レベッカのナイフ
今回は心情描写がデリケートでした。
注意深く書いたつもりですがどこかまだ納得いきません。
「ヴィンス、どうしてお前が襲ってくるんだ」
予想だにしていなかった展開に動揺を隠し切れないベル。
向けられている銃口に対抗する武器がなくても、ヴィンスの顔には未だ笑みが浮かんでいる。
まだ策が尽きていないのか、揺るぎない意志があるのか、飄々とした佇まいでベルの目の前に立っている。
真っ直ぐに長かった髪を切っていてもその表情と姿は変わらなかった。
ヴィンスはベルの質問に答える。
「敵……と言うのは少し違う。俺はあんた達を傷付けるつもりでも、何かを強奪しようというつもりでもない。こうする事でしかあんた達の夢は覚めないから俺は立ちはだかろうとしているだけなんだ」
「なんだと?」
ベルの頭にブルーレイクの単語が思い浮かぶ。
ベル達が幼い頃から信じていたブルーレイクをヴィンスはただの言い伝えだと否定していた。
口で言ってもわからないと悟った彼はこうして襲ってきたのだ。
かと言って彼の行動が自分やレベッカを理解させるとはベルは思えなかった。
これがヴィンスなりのやり方なんだという事はわかるが、それがわかるだけで夢を幻と悟る事はなかった。
相変わらずブルーレイクの存在を、神にすがって救いを求めるように信じていた。
「お前が殺すつもりでも強奪するつもりでもないのなら、俺達もそうしてやる。今すぐ、このトレーラーから降りるならな」
「……それは有り難いが遠慮させてもらう。それじゃあ俺がここまでする意味が全くないんでね」
慈悲深く見逃そうと言うのにヴィンスは無謀にも断った。
不敵に笑うヴィンスはまだ諦めていないようで、まるで策でも残っているように思える。
何かしてくるかもしれないと悟ったベルは、銃を構えている手の片方でナイフの柄を指先で擦る。
腰のホルスターに収められているナイフはいつでも抜ける状態にあり、奇策にも対応できるようになっている。
「……それなら仕方ないヴィンス。仲間と思っていたがここで死んでもらう」
容赦なく銃を向けるベルにヴィンスは何も返答しない。
不利にあるこの状況を楽しんでいるかのように、ただ笑みだけを浮かべていた。
そのヴィンスを黙らせるかのようにベルは銃を発砲した。
その弾丸をヴィンスはオキシゲンナーの力で弾き、ローブから抜いたナイフを腰だめにベルへ飛び掛かる。
先日の施設でフンベルクの銃撃を避けた時と同じ策を用いて不利な状況を覆した。
ところが同じ策ゆえにベルには読まれていた。
指先で触っていたナイフを素早く抜くとヴィンスの斬撃を受け止める。
銃を弾いて丸腰にする算段だったヴィンスは計算が外れてしまった。
「ヴィンス、その手は既に俺も目にしているぞ」
「予想はしてたさ」
力でヴィンスのナイフを払い退けるとベルは彼の胸に向けて拳撃を放つ。
反撃を予想していたヴィンスはそれを避け、逆に拳の勢いを利用する。
足を払って、胸に当てた手を突き上げ、あまり力を使わずにベルを投げ飛ばしてしまった。
トレーラーの上から落ちたベルは横に転がって静止する。
命に別状はないようだが、すぐには起き上がれないようになっていた。
トレーラーを運転していたレベッカがベルの落ちた姿を見てブレーキを踏んだ。
停止したトレーラーからゆっくりとヴィンスは身を降ろし、立てないベルに歩み寄る。
残り一挺になっていた拳銃を取り出して銃口をベルに向けた。
「心配するな。さっき言った通り、殺しはしない。それでも少しの間は拘束させてもらうがな」
ヴィンスが荷物から取り出した手錠を見せて言うと、立ち上がる力を残していないベルは為す術なく従った。
背中に回させた両手を拘束させると、そこでトレーラーから降りてきたレベッカとセリカが現れる。
