誰がドレスを血に染める?
馬車の外を流れる街並みを眺め、エレインは背もたれに体を預けた。
「ふふ……うふふふふ……」
薔薇色の唇から笑みをこぼし、翠玉の瞳をうっとりと細める。視線を膝に落とし、シリルのために見繕った本の表紙に指先を這わせた。正面に腰を下ろしたフィリスが不気味そうにこちらを見つめていたが、妹の態度など知ったことではない。
今日のエレインは、いつにないほど機嫌がよいのだ。原因はもちろんシリルである。
(あの方が自分からわたくしに触れて下さったわ)
しかも名前まで呼んでもらえた。すばらしい進歩だ。
この変化は、彼が少しはエレインのことを気に掛けてくれるようになったということだろうか。好意を寄せてくれたのだろうか。殺してもらえる日は近いのだろうか。
きっと睨みつけてくる彼の瞳や真っ赤な顔を思い出して、エレインはひとり身悶えた。彼に掴まれた腕がじんわりと熱を帯び、胸の奥で何かがはじける。きっと心臓だ。
(あの方のせいで心臓がはじけるのは構いませんけれど……困りましたわね)
胸元に手を添え、形のよい眉を潜める。
体が爆発して死ぬのは美しくない。内臓やら何やらが飛び散ってグチャグチャではないか。しかも復元不可能だ。シリルがエレインを剥製にしたいと思っていたら困ったことになる。加えてエレインの美意識にも反する。
「……やはり、早い内にサックリと殺していただくしかありませんわね」
(そう、わたくしの体がはじけてグチャグチャになる前に!)
勝手に結論づけ、エレインはひとり頷いた。彼のためにも綺麗に死のうと心に決め、美しい殺され方について思いを馳せる。
首を絞められるのもよいが、一思いに銃や剣で命を絶たれるのも捨てがたい。ただ、どこか情緒が感じられない。
やはり、彼にグサリと牙を立ててもらうのが一番だろう。この首筋に、胸に歯を立ててもらい、彼に血を浴びせながら死にゆくのだ。純白のブラウスとスカートに滲んでいく鮮血は、薔薇のように二人を彩る。肌は色を失い、血の赤と、彼の黒髪が、よく映えるだろう。
(……すばらしいですわ!)
車内で妖しい笑いを浮かべるエレインに青ざめたフィリスが涙目になった頃、ようやく馬車は学院に到着した。そそくさと降りていくフィリスに続いてステップに足をかけたエレインは、あるものを目にし、ぴたりと動きを止める。
「まあ……!」
シリルだ。
朝一番に会えるとは運がよい。幸運の女神がなかなか自分を殺してくれないシリルに苛立って、エレインに協力してくれたのだろうか。
とろけるような笑みを浮かべ、声をかけようと口を開く。
しかし――
(……え)
出かかった言葉が喉で凍りついた。色づいた唇から、息の音だけが零れる。
シリルは馬車の傍らに佇み、車内に右手を差し伸べていた。
薄暗い馬車の中から小さな左手が現れ、彼の掌に重ねられる。遠慮がちに触れてくる手に彼は苦笑し、ぎゅっと――しかし優しい強さで握り込んだ。
その表情の優しさに息を飲む。あんなシリルを、エレインは知らない。
彼の手を借りて、一人の少女が馬車から降りた。
ささやかな風に流れる、深い色合いのまっすぐな髪。ほっそりとして女性らしさに欠ける、華奢な体。エレインとは対照的な、月下でひっそりと花開く、淑やかな花のような少女だ。
地に降り立った少女はふらりと体を揺らし、それを慌ててシリルが支える。遠目にも分かるほど親密な雰囲気を漂わせる二人の姿は、焼き印のようにしっかりと脳裏に刻まれ、心臓に不快な痛みを催した。
「……あ、シャーリー」
エレインの視線を追って、フィリスが呟く。今の光景は、彼女にとって、特に驚くようなことではないらしい。
そのことに、エレインは自分でも思ってもみなかったほど動揺した。
あの容姿に、シャーリーという名前。彼女が、シリルの双子の妹なのだろう。病弱で学院を休みがちだと聞いていたから、油断していた。
とんだ伏兵だ。
金槌でぶん殴られたような衝撃を受けてよろめく。
「エリー姉様!?」
差し出された手を振り払い、エレインは校門を潜るシリルと、彼にくっついている少女へと顔を向けた。
「……許し難いですわ」
ぽつりと呟いて、瞳を眇める。凍えるような眼差しで少女を睨み据え、唇に艶冶な笑みを佩いた。
(……あの方を奪おうとするなんて)
何て目障りなのだろう。
シリルはエレインのものだ。エレインのことを、殺したいほど好きにならなければいけないのだ。他の女に構っている時間などないし、彼を誘惑するあの少女は許し難い。
艶やかな黒髪を引っ張って、シリルから引きはがしてやりたい。彼の周囲をうろつかないように消してしまいたい。
(……そうですわ)
ふと思いつき、エレインは一人頷いた。再びステップに足をかけ、御者へと微笑みかける。
「忘れ物を思い出しましたわ。一度、邸に戻って下さる?」
「姉様?」
訝しげな表情を浮かべた妹を無視して馬車に乗り込み、エレインは扉を閉めた。
エレインを探し、シリルは放課後の学院を駆け回っていた。
すでに授業は終了し、校内に残っている生徒は少ない。黄昏色の光が窓から差し込み、壁を淡く染めていた。
(どこにいるんだ、あいつは……!)
