目覚め
銃弾が次々に飛んでくる中、一台のトレーラーに乗って追跡者達から逃げていた。
巨体を震わせながら走っていくトレーラーと、それを追う赤錆の浮いたセダンやスポーツカー、バイクなどが発砲しながら迫っている。
丘を避けようと進行方向を変えたトレーラーの運転席にまで銃弾が爆ぜる。
砂漠の空には月が浮かんでいて、幾つものヘッドライトが砂丘を照らされては消えていった。
「酸素玉! 酸素玉!」
追跡者たちはつばを飛ばして叫びながらの発砲をやめない。
黒い肌に白色のタトゥーを施した背中には随分と使い古された装置が埋め込まれている。
流線形のフォルムで、背中にあってもあまり邪魔にならないコンパクトな装置の真ん中にはオキシゲンスフィア……族が酸素玉と呼んでいる半透明の球体が付けられていた。
運転する女は、腹部を覗かすくらい丈が短いトップスとショートパンツを着ていて、その上からローブを着てブーツを履いていた。
赤色の瞳と髪が攻撃的だが、その髪を結って上げていて、下がり目が彼女の穏やかさを表している。
しかしこの差し迫った状況ではその顔立ちも焦りの表情に満ちていた。
「ベル。敵が多すぎるわ、もっと減らして!」
ベルと呼ばれた男は大柄な男だった。
シャツがぱつぱつになるくらい筋肉が体を覆っていて、ズボンとそのシャツをベルトが締めている。
茶色の髪は短めに切られていたが、黒いオイルがそれを汚していた。
銃を構えるベルが女の質問に答える。
「しかしレベッカ、これじゃあ弾が持たねえ!」
「積み荷にしかもうないわ!」
ベルはショットガンの引き金を引く。
追跡していたバイクに弾が命中すると前輪が大きく煽られてひっくり返る。
搭乗者は後方に吹っ飛ばされたおかげで爆発からは逃れたが、背中の装置から酸素玉が外れ、そのスノーボールのような球体は回転しながら中の気体をすべて吐き出す。
酸素玉をなくした者はすぐに酸欠して目を見開きながら絶命した。
呼吸を助けるオキシゲンナーはトレーラーに乗る彼女らの背中にも埋め込まれていて、衣服の下で生命を守っていた。
二酸化炭素だらけになってしまった世界でこのオキシゲンナーとオキシゲンスフィアは最早必需品となっていて、特にオキシゲンスフィアはそれを巡って争われるほどに貴重なものとなっていた。
「ショットガンも残り三発、きりがないぜ。どうにか後ろから弾を取ってこれないかセリカ?」
後部座席にセリカという、白いレースの付いた長袖の黒い服という砂漠に似つかわしくない格好をした女が座っている。
短く切り揃えられたブロンドの髪形で十歳代のように幼く見えるが無機質な表情を浮かべている。
「できますが、それよりも良い案があります」
セリカはふりふりした黒いスカートを揺らしながらゆっくりと窓の外を指差した。
「あの場所に古い医療施設の入口があるようです。そこに立てこもって迎え撃つのはどうでしょう」
指差された方には、一箇所だけ山のように盛り上がっている場所があった。
岩と砂だけが広がる荒野の中で、その山はやけに大きく目立っていて、よく見るとその麓に何かの入口のようなものが見受けられた。
砂にまみれているので一見大きな岩に見えるかもしれないが、コンクリートでできている四角形の建物が遠くにある。
入口だけが見えるので、その施設は地下へと続いているようだった。
あの場所に逃げ込むのは確かにこの状況を打開するのに適しているのかもしれない。
少なくともこのまま逃げ続けていても状況が悪化していくだけだ。
しかし二人はあの施設の内部がどうなっているか知っている訳ではないので勿論危険もあった。
レベッカは尋ねる。
「医療施設と言っていたけど、あの場所のデータがあるの?」
「いえ、地図にあっただけなので詳しく知りません。しかし反響定位ではあの場所が広い事を示していますし、それに僅かながら生体反応もあります」
「生体反応? まさかあんなところで暮らしてるって言うの?」
「わかりません。とにかく私はあの医療施設に逃げ込むべきだと思います」
