後白河VS義仲による知恵比べ
木曽義仲が京に入ってから4ヶ月経過した寿永2年11月。
金吾秀秋(義経)と稲葉正成(弁慶)は京の手前。
近江の国に滞在していた。
金吾:「まさかこんな事態になるとはな……。」
正成:「平家を追い払い、京に入りさえすれば全て解決。
と考えるのが普通と言えば普通のことなのでありますが
なにぶん。京は未だ飢饉の傷跡癒えず。
食糧不足に喘いでいるところに
恩賞を期待し、
命を惜しまず働いた兵士が大挙として乱入。」
「働きに見合った恩賞を得ることが出来なかった兵士の目の前に
木曽や北陸ではまず見ることのない
きらびやかな世界が拡がったとしましたら
たとえ厳しい軍律を課したとしましても
従わないモノが出て来ることは
ある意味仕方の無いことではありますね……。」
金吾:「加えて京の都には後白河と言う
煮ても焼いても食えぬ御仁が鎮座されている……。」
正成:「義仲にせよ。清盛にせよ。
命のリスクを背負い、
権力簒奪に動くのは
天皇を護衛をするために戦っているのでは無く、
自分のやりたいことをやるために戦うのでありまして
これが中国でありましたら
勝ったモノに徳があり、
皇帝になることが出来るのでありますが
日本で皇帝(天皇)になることが出来るのは
天皇家だけでありますし、
天皇家だけは系譜を変えることが許されない。
状況にありますので
せめて自分の言うことを聞いてくれるモノを帝の位に。
となるのはある意味自然な流れなのでありますが。」
金吾:「後白河はそれを許さない。
その後白河に自前の武力があればまだ良いのかもしれませんが
それが無い。
その都度。衝突を起こし、案の定敗れるのでありますが
さすがに法皇に手を掛けることは憚れるため、
身の安全が確保された『幽閉』の処分で終わってしまう。
で。静かにしていればそれで終わるのでありますが
相手側の失策を待って
衝突した相手と仲の悪い有力者を見つけては
その有力者を焚きつけて
衝突した相手。清盛や今回の義仲を追討させる。」
正成:「で。今回選ばれたのが兄の頼朝公であり、
指揮権を委ねられたのが金吾殿であった。と……。」
金吾:「兄上の身分が回復されたことは良かったのではあるが
……このまま近江に留まっていたほうが良いのかもしれぬな……。」
正成:「……にしても義仲も哀れでありますな……。
4か月前。あれだけ歓迎されて迎えられたにも関わらず
今や。京の民から疎んじられ、都に腰を落ち着けることも許されず。
法皇に焚きつけられ、平家追討のため西国に赴かねばならない。
加えてその法皇が
義仲追い落としのため。
兄・頼朝公上洛の糸を裏から引いている。
その知恵比べに巻き込まれることを兄・頼朝公は嫌って
金吾様を派遣されたのでありましょうね……。」
金吾:「法皇との知恵比べに敗れ、武力に訴え。
法皇を幽閉した義仲の周りからは」
正成:「義仲に味方するモノ既に無く。
四面楚歌の状態で我が軍が滞在する近江の国を突破し、
北陸を経由して木曽に戻る以外
彼が生き残る術は残されていない。」
金吾:「我が軍もけっして人数が多く無いこと。
加えてあくまで目的は平家を降すことにある故。
手の内を明かすわけには参らぬ。
今しばらく様子を見ることに致そう。」
翌寿永3年1月。
孤立無援となった義仲に対し兄・頼朝は、
頼朝弟であり、金吾の兄である範頼の部隊を派遣。
義仲の勢力圏である北陸への撤退を模索するが
既に範頼本隊が京の目の前に達していたため、
戦うことを余儀なくされた義仲は武運拙く戦いに敗れ、
近江の国でその生涯に幕を下ろすのでありました。