荒廃した世界の成り行き
施設の外に留めていたトレーラーには四人が乗った。
元々乗ってきた三人に加えて、コールドスリープされていたヴィンスが乗っている。
夜が明けつつある砂漠を、一台のトレーラーがヘッドライトを照らしながら寂しく走っている。
運転しているレベッカは軽くアクセルを踏み込みながら、ダッシュボードの隙間に挟んで貼り付けてある写真を見ていた。
幼い女の子が写っている随分と古い写真を物思いにふけるかのように見詰めている。
前方に注意を向けてはいるものの、その写真でいつかの遠い記憶を思い出しているかのようだった。
「レベッカ」
ヴィンスが服を着替えに荷台へ向かったの見計らって、ベルは彼女を呼んだ。
ハンドルを握るレベッカは前を向いたまま「どうかしたの?」と言葉を返す。
「ヴィンスを信じて連れてきてよかったのか?」
ベルの疑問は冷静な考え方から思い付くものだった。
ヴィンスを連れてきてしまったが、ここまでする義理はない。
それどころか、助けるか助けないか以前の問題に、彼に寝首を掻かれて酸素玉やトレーラーを奪い取られるリスクだってある。
これまでこの弱肉強食の世界を生き残ってきた者の中には、そういった非道な人間が何人もいた。
むしろ、そういう下劣な者の方が生き残ってこれる世界なのだ。
ヴィンスもそういう類の人間と疑ってかかるべきなのである。
「ベル。あなたが疑うのもわかるけど、私はヴィンセントを仲間だって信じる事にしたわ」
「それはどうしてだ?」
「丸腰の人間を撃たなかったからよ」
先程の施設で、ヴィンスは丸腰のレベッカ達を撃とうとしなかった。
酸素玉の事だけを考えているなら、人の命の事など考えずに殺して酸素玉を奪っているはずだった。
例え、襲いかかった族達を倒そうとも、それをしなかったヴィンスは少なくとも簡単には人を殺さない者だと信用できるとレベッカは考えているのである。
「あの時、私が両手を上げてヴィンスの前に出たのは、ただ自分が助かろうとしていた訳ではないのよ。ヴィンスがどんな人間か確かめていたのよ」
「でも、本当に信じていいのだろうか」
ベルが半信半疑に言った直後、後方の貨物車から派手な音が聞こえた。
コンテナの壁に何かがぶつけられているかのような金属の音。
貨物車ではヴィンスが着替えているはずだが何かあったのだろうか。
不穏な空気を感じた二人は身構える。
やはり彼を信じてはいけなかったかもしれないと二人は考えたが、その中でヴィンスは長い髪を揺らしながら堂々と現れた。
先程までの薄い服とは違う、革の服装を身に付けているヴィンスは他の誰かを抱えている。
首を締め上げて強引に連れてきているのだが、その者は先程襲ってきた族の一味だった。
「こいつが俺の着替え中に襲ってきたんだが、あんたらの仲間じゃないよな」
笑顔を浮かべていたヴィンスだったが、その表情には怒りがこもっていた。
今にも族に殴りかかろうとしていたのだが、族の額には既にこぶができていた。
コンテナの中で一度殴られているようである。
ベルが呆気に取られながらヴィンスの質問に答える。
「いや、そいつはさっき襲ってきた族の仲間だ。どうやらこの車に潜んでいるように言われていたらしいな」
「それじゃあもう少しくらい殴ってもいいな」
怯える族を容赦なく2、3発殴る。
その度に「やめて!」「ひぎぃ!」などと族は叫び声を上げていたが、ヴィンスは笑みを浮かべながら拳をぶつける。
それからトレーラーのドアを開けると、走っている車から外へと族を放り出した。
落ちた族は砂の上を転がったが、それでもまだぴんぴんしているようで、すぐに立ち上がる。
こちらに向かって「覚えてろよー!」と叫んでいて、そんな定番の捨て台詞と共に族の姿は小さくなっていった。
「殺しはしないのね」
子供の喧嘩を見ているかのような滑稽さにくすりと笑うレベッカは言った。
「殺す必要まではないだろ。それに殺すのだって疲れるんだぜ?」
ぼやくヴィンスにレベッカはまた小さく笑う。彼女だけでなくベルもまた口元を緩めていた。
「それより、俺が眠っている間に何が起きたのか説明してくれ。高層ビルが立ち並ぶ町がどうして砂漠になってるのか、族を取り締まるはずの警察がどうしてなくなったのか、俺はまだ知らないんだ」
ヴィンスは真剣な表情で言う。
しかし堅い表情になるのも無理はなかった。
ヴィンスの感覚では、昨日まで街の中にいたのに一晩で世界が砂漠や荒野になっているようなものなのだ。
驚きを隠す事などできるはずもない。
実際に施設の外へ出た時、ヴィンスは大変な動揺を見せた。
少しの出来事では慌てる事のないヴィンスだったが、さすがに世界が変わってしまったとなっては愕然としてしまったのだ。
「いいわヴィンス、私達が知っている事だけ世界がどうなったのか話してあげる」
一変して表情が険しくなったレベッカを前にしてヴィンスは席に腰掛けた。
「始まりは十年以上前のワープゲート事故だったの。地球と火星の間にワープゲートを繋げて火星をテラフォーミングしていく計画だったのだけれど、それに失敗して大規模な事故が起きた。地上の生物はほとんど死滅してしまって、その生き残りも環境汚染で生きられなくなってしまった。特に植物の滅亡は空気環境を変えられなくなってしまい、二酸化炭素だらけになってしまったの。酸素がなくなったからオゾン層もなくなって、防がれていた紫外線が地表まで降り注ぐようになったのよ」
