壇ノ浦の戦い
金吾・秀秋(義経)の新兵器により内裏を破壊された平家がたは屋島を離れ、
志度に移るも。この地も金吾率いる小早川隊に攻略され、
追われるように瀬戸内を西へ西へ移動したのち、
平家がた西側の拠点である彦島に辿り着くのでありました。
一方、先に九州に渡っていた範頼隊も同地の平家がたを掃討することに成功。
その結果。平家がたは彦島に押し込められ、孤立する状況に追い込まれるのでありました。
機は熟した。
と判断した源氏がたは平家がたが籠る彦島沖での戦いを決意。
その軍議の場で問題となったのが
先陣を務めるのは誰なのか?
真っ先に手を挙げたのが梶原景時。
それに異を唱え、自らが先手を務めると反対したのが金吾・秀秋。
先だって行われた義仲追討戦において、大将である兄・範頼が先陣を務めたことを
『大将のやることではない』
と大兄・頼朝に讒言し、
兄・範頼が一時。遠征軍から外される要因ともなった
大将格が先陣を務めること。
そしてその讒言を行った主が、今回先陣に手を挙げた梶原景時本人であることを
金吾・秀秋も知っていた。
知っていたにも関わらず敢えて大将格の1人である金吾・秀秋が
最もうるさい景時を押し留めてまで先陣に名乗りを挙げたのか?
この判断が、かつての兄・範頼同様。
金吾・秀秋を苦しめることになるのでありますが
それはのちの話として
壇ノ浦にて源氏と平家は激突。
開戦当初。潮の流れも手伝って平家がたが源氏を押し込む場面が続き、
金吾・秀秋も後退を余儀なくされるのでありました。
しかしそれは金吾・秀秋と小早川軍の調略でありました。
金吾:「なぁ正成。」
正成:「なんでござりますか?殿。」
金吾:「前の屋島で国崩し使っただろ。」
正成:「えぇ。扇子1枚狙うフリして。
厳密には狙ったのではありましたが
なにぶん。精度に難のなる代物でありまして
明後日の方向に飛んで行ってしまった結果。
屋島の内裏を直撃してしまい、
危うく三種の神器を破壊してしまったのでは?
と心配されたあの国崩しが何か?」
金吾:「どうやらあの模様が大兄の頼朝にも知られたらしくてな……」
正成:「あんな得体の知れぬ者が?ですか……」
金吾:「その発信源がどうやら景時らしいのだ……」
正成:「彼は頼朝公のお気に入りでありますからな……」
金吾:「その景時と先陣争いで大喧嘩になってしまってな……」
正成:「(景時を)先陣に立てて置いて見捨てる手もありましたが」
金吾:「ただそれをやると、今は味方となっている
ほかの水軍が何をするかわからぬ故。
戦国時代は瀬戸内海を縦横無尽に荒らしまわっていた
小早川である我らが先陣を務め、
勝利を確実とせねばならなかった。」
正成:「今は押されておりますな……」
金吾:「それは今から使う兵器を
誰にも知られることの無い場所に誘い込んでいることであり」
正成:「この地で平家を根絶やしにする。
でありますな……」
彦島に押し込まれ、
乾坤一擲の戦いを挑む平家軍は潮の流れに身を任せ、
源氏の大将格たる金吾・秀秋の首目掛け
一気呵成に押し寄せるのでありましたが
そんな平家に待っていたのが
小早川水軍直伝の
『焙烙火矢』
天正4年。第一次木津川口の戦いにおいて織田水軍に壊滅的打撃を与え、
信長に鉄張りの船を建造するアイディアを産み出すキッカケともなった
手投げ爆弾。
木造船を燃やすこと以上に
破裂した際、飛び散った破片により兵を殺傷することを目的としたこの兵器を
天正年代より400年近く昔の平家軍は知る由も無い上、
潮の流れは金吾・秀秋軍に向かって一直線。
しかも平家軍は密集している。
哀れ平家軍は身動きが取れぬまま
退くことも許されず
焙烙火矢の餌食となるのでありました。
この戦いにより平家がたは壊滅。
自らの死を悟り、海に入水するモノ多数ある中、
三種の神器の1つ。刀剣は安徳天皇と共に海中深くに沈んでいくのでありました。