セリカの提案に二人は見合わせて頷く。セリカの言う通り、施設へ逃げ込む事を決めた。
「セリカ、そこのでかい銃を取ってくれ」
手渡された40ミリ口径の大きい銃を構えると、ベルは銃口を外に出してトレーラーの後部へ向けた。
その時に銃弾が頬を掠めて血が滲んだが、構わず弾薬を発射する。
先程の銃声とは違う鈍い発射音と共に放たれた弾は、爆発音が耳をくと共に砂を巻き上げる。
砂煙は敵の視界を一時的に妨げた。
「この武器は今ので弾切れだ。急いでくれ」
「わかってる」
ハンドルが切られてトレーラーは大きく方向を変える。
砂煙のおかげで少しの時間を稼げている。
敵を撒けるほどではないが、距離を離させるぐらいの余裕はできた。
弾幕も止んでいる今の内に、トレーラーはアクセル全開で一気に施設の入口へと向かった。
捨てるようにトレーラーを入口の横へ停め、酸素玉を全て抱えて降車する。
体当たりで錆び切った鍵を壊して扉を開けた。
すると中は明かりが灯っておらず真っ暗になっていた。
地下への階段が見えるが侵入者を拒むように闇は深い。
先の見えない暗闇に少しばかり怯んだが、すぐに懐中電灯を照らして、奥である地下へと下っていった。
「生体反応はこの先から出ているようです」
セリカが言うとレベッカは怪訝な表情を浮かべた。
「疑って悪いんだけど、その生体反応って確かなの? ここには誰も暮らしている形跡もないし明かりだって灯っていないわ」
「確かです。微弱ながら反応があるのです」
もしかしたら誰かが警戒して明かりまで消しているのかもしれない。
三人のような侵入者を油断させる為に、わざと人気がないように見せているのかもしれない。
この世界で生き残ってきた者はそういう知識があるものばかりだった。
今回もその者の罠かもしれないのだ。
二人は注意深く辺りを見回す。
錆びて足の折れている机が埃被っている。
薬品を仕舞っていたであろう棚が倒れていて、床の黒染みと共にガラスが散っている。
手術室であっただろう部屋も照明が台の上に落下していて、事務室で見付けたブレーカーも錆び付いていて蜘蛛の巣まで張っていた。
それでも、そのブレーカーを上げてこの先の照明だけ明かりを灯すと、息を吹き返したように見違える。
まだ薄暗くてぼんやりとしか先が見えないが、真っ暗であるよりはずっと進みやすくなった。
しかしその時、族達の大きい声が三人の耳に入った。
まだ族達は遠くて反響して聞こえるだけだが、三人の心は焦燥感に包まれた。
「族の声が近付いてきた。急いで進もう」
急かされた三人は奥へと急ぐ。
明るくなった道を走って移動した。
「その生体反応のある位置ってこの先なの?」
罠を注意しながら進むベルに、後から付いていきながらレベッカは尋ねる。
「そのようです。同じ位置から動いていません」
セリカは冷静に答える。
明かりが灯っても慌てずにじっとしているなんて変だとレベッカは考えたが、その疑問の答えは道を進む事によってすぐに解けた。
扉一枚に隔たれたその場所は、人一人が入れるような大きさのポッドが並んでいた。
一列に十台あってそれが反対側にもあり、合計で二十台が部屋にある。
それらの装置に電気は通っているようで薄暗い部屋の中でぼんやりと光っていたが、壊れていないものはほとんど残っておらず、外から装置の中を覗ける窓が割れていたり、あるものは人骨だけがミイラのように覗かせていたりしていた。
まるで過去の技術で建造された棺のような装置だったが、銀色のメッキは剥がれていたり埃が膜のようにまとわり付いていた。
「不気味な場所だな。エイリアンでも飼っていたのか?」
ベルが冗談半分に言うが、レベッカがこの装置の資料らしい書類を見付けた。
「確かに気味が悪いけど、どうやらこの装置は人をコールドスリープするのに使っていたみたいよ」
古ぼけて黄色く変色した資料によると、部屋にある装置はコールドスリープと自動治療を同時に行える機械であるようだった。
世界が滅びる以前……まだ国があって政治によって治められていた時代、手術だけでは治療を望めなかった患者をこの装置に入れていたのだろう。
