!」」
店の前で口喧嘩をする二人を果物屋の店主が何とかしようとするも、既に頭の隅までヒートアップしている二人は聞く耳を持たない。
「いいぜ、だったらこうしようや。戦って勝った方がこのリンゴを手に入れる。負けた方は素直に引き下がる」
「上等だ。ぶっ殺してやるよ」
ついには実力行使にまで及び、二人の男は互いに腰に差していた剣を抜いた。
一色触発の空気が流れ、今にも殺し合いが始まりそうになった刹那ーーー
「貴公ら、ここで何をしている?」
剣を抜いた二人の男の間に、いつの間にか一人の人物が現れていた。
「なっ……」
「ぐっ……」
突然の出現に驚いた二人の男達は身体を動かそうとしたが、その首に突き付けられている物に気付き、動くのを止めた。
「事情を話して貰う前に、双方剣を収めよ」
右手に持った大剣の切っ先と左手に持った大盾の先端を二人の男の首に突き付けたままそう告げたのは、白い鎧を身に纏った男だった。
肩まで伸びた銀の髪、餓えた獣のように鋭く光る深紅の瞳、彫像のように美しく整った顔立ち、雪のように真っ白な肌。
まるで有名な絵画でも見ているかのような美しさを持った男を、二人の男は知っている。
いや、二人の男だけではない。このドリントに住む者なら誰しもが必ず知っているドリントの領主。
その見た目から『白銀の狼』と名付けられ、人々から最強と謳われた男ーーーアリステレス・マクガイア。
その本人が今、目の前に居た。
「もう一度だけ言う。双方剣を収めよ。三度は言わん」
アリステレスからの視線を受け、沸騰していた水を氷風呂にぶち込んだかのように、急速に冷静な思考回路を取り戻した二人の男は大人しく剣を収めた。
「素直で結構だ」
男達が剣を収めると、アリステレスは男達の首から刀身が成人男性一人分ぐらいはある大剣と、人一人隠すには充分な程の大きさをした大盾をゆっくりと降ろした。
「さて、何があったか聞かせてもらおう」
そう言って微笑みを浮かべるアリステレスを前にして、二人の男達は同時に思う。
俺、死んだなーーーと。
▼▼▼
ーーーこの世界に来てから二十余年の月日が経った。
まるで私がこの世界の住人じゃないような言い方だが、事実私はこの世界の住人ではない。
いや、正確に言うならば身体はこの世界の物だが、中身はこの世界で生まれた物じゃない。
私は別世界からこの世界に来た者。俗に言う『異世界転移者』である。
元の私は何処にでも居るような普通の日本男児であり、名前や経歴等は覚えていないが少なくとも日本で習った知識は確実に覚えている為、間違っても私の妄想などということはありえない。
ある日目が覚めたらこの世界に居て、普通の一般人Aでしかなかった私は誰とも知れない赤子になっていた。
何処ぞの二次小説に出てくる主人公のように誰かを庇って死んだ訳でも、神様と呼ばれる存在に出会った訳でもなく、唐突にこの世界に来てしまったのだ。
異世界転移をし、愛しそうに私へ笑いかけるこの世界の両親の笑顔を見て、私の心は懺悔の思いで押し潰れそうになった。
未来ある赤子の人生を奪ってしまったことや、自分達が愛した子がもう居ないことを知らない両親に対して、私はただただ心の底から謝ることしか出来なかった。
そして、罪滅ぼしとして私は身体を奪ってしまった赤子の代わりにこの世界で生きていくことを決意した。
奪った本人が何を勝手なことを言っているんだと、我ながらそう思いはするも、こうしなければ私は前に進める気がしなかったのだ。
この世界で生きていくのを決意した後、私の心に訪れたのは恐怖という感情だった。
私はこの世界について何も知らない。とんな生物が生息しているのか、どんな街が存在しているのか、どんな法律が存在しているのか、他にも何一つとして知らないのだ。
知らないということは恐怖に繋がる。誰かがそんなことを言っていたが、まさにその通りだった。
だからこそ、私はまずこの世界について知ることを始めた。
父や母と言った誰かに聞いたり、時には本を使って自分で調べたりして、とにかく私は知識を集めた。
そうして調べた所、この世界はゲームとかによくあるファンタジーな世界だということが判明した。
ゴブリンやスライムというRPGには定番のモンスター、それらを討伐する冒険者、冒険者を統括するギルド、魔力を生まれ持った一部の人間のみ使える魔法等々。
レベルやステータスなどの概念は存在しなかったが、これだけでも充分すぎる程にファンタジーだろう。
だが、そんなことはどうだっていい。重要なのはそこじゃない。
一番重要なのは、この世界では人の命が安いということだ。
人の命が簡単に失われ、弱者は強者に従うしかなく、力が無いというだけで罪になる弱肉強食の法則。それが今私が居る世界の全てである。
これだけでも相当悪い事実だというのに、私が生まれたドリントの街はその法則が特に現れていると言うのだから、絶望の度合いは約二倍以上にも及んだ。