ベルを助けに来たようだがヴィンスが拘束している姿を見てレベッカは驚いているようだった。
「どうして敵がヴィンスなの?」
「その反応、もう2回目だよ」
ベルを拘束し終えたヴィンスはレベッカに銃口を向ける。
彼女もサブマシンガンを両手で構えて二人は対峙する。
互いに銃を向けている二人の間を、砂漠の風が冷たく吹いた。
「ベルもレベッカもよく聞いてくれ。あんた達が夢見ているブルーレイクは大人が子供に言い聞かせるおとぎ話と同然だ。サンタクロースと同じで、大人の優しさから生まれた伝説なんだよ」
「だからって私の妹を死んだ事にしろって言うの? 私にはもう家族が妹一人しか残っていないのに、最後の生き甲斐だって言うのに死んでた事にしなきゃいけないの?」
「辛いかもしれないが俺はそうしなければいけないと思ってる。このまま南を目指しても時間を無駄にするだけ。町が見付かればいいが何も見付からず命を落とす事だって有り得るんだぞ」
ヴィンスの訴えは飽くまでもベルとレベッカ二人の為を思っての事だった。
なぜここまでしてレベッカやベルを心配しているのかは未だ定かではなかったが、確かにヴィンスの心にあるものであって真実だった。
「セリカ」
ヴィンスが銃を手にしたまま呼ぶと、レベッカの背後にいた彼女は相変わらず冷静に「はい」と返答する。
「ブルーレイクが存在する確率を二人に教えてくれ。先日俺に言ってくれた数字だ」
セリカはアンドロイドらしからぬ様子で言葉を言い留めていたがやがて告げる。
「……ほぼ0%です。地上に残されている建築物はほとんどがワープゲート事故によって消滅しています。湖が残存しているとは考え難いです」
レベッカは何も言い返せずにただ両手の拳銃を握り締めている。
溜めている目でヴィンスを睨み、震える手で銃を向けている。
「実は薄々気付いてはいたんだ」
ベルが呟くように言った。
「事故でも干上がらなかった湖を奇跡という言葉を使って言い伝えておけば道理が立っているように聞こえるが、奇跡は甘ったれる為にあるものじゃない。最初から奇跡にすがろうなんて考えるべきじゃなかったのかもしれないな」
語るベルの目は今までになく悲しげだった。
ブルーレイクに居ると言われていた父親を今は亡き者と認めなければならない。
それに気付かなければならないとわかっていたのだが、ベルには切っ掛けも意志もなく、そのまま認められずにここまで来てしまっていたのだろう。
ようやく認める事のできたベルの悲しみはヴィンスにも伝わっていた。
「……ヴィンスの言う事を認めるの?」
ブルーレイクの夢から覚めたベルの一方で、レベッカは涙を流してヴィンスを否定し続ける。
「やめてよ……私と一緒に旅していたのに、ブルーレイクを否定するなんてやめてよ……」
妹と過ごしたかつての記憶を思い出され、どんどん涙が流れてくる。
ヴィンスに敵意を向けているのにも関わらずに涙を頬から溢してしまう。
妹との重いでは大切なものだったはずなのに今は彼女自身を苦しめる足枷になってしまっていた。
「ブルーレイクは存在しないんだ考え直してくれ」
「黙りなさいヴィンス」
言い留められてもヴィンスは続ける。
「俺の事は嫌ってくれて構わない。認めるのは辛いだろうがわかってくれレベッカ」
「黙ってと言っているでしょう?」
「ここまでしているのにどうしてわかってくれないんだ」
「黙って……!」
口調が荒くなってしまっていたがこれでもレベッカは未だ感情を抑えているつもりだった。
ヴィンスはブルーレイクを否定する存在だったがどこか憎む事ができなかったし、数日の旅を共にした間柄であったし、既に自分達の仲間だと思い始めてしまっていたのである。
例え喧嘩をしてしまった関係とはいえヴィンスを敵と思う事はない。
