古い記憶と薄い紅茶
コールドスリープされていたヴィンスは記憶がワープゲート事故の起きる以前までで途切れている。
雲が裂ける程の強い光が空を覆い、熱線が木々や高層ビルを焼き、盾になる形で爆発を遮った月が無数で巨大な破片となって地表に降り注ぐ。
軽減された爆発も尚凄まじい威力で地球に襲い掛かり、風が砂を吹くように人の顔を、体を消し飛ばしていった。
それがヴィンスの最後に見たものであり、それからコールドスリープ装置にて長い眠りに着いていた。
事故から二十年以上が経った今でもその光景は強烈な記憶として残っていて、事故以前の事を思い出そうとするとその悪夢に苛まれてしまう。
それでもヴィンスにはこの世界でも役に立つ重要な記憶が残っていた。
かつて人々は年々薄くなっていくオゾン層の代わりにオゾンシールドを展開する事を計画していた。
実用化もされず公表さえもされなかったが、この装置のある施設を警備していたヴィンスはこの事実を記憶していた。
そのヴィンスは今、その施設を探し出して装置を起動させるべきなのではないかと考えている。
オゾンシールドを展開して紫外線を防ぎ、植物を植えられるようにする。
それが自分に与えられた役目であり、運命だと思い始めている。
それらの考えに至ったのがコールドスリープから目覚めて日が二度上ってきた時だった。
太陽の下で活動できない四人はトレーラーを停め、ヴィンスはコンテナにシュラフを敷いて寝ている。
コンテナは生活に必要なものやバイク、更には武器などの荷物で狭苦しかった。
電気ランタンで照らしていても光が行き届きにくく、寝るスペースを作るのにもやっとの事である。
しかしこのトレーラーで四人過ごすには仕方のない事だ。
運転席とコンテナで男女で分けているが、運転席もコンテナも狭さは変わらないはずだった。
とはいえこのスペースではなかなか寝付けず、ぼんやりと考え事をしてヴィンスが時間を過ごしていると、何かを手に持ってきたレベッカが荷物の影から現れた。
「紅茶を淹れたから置いておくわ」
伏し目がちで気まずそうな表情をしたレベッカはそれだけ言って紅茶のカップを荷物の上に置いた。
ヴィンスが考え事をやめて紅茶を見るとカップからゆらゆら湯気が立ち上っているのが見える。
しかし話をする気はないらしく、レベッカはすぐにその場を立ち去ろうとしていた。
「レベッカ」
ヴィンスが呼ぶとレベッカは返答もなく振り向く事もなく、ただその場に立ち止まった。
紅茶を持ってきてくれたものの、目を合わせてくれないところを見ると、まだ夜に口にした事を怒っているのだろう。
「君を傷付ける気はないが、やはり俺にはブルーレイクが存在しているとは思えない。証拠と言えるものが何一つないんだ 」
言及を憚ったが自分を曲げずに正直に伝えると、レベッカは一度だけヴィンスに目を向けた。
その時の目は、怒っているとも言い難く、悲しんでいるとも捉え難く、動揺しているという言葉が一番に合う目をしていた。
「言い伝えを信じないなんておかしい人……今までそんな人に会った事なかった……」
それだけ言い残すとレベッカはすぐに歩いていってしまい、運転席へと戻ってしまう。
光を遮ったコンテナは再び沈黙が広がり、夜よりも暗いコンテナへと戻っていった。
このまま彼女に嫌われたままなのかと思うと、ヴィンスは自らを嘲るかのように口を緩める。
仕方ない事と納得してはいるものの、表情は苦しげに笑っている。
レベッカが持ってきてくれた紅茶を訝しみながら手に取った。
持ってきてくれたが深い意味などなく、ただ人数分淹れたから事務的に持ってきたとヴィンスには思える。
それどころか毒でも盛られるくらい嫌われているのではないかと心配して、注意深く紅茶を見ていたが、実際飲んでみると何事もなかった。
しかし味はわざとらしく不味かった。
嫌がらせのように味が薄く、まるで変に味付けしたお湯を飲んでいるようだ。
温かいからまだ良いものの、紅茶とはとても言い難く、お湯を飲んだ方が増しなものだった。
「げぇ〜……」
思わず声を漏らす。
仕返しに嫌がらせされたとは言え、レベッカを恨めしく思わずにはいられない。
