誰が容疑者仕立てたの?
真っ先に視界に入ったのは、見慣れた天井だった。
寝台に横たわったシリルは、状況が理解できずに視線をさまよわせた。
見慣れた自分の部屋。すぐ横にはシャーリーから贈られた人形。送り主である妹の姿はなく、両親が枕元に揃っている。
珍しいこともあるものだと思いながら体を起こし、シリルはようやく、家族以外の人物がその場にいることに気づいた。
プラチナブロンドの髪に、栗色の瞳。
「……エレイン?」
色彩が異なっているにも関わらず見間違えてしまったのは、彼女が纏う雰囲気が、どことなくエレインに似ているからだった。
「エリー姉様じゃないわよ。まだ混乱してるのね」
その答えに、フィリスだと気づく。
「姉様に刺されたこと、覚えている?」
「刺され……?」
夕焼けに染め上げられた廊下が脳裏を過ぎった。
凍えるような微笑み、シャーリーに向けられた言葉。ペーパーナイフ、腕に走る衝撃――
「――っ」
そうだ。シャーリーと一緒にいたところにエレインが現れ、ペーパーナイフを振り回したのだ。シリルはシャーリーを庇おうとして、腕を刺されたのである。
そしてエレインは――
「あいつは!?」
急に声を荒げたシリルに、両親が目を瞠る。
そう、その後、エレインが撃たれたのだ。
何の脈絡もなく、唐突に。
答えが返ってこない事に焦れ、シリルは掛布をはねのけた。
「落ち着いて、シリル!」
おろおろとしている両親の間をかいくぐるようにして近寄ってきたフィリスに肩を掴まれ、寝台に押しつけられる。その細腕どこにそんな力があるのだろうとどうでもよい疑問が浮かび、腕に走る鈍痛に霧散した。
「エリー姉様の事も、きちんと言うから!」
その言葉に、渋々と身体の力を抜く。
「……あいつは?」
寝台に身を投げ出したシリルを見下ろして、フィリスが何とも言い難い表情を浮かべた。
「……姉様は邸で静養しているわ。肩を撃たれたけれど、命に別状はないって。……傷跡は、多少、残るかもしれないそうだけれど」
それよりも、と彼女はシリルの瞳をのぞき込んでくる。
「シリル」
紡がれる声音には、固いものが含まれていた。
「……何があったの」
「こっちが、聞きたい」
フィリスがためらうように視線をさまよわせ、疲れたように嘆息する。
「……エリー姉様が、シリルとシャーリーを襲ったところまでは分かっているわ。シリルが姉様に怪我をさせられた事も。
でも、その後は……誰が姉様を撃ったのか、は分かっていなくて」
栗色の瞳が、感情を呑み込むように揺れた。
「シャーリーに、容疑がかかっている」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……は?」
「だから、シャーリーが姉様を撃ったんじゃないかって、容疑がかかっているの」
その言葉を理解すると同時に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受ける。
エレインが撃たれたのは、シリルが刺された直後だ。それまでシリルはシャーリーと行動を共にしていたが、彼女は怯えるばかりで、とても反撃などできそうになかった。
そもそもシャーリーは、拳銃に触れた事もないはずだ。
「なんで、シャーリーが……」
「あの状況で引き金を引く事ができたのは、シャーリーだけだったから。……利き腕をけがした姉様とシリルには、あの拳銃は扱えない。あの場に他に居合わせたのは無傷のシャーリーだけで、放課後の学院にはほとんど生徒が残っていなかった」
「だからと言って……」
「もちろん早計なのは分かっているわ。わたしもシャーリーが撃ったとは思えないもの。そもそも銃なんて一介の学生が持つようなものじゃないわ。
……でもねシリル。学院側は、犯人を突き出さないわけにはいかないようなのよ」
なぜ、と理由を問うまでもない。
エレイン・スチュアート伯爵令嬢は、あくまで貴族であるからだ。
部外者といえど、貴族である彼女が負傷する――それも撃たれるという穏やかではない方法で――というのは重大な事件であり、学院側は事態の解明に乗り出さざるを得ない。
また、フィリスのように、学院には貴族の生徒も多く在籍している。彼らの不安や不審を押さえる為にも、学院は何としてでも犯人をあぶり出さなければならないのだ。
「……っ」
唇を噛む。
「フィリス様」
かすれて低くなった声音で、シリルは訊ねた。
「シャーリーは……妹は、今、どこに」
栗色の瞳が、静かに伏せられる。
「拘束されているわ。――容疑が晴れるまで、と、学院に」
窓を閉め切り、カーテンで日の光を遮った室内には、どんよりとした空気が漂っている。
内側から鍵を掛けた寝室で、エレインは枕を抱えて寝台に転がっていた。
元より食に関心は薄かったが、ここ最近は全く食欲が湧かない。機械的に一口か二口ほどの食事を取り、ほとんどの時間を寝台の上で過ごしていた。定期的に扉越し声をかけてくる家族すら忌々しくて、会話を交わす気にもなれない。
ころん、と寝返りをうつ。
寝台に寝そべっていても、睡魔は訪れなかった。逆に目が冴え、とろとろと浅い眠りに落ちたかと思うと脳裏にシリルの顔が浮かんで飛び起きるという生活を送っている。お陰で肌の調子は最悪だ。
「……どうしましょう……」
抱きしめた枕に顔を埋める。
『嫌いだ』
エレインの胸に突き刺さった言葉は、何日経っても抜けることはなかった。
シリルから明らかな拒絶を受けたのは、これが初めてだ。雷に打たれたような衝撃に、息もできないような苦しさに、エレインは苛まれているのである。
ぎゅっと枕を抱きしめる。
「……ふふ……うふふふふ……」
(……なんてすてきなの……!)