普段は探さなくても現れるのに、用がある時に限って見当たらない。
図書館、食堂、校庭、校舎の隅々まで足を伸ばしたが、あの目を引くストロベリーブロンドは見つからなかった。フィリスにも聞いてみたが、忘れ物をしたと言って邸に戻ったきり、見かけていないという。
「いないのか……?」
とうとう心当たりが尽きたシリルは、廊下で足を止めた。念のためにもう一度確かめようと、シリルは図書館に足を運ぶ。
大抵の場合、彼女は図書館で本を読んでいた。すれ違った可能性も考えられる。
「シリル?」
かけられた声に振り向けば、シリルよりもさらに小柄な少女が駆け寄ってくる。右手に教科書を抱えた彼女は左手でシリルの制服を掴み、息を整えるように体を折り曲げた。
「シャーリー」
息を弾ませる双子の妹を見下ろして、シリルは瞳を瞬く。
「ひどいわシリル。久しぶりに登校できたから勉強を教えてもらおうと思ってたのに、いつの間にかいなくなっているんだもの。帰っちゃったのかと思った」
「あ、ごめん」
走ったせいでやや赤みが差した頬を眺めて謝る。
彼女は体が弱い。無理は厳禁だと医師から言われていたし、シリルも彼女の体に負担をかけるようなことは避けたかった。
「体調は大丈夫?」
「大丈夫よ。相変わらず心配性ね」
「一月近く寝込まれたら心配するに決まってるだろ」
「……それもそうね」
くすくすと笑うシャーリーの手から教科書を奪い取り、肩を並べて廊下を歩く。
「授業はどうだった?」
「さっぱり分からなくなってたわ。留年したらどうしよう」
「……家に帰ったら特訓だな」
「頼りにしてるね、お兄ちゃん」
その言葉に、彼女はほおを淡く染めて微笑んだ。歩みに合わせて翻る黒髪が、だいだい色の光を受けて飴色に染まっている。
(……ストロベリーブロンドみたいだ)
ふわりと踊るシャーリーの髪の一房を手に取り、シリルはぼんやりと考えた。ここに薔薇の花びらをひとひら溶かしこんだら、あのトンデモ令嬢の髪のような色合いになるだろう。
「シリル?」
シャーリーが首を傾げる。
(勉強、か)
ふと彼女をエレインに引き合わせてみたらどうかと考え、シリルは頭を金槌でガツンと殴られたような衝撃を受けた。
(何を考えているんだ俺は!?)
何かあったらどうするのだ。
「どうしたの?」
ぶんぶんと頭を振っていると、シャーリーが訝しげな表情で顔を覗き込んでくる。
「何でも……」
「見つけましたわ」
シリルの声をさえぎって、ゆったりとした声音が廊下に響き渡った。
言葉を途切れさせたシリルは、どこか仄暗い雰囲気が潜む声音に眉を寄せる。
二人そろって振り返った先に、彼女は佇んでいた。
「……エレイン・スチュアート」
「まあ、先日のようにエレインと呼んで下さって構いませんのよ? わたくしとしては、エリーと呼んでいただきたいのですけれど」
「……スチュアート……伯爵令嬢様?」
シャーリーが表情を強張らせ、エレインをまじまじと眺める。
「ええそうですわ。あなたは?」
彼女は優雅に首を傾げてみせた。
「シャーリー・ウォルトンです」
「ああ、彼の妹ですわね。では愚妹とも面識があるのかしら?」
「え……はい」
一定の距離を置いて交わされる会話は、エレインにしては珍しくまともだ。
それが、逆に怖い。
「シャーリー。わたくし、あなたにお願いがありますの」
「お願いですか?」
「ええ。あなたにしかできないお願いですのよ」
怯えたように身体をすくませるシャーリーに向かって、彼女はとろけるような笑みを浮かべた。
「難しい事ではありませんのよ」
おずおずと視線を上げたシャーリーがぎこちなく笑みを返すと、エレインは優しい声音で安心させるように告げる。
その翠玉の瞳は、一瞬たりとも笑っていなかった。
(……なんだか)
とってもやばい気がする。
頭の中で警鐘が響いた。一刻も早く、妹をエレインから引き離さなければならない。
「シャーリー、下がれ」
簡単に折れてしまいそうな細い手首を捕まえ、シリルはかすれる声を絞り出した。
「シリル? どうしたの?」
きょとんとするシャーリーの向こうで、エレインが眉を潜める。
「不愉快ですわ」
苛立ち混じりの声で、彼女は吐き捨てた。
「シャーリー・ウォルトン。あなたはとても目障りですわ。不愉快です。邪魔ですの。
その方に殺されるのはわたくし。その方はわたくしだけを見ていなければいけませんの。それなのに、あなたは妹というだけで邪魔をするんですのね」
「……え?」
「ですから」
わたくしは決めましたの、とエレインが笑う。
「ねえ、シャーリー」
エレインが一歩を踏み出す。
「死んで下さる?」
彼女が握りしめたものが、夕日を浴びて鈍く輝いた。