これから眠るというのにこのような紅茶を飲まされて、酷く後味が悪かった。
太陽が沈んで目覚めると、ベルとレベッカは既に起きて運転席にいた。
今日も南を目指してトレーラーを走らせるべく、セリカも起動してレベッカの隣で待機している。
電動エンジンの燃料タンクは日中に充電を済ませたようで、一日動かすのには十分くらい燃料があった何らかのトラブルがあるかもしれないが、今日一日走る準備は万端に整っている。
「みんなおはよう。出発する前に話を聞いてくれ」
ヴィンスが挨拶すると共に言った。
三人はその場に座ったまま振り向く。
「俺はこれからみんなと離れて北へ行こうと思う」
三人は驚かなかったが、疑問はあるようで次々と質問した。
「どうして? 北へ行って何をしようっていうの?」
「俺は昔、人工のオゾン層を作り出せる装置を警備していた事がある。その施設へ行ってオゾンシールドを展開したいんだ」
「その装置があるのは確かなのか? そもそも施設が今も残っていると言えるのか?」
「実際のところ賭けだ。昨日俺がブルーレイクの事を言ったように確かな証拠はない。でも、先日の施設と同じように地下にあるから残っているかもしれないんだ」
「ヴィンスが行かなくちゃいけないのか? ヴィンスがやりたい事なのか?」
「オゾンシールドの事を知ってる生き残りはたぶん俺だけだと思う。自分にしかできない事があったら、やりたいと思うし誇りたいんだ」
ヴィンスが質問に答えるにつれて二人は彼が本気である事を確信した。
ブルーレイクに行こうとしている自分達とヴィンスが同じように思えたのである。
「わかった。それなら昨日言った通りバイクと食料を持っていけ。酸素玉も一個だけ持っていっていいぞ」
「有り難いな。支援を感謝する」
ベルに感謝を述べた後にふとヴィンスがレベッカを見ると、彼女は複雑そうな曇った表情をしていた。
昨日ヴィンスの頬を殴って喧嘩した事を考えているのか、ヴィンスとぎくしゃくした関係になった事を悔やんでいるのか、とにかく何か言いたげな表情をしていたのである。
しかし口を頑なにつぐんで、何を言いたいのか尋ねても答えそうにないので、ヴィンスはどうする事もできないままただその顔を見ている事しかできない。
それでも自分が酷い事を言ったから仕方ない、ブルーレイクを否定する事は妹を否定する事だったのだからと、一人で納得していた。
ベル達から譲り受けた物資をまとめたヴィンスはそれをコンテナのバイクに詰め込んだ。
スロープを使ってコンテナからバイクを降ろし、砂漠の砂の上にタイヤを乗せる。
足を跨がせてバイクに乗ると、ライトを点灯させて夜の砂漠を照らした。
「北にはこの前の族がいるはずだからできるだけ避けて通った方がいい。銃の腕があるからあまり心配してないが、頭の良い奴は族達にもいるはずだからな」
「わかってる。銃も何挺か支援してくれているんだ。大丈夫だよ」
見送ってくれる三人にそう言ってからヴィンスはエンジンをスタートさせて、オフロード仕様のロングスイングアームを起動させる。
電動エンジンの静かなアイドルが聞こえてきた。
「それじゃあ三人共、世話になったな」
「こちらこそ。気を付けてな」
「……ヴィンス、気を付けて」
ベルとレベッカとの挨拶を済ませるとヴィンスはアクセルグリップを捻ってバイクを走らせる。
砂漠を行くバイクはゆっくりと加速し、北の地平線へと進み始めた。
ヴィンスが背後を振り返ると、三人は長い間、自分を見送ってくれていた。
出会ってまだ二日しか経っていないが、ヴィンスとの別れを惜しむように目を向けられている。
喧嘩してしまったにも関わらず三人は仲間と認めてくれていた事が喜ばしく、ヴィンスは自分がしようとしている事に躊躇いを感じ始めてしまっていた。
「……まさか、すぐにまた顔を合わせる事になるとは三人も予想しないだろうなあ」
タイヤが砂を巻き上げて走る中、ヴィンスは独り言を呟いた。
三人と別れたものの、目的とは違う事を考えている彼は、どんな事になるのか予想しながらバイクを駆らせていた。
まだヴィンスは、申告通り北へと向かっていた。