「コールドスリープ? そうなると、さっき言っていた生体反応はこの装置から出てたのか?」
「そのようです。反応が出ているのはこのポッドからです」
セリカが示した一台を見ると、その機械の中には本当に男が入っていた。
この一台はまだ故障しておらず、まだ正常に稼働している。
他の装置と違って、腐敗していたり人骨だけになっていなかった。
「ねえ……この人を起こしてみましょうよ」
レベッカが提案するが、ベルは納得しなかった。
「誰だかわからないこいつをか? 目覚めさせる理由なんてないぞ」
「敵が来ました。すぐに機械の中に隠れてください」
セリカが族が迫っていることを感知して告げる。
レベッカは「このまま眠り続けて死ぬかもしれないのなら今目覚めさせて助けたい」と思っていたが、反論したい気持ちを抑えて隠れることにする。
近付いてきた敵の声に急かされて、三人はそれぞれ装置の中に隠れた。
それからすぐにして族が部屋の中へ入ってくる。
人数は十四。サブマシンガン三丁、ハンドガン四丁で武装している。
ナイフも持っていて、拳にはメリケンサックまで着けられていた。
三人から酸素玉を強奪するだけでなく、殺して背中の酸素玉まで奪うつもりの装備だった。
その族の中の一人が、この部屋だけ様子が違う事に気付いた。
この施設には埃被っていないところなどなかったが、この部屋には埃が取れているところがある。
机の上にあった書類に埃を拭われていた跡があったし、足跡もここで途切れていた。
時間に余裕のなかった三人は痕跡をカモフラージュする事ができなかったのである。
痕跡に気付いたのはフンベルク・ヴァンケンシュタインという族のリーダーであった。
この一族で一番に賢く体格も筋肉隆々としている。
白い肌の頬にバラのタトゥーが彫られていて、それと黒い髭と髪が一緒に特徴となっている猛者だった。
「この部屋を探せ! きっとこの部屋にいるぞ!」
フンベルクの指示で奥へと進まず部屋を探索し始める族。
敵が先へ進んだ隙に逃げるつもりだった三人は機会を失ってしまった。
万事休すであり、最早ポッドから一斉に飛び出して奇襲した方が得策かもしれない状況に陥ってしまった。
ところがその族の中に賢い者がいれば愚かな者もいた。
三人の隠れ場所に感付いた訳ではなく、ただの興味半分、面白半分でコールドスリープのコントロールパネルに関心を持つ者がいた。
目の前に大きなボタンやスイッチがあるだけで押してしまいたくなってしまう衝動が彼に走っていた。
「おいお前、このスイッチを切ってみろよ。装置の中からエイリアンが出てくるかもしれないぜ」
「冗談じゃないぜ、お前が切れよ。厄介事はごめんだ」
「恐いのか腰抜け」
「なんだと」
下らない事で争い始めた族の二人は、装置の電源を切る事にした。
その中に隠れている三人と、一人の人間をコールドスリープしている装置は、動作を停止する事になってしまった。
偶然だったのか必然だったのか定かではないが、最早ただの思い付きと彼らの小さないで事は起きてしまったのである。
かくして彼は目覚める事になってしまった。
全ての装置のハッチまで開けてしまった族たちの前に、彼は大あくびをしながら現れる。
長身痩躯で切れ長の目をした彼はヴィジュアルが良かったのだが、コールドスリープ用の薄い服装と長い眠りによる寝癖がそれに背反していた。
癖のない長めの黒髪が一箇所だけ不様に盛り上がっている。
「やあ、おはよう。美味しい朝食でも作ってくれるのかい?」
敵に囲まれている状況にも関わらず冗談を言う彼を、三人は装置の中から唖然と眺めていた。
目覚めたタイミングが酷いものだったので仕方ないが、彼の言動はあまりにもこの状況に相応しくなく皮肉めいていた。
「てめえ、誰だお前は!」
「ヴィンセント。ヴィンスでいいぜ」
殺気立った族達に向かってヴィンスは冷静に答える。
彼にも族が銃を武装しているのが見えているはずだったが、全く物怖じしなかった。