あの日のシリルを思い出し、エレインは身悶えた。真っ赤な顔とにやける頬を枕で押し隠し、ごろんごろんと寝台を転がる。
突き刺さるペーパーナイフ。滴り落ちる鮮烈な赤。血に染まっていくシャツ。色を失っていく肌に、苦しげに歪められた面差し。額に滲む汗、よろめく細い体、殺意さえこもったような眼差し――
「あれこそわたくしの知る『恋』そのものですわ……!」
あの時のシリルの美しさと言ったら、まるで美の化身のようだった。その後大騒ぎになってしまったが、至福の一時だった。
なぜなら、彼の視線はシャーリーではなく、エレインにのみ向けられていたのだから!
「あの女は殺すまでもなかったんですのね」
無駄な労力を使ってしまったと、いまさらのように反省する。
エレインに向けたあの強い眼差しを、シリルは彼女に向けなかった。シリルにとってエレインは特別なのだ。それこそ、殺意にも似た、強い感情を向けられるほどに。
(やはりあの方は運命の相手ですわ……!)
シリルはすばらしい。外見はエレインの好みドンピシャで、子犬のように噛みついてくる様は噛みつきたくなるほどかわいらしい。真綿でじわじわと首を締め上げてくるような彼も嫌いじゃない。無知だが学ぼうとする姿勢も好ましい。
その上、苦痛に顔を歪める彼は、信じがたいほどに美しいのだ。
「美しさは罪って、本当でしたのね……」
睫毛を伏せ、ほうと嘆息する。
この胸のときめきはどうしてくれよう。お陰で夜も眠れない。速やかに殺して貰わなければ、心臓がはじけ飛んでしまいそうだ。そんな美しくない死に様はお断りである。
真っ赤な頬を押さえ、はじけそうになる心臓に落ち着けと言い聞かせる。瞳を伏せてシリルを想う様は恋する乙女そのものだったが、
(殺されるのではなく、むしろ殺したくなってきましたわ。そうすれば誰にも奪われませんもの)
内容はいささか、いやかなり物騒だった。
(それにしても――)
枕を解放し、のろのろと身体を起こす。
(――面倒な事になりましたわね)
包帯が巻かれた腕を見下ろし、エレインは眉をひそめた。
間違えてシリルを刺した後、鈍く光る銃口を見た。それが迷いなく自分を狙い、構えた人物が暗く笑うのを見た瞬間に腕に衝撃が走ったのだ。
サイドテーブルに置いておいた手紙を手に取り、そこに綴られた内容を確かめる。
シャーリー・ウォルトンに傷害容疑がかけられ、警察により身柄を押さえられている事。未成年の為留置所に入れる事ができず、また彼女が犯人であるという確証も得られていない為、学院に拘束されている事。
(ずいぶんと、なめられたものですわね)
エレインは手紙をぐしゃりと握りつぶし、放り投げた。
「……わたくし、嘘つきと卑怯者は大嫌いですの」
誰にともなく呟き、唇に笑みをはく。
「ふふ……うふふふふ……」
(おいたがすぎるようですわね……?)
相手がエレインに殺意を抱いているというのは、まあ、よしとしよう。エレインを狙ったのも問題ではない。
しかし、エレインを殺そうとした事をシャーリーになすりつけて素知らぬ顔をしているのが気にくわない。
なにより――
「このままでは、あの方の頭がシャーリー一色になってしまうではありませんか!」
それが一番気にくわない。
人の恋路を邪魔する輩など、馬にでも蹴られてしまえばよいのだ。
(ああ、でも――)
そういえば、一生姿を現すなと言われていた。
「困りましたわね……」
これでは、この事態が解決したとしても、彼に殺してもらうことができなくなってしまう。
それだけではない。シリルと話すことも、抱きついて愛でることも、真っ赤に染まった顔を見ることもできなくなってしまうではないか。
心臓に釘を打ち込まれたような痛みが走る。
「まあ」
この場にいないにも関わらず自分を殺そうとするシリルは、本当に罪な男だった。