幸いにも私は領主の息子である為、直ぐに冒険者としてモンスターと戦ったりすることは無かったが、それも時間の問題だった。
私の両親は領主になる前は凄腕冒険者であったらしく、私も直ぐにモンスターと戦わせようと考えていたのだ。
戦闘のせの字も知らないド素人が、モンスターと戦って勝てる訳が無い。
そう自覚していた私は、両親に頼んで稽古を付けてもらうことにした。
痛いことは進んでやりたくなど無いが、生死が掛かっていては背に腹は代えれなかったのだ。
そんなこんなで、数年間両親に厳しい稽古を付けてもらった後、私は初めてモンスターと戦った。
ゲームに出てくる敵モンスターの中でも定番のゴブリンと向き合い、初めてのモンスター討伐に緊張で内心ガチガチに震えながら戦いを挑んだ。
感想から言えば、呆気なかったとしか言い様が無い。
剣を一振りしただけでゴブリンの頭が四散してしまったのだから、驚く外無かった。
生きる為とは言え、一つの生命を奪ってしまったことに直ぐに気付き、罪悪感で心が一杯になった。
その時から今に到るまで何体も何十体も多くのモンスターを討伐してきたが、罪悪感が心から消えたことなど一度足りとも無い。
だが、これでいいのだと。この罪悪感のおかげで自分はまだ普通の人間だと自覚することが出来るのだから、これでいいのだと自分に何度も言い聞かせながら日々を過ごしていた。
そして、この世界における大人として認められる16歳に私がなった日、両親が私を残して何処かへと消える事件が発生した。
リビングにあるテーブルには両親からの置き手紙があり、そこには私に家督を譲ることや領主の座を譲り渡すことが書かれていると同時に、以下のようなことが書かれていた。
ーーー『お前も大人になったことだし、久しぶりに母さんと一緒に冒険してくるわ。いつ帰ってくるかは分からんので、留守番よろしく!』
本当に父をぶっ殺したいと思ったのは、後にも先にもこの時だけである。
とにもかくにも、16歳という若さで領主になってしまった当時の私の言うことを聞く人間はほとんど居なかった。
それもその筈であり、大人になったとは言え16歳のガキんちょに大人しく従う者なんて居ないに決まっている。
しかし、それでは領主としての面目が丸潰れになってしまう。
じゃあどうやって言うことを聞かない大勢の大人達を従わせればいいのか。その方法を考えた結果、私はある一つの行動に出た。
ーーー私自ら街の警備に参加したのだ。
当時のドリントは日常的に犯罪が起きるのは当たり前と思える程に治安が悪く、見るからに柄の悪い奴らが堂々と大通りを歩き回っていた。
日本の治安の良さを知っている私からしてみれば、この街の治安は余りにも酷すぎた。
日本みたいにとは言わなくても、せめて誰もが安心して暮らせるぐらいまでは治安を正すと同時に、ドリントの住民達に私のことをアピールしようと考えたのだ。
数年の年月は掛かったもののその考えは見事功を奏し、ドリントの治安は昔と比べて格段に良くなり、住民達は私のことを新たな領主として認めてくれた。
他の街には当たり前のようにあった平穏な生活がドリントの街でも出来るようになり、私もその平穏を享受できるようになった。
全てが万々歳に終わった……かと思われたが、実は一つだけ障害が残ってしまった。
それがーーー
「どうか!どうか命だけは勘弁してください!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
今目の前で起きている命乞いである。
どうにも、これまで犯罪者や犯罪を起こそうとした者ばかり相手にしてきたせいで、私に剣を向けられた者は殺されてしまうという噂がこの街では流れているらしい。
誰が流した噂かは知らないが、全く以て心外である。私は別に誰彼構わず殺そうとする殺人鬼などでは無いと言うのに。
それに、私が死刑にするのはあくまで殺人などの重犯罪を起こした者だけであり、食い逃げなどの軽犯罪程度ならば捕まえて要注意をするだけで解放するので、間違っても殺すなんて真似はしない。
……ドリントの住民に向けて何回もそう説明したのだがなぁ。
「明日5歳の娘の誕生日なんです!だからどうか!命だけは勘弁してください!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
今にも殺し合いをしそうになっていた二人の男から事情を聞いた後、彼らは命乞いを始めたのである。
……ちなみに余談だが、これまで私に向けて命乞いをしてきたのは優に100人を越えていたりする。
「……今回は不問とする。以降気を付けるように」
「「ありがとうございます!アリステレス様!!」
腰を90度まで曲げ、綺麗なお辞儀をする二人の男を尻目に、私は街の警備を続ける。
……店の鏡に映る自分の目が、死んだ魚のようになっていた気がしたが……恐らく気のせいだろう。うむ、気のせいに違いない。
……気のせいだといいなぁ。