今だって自分達の事を考えて彼が行動していると少しでも理解しているから、サブマシンガンの引き金を引く事ができないのだ。
しかし次の言葉でレベッカの感情に火が点いてしまった。
遂にヴィンスはレベッカを怒らせてしまったのだ。
「妹の事はもう忘れるしかないんだ」
レベッカは妹の事だけは聞き逃す事ができなかった。
ブルーレイクを目指してここまでやってきた原動力であったし、残り一人となった家族を簡単に忘れる事などできなかった。
この言葉だけはレベッカにとって無視できず、ヴィンスへ襲い掛かる事となってしまったのである。
砂漠は再び闘いの場となる。
サブマシンガンの発砲まではしなかったものの、レベッカは隠し持っていたダガーナイフに持ち替えてヴィンスへ駆ける。
彼女が抵抗しても銃の発砲だろうと推測してオキシゲンナーによる力を構えていたヴィンスは、ある意味予想を裏切られる攻撃だった。
レベッカの斬撃を一撃二撃回避して、ようやくポケットから取り出したナイフで攻撃を受け流す。
しかしレベッカの攻撃速度は予想を大きく上回り、ナイフの斬撃を弾いても弾いても次々と繰り出される攻撃にヴィンスは翻弄された。
そして防御が追い付かなくなった時、ヴィンスは胸を殴られて倒される事となった。
レベッカに馬乗りされてナイフを首筋に突き立てる。
刺されてはいないものの、ヴィンスはレベッカに優位を作らせてしまった。
「さっきの言葉を撤回しなさい。妹もブルーレイクも存在してるって認めなさい。じゃなきゃ私はあなたの首を跳ねるわよ」
怒りに任せて馬乗りになったレベッカがナイフを武器にして脅し文句を言い放つ。
ところがそれでも彼女の表情は涙まじりで悲しげで、言葉に似合わず弱々しかった。
ナイフを突き付けられていてもヴィンスの表情にはまだ余裕さを残している。
攻撃の勢いに負けて倒された事には驚いたが、彼女にはやはり自分を殺せないとどこかで確信しているようだった。
「俺を殺しても現実は何も変わらないぞ。ブルーレイクも妹の夢も現実にはならない」
「現実にならなくたっていいじゃない! 夢を見て生きていたっていいじゃない!」
「ブルーレイクの夢はレベッカを破滅させる夢だ。見ていてはいけないものなんだ」
「どうしてヴィンスにそんな事言われなきゃいけないのよ! 私は今まで妹に会う事をどんな気持ちで望んでいたかわからない癖に、どうしてあんたにそんなお節介な事を言われなきゃいけないのよ!」
やりきれない想いをぶつけるように拳をヴィンスの胸にぶつける。
話の脈絡があやふやになってもヴィンスを怒鳴り、何度も何度も震える小さな手がレベッカの気持ちを訴える。
涙はぽろぽろと顔から溢れ、彼女はその顔を隠すようにヴィンスの胸で隠す。
構えていたナイフも力なく落ち、悲しみを堪えるように手はヴィンスのローブを握り締めて捩れた。
そしてレベッカは大きな声を上げて慟哭した。
ヴィンスはそれ以上何も言わなかったし、彼女に何もしなかった。
ただされるがままに泣き付かれて、ぶつけられる想いを受け止めていた。
そうする事ぐらいしか自分にはできる事がないと思っていたし、彼女も望んでいないだろうと思っていた。
二人を見ていたベルも同じ気持ちであったし、何もできなかったのである。
レベッカが泣いていた時間は随分と長かった。
ヴィンスに訴える言葉がなくなっても悲しみから解放された訳ではなく、涙は止め処なく流れた。
太陽が上って来る時間まで泣き続け、仕方なくベルがトレーラーに戻るように言ってようやく二人は離れる事になった。
それでもレベッカの気持ちはまだ収まっていないようで、トレーラーに戻ってからも一人っきりになってしまい、しばらく誰とも話そうとはしなかった。
ヴィンスもベルもセリカさえも、しばらく悲哀の気持ちに包まれていたのである。