三草山の戦い
木曽義仲が後白河法皇との政争に巻き込まれ、
あえない最期を遂げるまでの混乱に乗じ、
立て直しに成功した平家は
かつて清盛が首都に定めた福原にまでその勢力を回復させ、
虎視眈々と都・京を伺うのでありました。
この動きを見た後白河は頼朝に対し
平家の追討と三種の神器の奪還を要請。
頼朝はこの要請を受諾。
弟である範頼と金吾(義経)を播磨の国に派遣するのでありました。
この時、金吾は平家の背後を狙うべく
京からの最短ルートで福原を目指す範頼本隊と別れ、
山道を迂回するのでありました。
迎えた2月4日。
播磨の国。三草山にて。
金吾:「あいつら(平家)。また眠っておるぞ……。」
正成:「学習しないにも程がありますな……。」
金吾:「兄・範頼本隊が京から真っ直ぐ福原を目指しているため、
反対側にある播磨にまで兵を向けるとは思っておらぬのかもしれぬが
それにしても大将の知盛は味方に苦労させられるものよの。」
正成:「陣構えだけを見れば
守り切るに十分の布陣と兵力を有しているにも関わらず
肝心の守備隊の長が夜襲に対し、
全くと言って良い程
何もしていないのでは……。」
金吾:「我々も気をつけねばならぬな。」
正成:「左様。西国は平家の本貫地でありますので。油断なく。」
金吾:「ここで(平安時代には無い)秘密兵器を用いるまでも無い。
ひと思いに踏みつぶすまでよ。」
と富士川、倶梨伽羅峠と同じ過ちを犯した平家の三草山守備部隊に襲い掛かる金吾軍。
寝静まっていた平家軍は
抵抗らしい抵抗を見せる間も無く壊滅。
前哨戦は金吾軍快勝の内に幕を閉じるのでありました。