検非違使
金吾・秀秋(義経)が西国で平家との戦いに明け暮れていた頃、
鎌倉の兄・頼朝は、挙兵当時。
自らと同格の位置づけで活動していた甲斐源氏・武田家を屈服させるなど
東国における地位を不動のモノとし、
更に弟である範頼。金吾・秀秋(義経)の活躍もあり、
平家を滅亡に追い込んだ功績が認められ、
従二位にまで昇進するのでありました。
そんな頼朝でありますが
つい2、3年前までは流刑人。犯罪者として取り扱われていた身。
更にその20年前には戦乱に敗れ、囚われの身となり、
そのまま刑場の露となるばかりに追い込まれた身。
その状況から流刑人としてではありますが
命を長らえことが出来た原因を作ったのが
かたきである平家側。身内からの言葉。
その20年後。
助けられた平家を打ち破ったのが
本来であれば20年前。
平家により命が絶たれることになっていた頼朝が采をふるう源氏一族。
この20有余年の時を経て頼朝が会得したモノ。
自らの身に少しでも危険が及ぶ可能性のあるものは全て排除するべし。
甲斐源氏を屈服させることを手始めに
頼朝挙兵の報を受け、身の危険を感じ、
頼朝に対し恭順の意を示して来た
父・義朝を騙し討ちにした長田親子に対し、
一度は赦し。
働かせるだけ働かせておいて
平家滅亡と同時に
用済みとばかり。
父・義朝騙し討ちの責を問い、処刑するなど
頼朝自身の経験から
脅威となり得る存在に対し、
厳しい態度で臨む頼朝でありました。
そんな頼朝の目に
一ノ谷、屋島。そして壇ノ浦で
神掛かった活躍を魅せる義経がどのように映っていたのでありましょうか……。
時を同じくして
京で院政を敷くのは後白河法皇。
保元・平治と自らの命を秤に掛けての戦乱を勝ち抜いてきたこの法皇。
その後、可愛がってきた平清盛の専横に手を焼き、
全国各地で陽の当たらぬ立場に追いやられていた
平家で無ければ人では無い面々に対し、
以仁王を使い挙兵させ、
平家を西国に追いやることに成功するも。
今度は入って来た義仲が言うことを聞いてくれない。
仕方なしに義仲と同じ源氏の頼朝を促し義仲を滅ぼし、
更には平家をも滅亡に追いやることに成功する。
このまま頼朝の独り勝ちとなった場合。
果たして頼朝は法皇である私。後白河の言うことを聞いてくれるのであろうか?
そんな不安に駆られる後白河の目に
京の治安維持。
西国で勇躍する金吾・秀秋の姿はどのように映ったのでありましょうか?
そんな2人の思惑も露知らず
(……また禁欲の日々が待っているのか……)
と京へ戻った金吾・秀秋(義経)のもとに
後白河法皇から参内するよう報せが届くのでありました。
法皇:「こたびのいくさでの活躍。大義であった。」
金吾:「勿体ないお言葉。恐悦至極存じ上げます。」
法皇:「今回。呼び出したのはほかでも無い。
そなたに褒美を使わそうと考えておる。」
金吾:「ありがとうございます。」
法皇:「義仲放逐から都の治安維持。
更には平家滅亡に至るまでの成果より
金吾そなたを『検非違使』に任じようと考えておる。」
金吾:「……検非違使にございますか?」
法皇:「……なにか不満でもあるのか?申してみよ。」
金吾:「私。金吾・秀秋は
今でこそ小早川を名乗る一介の土豪でしかありませぬが
元は藤原家に名を連ねる豊臣の出身。
その美しき流れを受け継ぐ私。金吾秀秋に検非違使とは
役不足にも程がございます。」
法皇:「そちは豊臣でも無ければ小早川でも無い。源氏の一員であるぞ。
武士である源氏一族にとって
最も名誉ある仕事が天皇を護る仕事。
検非違使であるぞ。
そして豊臣が藤原の一族である。
と言うことをワシは今。初めて聞いたのであるが
そのような姓を持ったモノは
少なくとも12世紀末の段階では存在しておらぬぞ。
なんぞ西国でそなたは悪い風にも吹かれたのであるか?」
金吾:「(……本来関白の血筋たる私が)検非違使では……」
と難色を示す金吾に根負けした(呆れた)のか
後白河法皇は
金吾を検非違使に任官し、
頼朝の対抗勢力にすることを諦めるのでありました。
『金吾。後白河からの任官要請を拒絶。』
の報を聞いた鎌倉の頼朝は
金吾の行動を称賛。
報・連・相を一切行わず
身勝手な行動を取って来たこれまでの金吾・秀秋の振る舞いを全て不問とし、
これまで通り
西国の抑えとしての活動を金吾・秀秋に要請するのでありました。
一方。2人の思惑に気付かぬ金吾・秀秋は
(……兄者はまた。私に禁欲の日々を強いるのであるか……)
と深い溜息をつくも、
胡散臭い宮中参内をしなくても良くなったこと。
うるさい梶原景時が鎌倉に戻ったこともあり、
相変わらず民に対しては何もしない。
ただ争い事だけは治めるよ。
平安のヒトから見ると秘密道具で。
を駆使し、
平穏な日々を過ごすのでありました。
(……あれ!?)