「そんな中で人類はどうやって生き残っているんだ?」
「ヴィンスも知っての通り、私達の背中にはオキシゲンナーが呼吸の代わりになっているでしょう? 事故以前、空気環境の汚染を続けていた人類は、肺に直接酸素を送り届けられるオキシコネクタルを開発した。その新素材を使ったオキシゲンナーを背中に取り付けて、空気中の酸素を取り込まなくても済んでしまう……つまり呼吸しなくなった人達が現れ始めたの。その私達だけが生き残る事ができた。紫外線を避けて日中に休眠し、夜に活動するようになったの」
「呼吸が必要だった人間は全員滅んだのか?」
「……私達の知っている限りそうよ。もしかしたらどこかにオキシゲンナーを作っている人達がいるかもしれないけど、可能性は低いわ。私達が持っている酸素玉だって、酸素以外は使い回しなのよ。酸素玉そのものとオキシゲンナーを作っている人達は今までで聞いた事もないわ」
容赦なく告げられた事実に、ヴィンスは座っていた椅子へ更に深く座り込み、動揺を隠すように顔を手で覆った。
そして嫌な汗を掻いたのか顔を手で拭う。
何を考えているのか、誰の事を思い出しているのか、目を頑なに閉じていた。
それから冷静を取り繕った声で尋ねる。
「それで、オキシゲンナーに必要な酸素玉……オキシゲンスフィアを奪い合う世界になったと」
「そうね。酸素を作れない族は奪って生きるしかないわ」
「酸素を作れる機関も新しい酸素玉を量産できる訳ではないから、ただ分ける訳にはいかないと」
「そうね。限られた人しか得られないわ」
ヴィンスは顔を抑えたまま黙り込んでしまった。
あまりにも困窮した世界に言葉を失ってしまい、何も言う事ができなくなってしまった。
これからどう生きていけばいいのか、世界が立て直せる可能性や希望は残っていないのか。
ヴィンスはそんな疑問を考えているのかもしれない。
その沈黙の束の間、ベルが髭の生えた顎を擦りながらヴィンスに尋ねた。
「俺達にも少し質問させてくれ」
「ベル……という名前だったな。何を聞きたいんだ?」
椅子に深く座ったままヴィンスは答える。
「さっき族に銃を撃たれた時、弾丸の軌道を逸らして避けていたな。あれはどうやったんだ?」
先程の施設でヴィンスはフンベルクに銃を撃たれた。
弾丸が体を貫かれるはずだったが、何故かヴィンスの目の前に見えない壁が現れたように弾が弾いた。
ベル達はその事がずっと気になっていたのだろう。
しかしヴィンスは質問に答えられなかった。
「わからないんだ。目の前で起こっていてもどうして弾が逸れたのかわからなかった。むしろ俺がこの事を質問しようと思っていたくらいなんだ。だから何かわかる事があったら教えてほしいんだが」
そう言ってもベルもレベッカも答える事はできず、堪らず黙り込んでしまった。
尋ねたヴィンスも簡単には答えが出ないと踏んでいたので納得してしまう。
「もしかしたらオキシゲンナーによる現象かもしれません」
その一方、セリカが口を開いた。
短く切り揃えられた金髪を揺らし、内部のコンピュータが小さく音を立てる。
「どうしてそう言えるんだ?」
「現象の発生時、あなたのオキシゲンナーが発光していました。そしてオキシゲンナーの酸素残量が少ない事を鑑みれば、オキシゲンナーによる現象ではないかという可能性が生じます」
「なんだって?」
酸素残量が少ないと聞いて、ヴィンスは自らの背中を確かめる。
腕を背中に回してスイッチを押すと、オキシゲンナーは「酸素残量十二パーセントです」という音声を流した。
酸素玉は百パーセントで半年を過ごせるのだが、十二パーセントという数字は六、七日間しか持たない事を示している。
「でも何かの間違いかもしれないぜ? 酸素残量が少ないのも俺がコールドスリープされていたからかもしれないし」
「その可能性もあるので、確かに明確に判断する事はできません。それでも現時点で一番可能性が高い理由は、オキシゲンナーによるものだと思われます」
なるほどな、とヴィンスは呟く。
しかし答えが出ないので納得はしていないようだった。
それでもヴィンスはコールドスリープでこの世界に訪れたばかりであり、謎が深まるのは仕方がないとも言えた。
謎に対して答えが出ていくのはこれからの話なのである。
「日中の寝床を探さないと。夜が明けてきたわ」
レベッカの言葉で車窓から空を仰ぐと、東側が明るくなってきていた。
幾つもの星が西に散らばり、昇ってきている太陽が東からグラデーションを掛けている。
ヴィンスはその幻想的な光景をぼんやりと眺めていた。
朝と夜との境界を目の当たりにしているようで目を離す事ができなかったが、その窓はベルによって塞がれた。
紫外線フィルターを貼らなければならず、止むを得ず窓を塞いだのだ。
黒いフィルターを貼られても東側の空を見詰めていたヴィンスだったが、やがて険しい表情で目を逸らした。
自分の知る世界との強烈なギャップをまた思い知らされたヴィンスは、眠れそうにない朝を覚悟するのだった。