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わたし、と誰かが言いました

 翌日。

「……あいつの頭はどうなっているんですか」

 エレインに突きつけられた宿題の山を眺め、シリルはげんなりと口を開いた。

「姉様?」

「はい」

 シリルの正面で、フィリスがプラチナブロンドを揺らして首を傾げる。

「もう少し賢くなれとか言って、研究誌を突きつけてきたんですけど」

 その言葉に、彼女はああ、と納得したような声を上げた。

「この間、本が一冊見つからないって騒いでいたけれど、この為だったのね……」

 彼女はそのまま研究誌を一つ手に取り、ぱらぱらと捲る。しかし、少しして困ったように笑い、本を元の場所に置き直した。

「姉様の基準ではこれが普通なのね、多分」

 私には理解できないけれど、と呟く彼女の面差しは、あまりエレインと似通っていない。

「でしょうね、俺もです」

「あら、読んだの?」

「もちろん」

「……真面目ね。宿題も予習も復習もあるのに」

 読まないという選択肢があったことを暗に告げられ、シリルは言葉に詰まった。言われてみればそうだ。彼女の言うことを聞く義務など一切ないのだから、無視しても構わなかったのだ。……それはそれで、後が怖い気もするが。

「それにしても」

 ひそかに後悔するシリルには構わず、彼女は姉様は何を考えているのかしら、と呟く。

「いきなりシリルに殺されたいと言い出すなんて。シリル、あなた一体何をしたの?」

「それは俺が聞きたいです。ていうか、あれ、どうにかならないんですか?」

 事あるごとに迫り、自分を殺せと訴えられるのにはたいそう困っているのだ。

 しかしフィリスは無情にも無理ね、と答え、細い肩をすくめた。

「諦めて姉様のものになってしまったら?」

 にっこりと笑って、彼女はとんでもないことを口にする。ぎょっとして目を見開いたシリルをじっと見つめ、彼女はそれがよいかもしれないわね、と頷いた。

「あなたが義兄(あに)なら構わないわよ、わたしは」

「絶っっっ対に嫌です!」

 何が楽しくてあのトンデモ令嬢のものにならなくてはならないのだ。美人は嫌いではないがお断りである。

 ようやく包帯が取れた首を撫で、思いきり顔をしかめる。

「大体、何でスチュアート家はあいつを放っておくんですか?」

 その言葉に、フィリスがあら、と首を傾げた。栗色の瞳を瞬かせ、意外なことを聞かれたとでもいうような表情を浮かべる。

「一応注意はしたわよ。でも、姉様とはまともに話が通じることの方が少ないんだもの」

「それは分かりますけれど」

「何度注意しても、姉様の中では『些細なこと』なのよ。もう諦めたわ」

 諦めないで欲しかった。

 頭を抱えるシリルを眺め、フィリスがふわりと小首をかしげる。エレインをそのまま受け入れてしまっているあたり、彼女もなかなかにくせ者だった。

 帰宅するという彼女に手を振り、シリルは宿題を抱えて図書館に向かう。

「今日は少し遅かったですわね」

 彼女は適当な椅子に腰を下ろし、本を繰っていた。

 差し込んだ光にストロベリーブロンドが艶々と輝き、白い肌やドレスに薄い影を落とす。指先で(ページ)を捲る様は芸術品のように美しく、作り物めいていた。

「どなたと話していましたの? 教師ならまだ許しますけれど、女は許しませんわよ」

 しかし、薔薇色の唇からこぼれる言葉は、相変わらず狂っている。

「あなたの目を抉り取って、映したものを確かめられたらすてきですのに……」

 悩ましげに嘆息した彼女はうっとりと目を細め、シリルを見つめた。

「……いいえ、言葉が交わせないように唇からナイフを差し込んで、喉に穴を開けてしまおうかしら。あなたの白い肌を伝う赤い滴は、宝石よりも美しいと思いますわ」

「そんなことをしたら死ぬ」

「それもそうですわね。困りましたわ、わたくしはあなたを殺すのではなく、あなたに殺されたいというのに」

 シリルの言葉に眉を潜め、彼女は本気で悩んだ。ややあって何かを思いついたように顔を輝かせ、ふわりと髪を揺らしながらシリルの顔をのぞき込んでくる。窓辺から差し込んだ光が翠玉(エメラルド)の瞳に溶け込み、透明なきらめきを宿していた。

「殺し合うというのは……」

 美の女神の如き彼女から告げられるのは、死神の如く不穏な言葉だ。

「嫌だ」

 きっぱりと断って、シリルは彼女の正面に腰かけた。

「ほら、読んできたぞ」

 テーブルの上にエレインの「宿題」を積み上げると、彼女は驚いたように瞳を見開く。

「まあ、三日で?」

「三日で読めって言ったのはお前だろう」

「本当に読んで下さるとは思いませんでしたわ。愚妹も愚兄も途中で投げ出しましたもの」

 彼女はシリルと研究誌を見比べ、ふっと微笑んだ。

「あなたはとても努力家ですのねえ」

 伸びてきた指がシリルの目のすぐ下をなぞり、離れていく。

「睡眠時間を削ってまで読んで下さるとは思いませんでしたわ」

 その言葉に、シリルは慌てて目の下を押さえた。隈について言及されるとは思わなかった。

「とてもとてもすばらしいですわ。あなたはお馬鹿さんではなくて、無知なのですわね。早くわたくし好みに賢く成長して、殺して下さいな」

 上機嫌に囁いて、彼女はでも、と小首を傾げる。

「わたくし、今のあなたを気に入っていますの。

 成長したら、あなたは大人になってしまいますわよね。かわいらしさが激減してしまいますわ。殺していただけないのは残念ですけれど、やっぱり剥製にでもして飾っておきましょうかしら」

 じりじりと詰め寄ってくるエレインの姿に、シリルの生存本能が危険を訴えた。

 ぱっと席を立った瞬間に、彼女が飛びかかってくる。

「やっぱり殺されて下さいな!」

「殺されてたまるか!」

「では殺して下さる?」

「殺さない!」

 飛びかかってきたエレインを避けると、彼女は勢い余って本棚にぶつかった。

「わたくしがこんなにお願いしていますのに、ひどい人ですわね」

 のたまう彼女の頭上で、積み上げられた本がぐらりと揺れる。

 シリルはエレインの腕を掴み、力任せに引っ張った。

「エレイン!」

 とっさに口をついて出た言葉に、彼女の目が見開かれる。

 次の瞬間、本が雪崩れるように落ちてきた。もうもうと埃が舞い、目に涙がにじむ。

 ごほごほと咳き込んでいると、腕に爪が立てられた。エレインの腕が震えていることに気づき、シリルは内心で驚く。

「おい、大丈……」

 大丈夫か、と問う前に、頭上に影が差した。

 エレインが声にならない声を上げ、シリルにしがみつく。

 彼女の爪が皮膚に食い込むと同時に、シリルは床に引き倒された。非難する間もなくのしかかられ、視界がストロベリーブロンドに遮られる。

 後頭部をしたたかに打ちつけ、シリルは低く呻いた。眼前に迫る美貌を睨みつけ――凍りつく。

「……お、驚きましたわ……」

 目元をわずかに赤くして、彼女は弱々しく呟いた。

 その額から滴ったものが、ぽたり、と頬に落ちてくる。

「本棚が倒れてくるなんて、危ないですわね」

 その言葉に、シリルはぎょっとして目を瞠った。慌ててエレインの下から這い出し、彼女の腕を掴む。

 エレインは、本棚の下敷きになっていた。

 彼女の身長以上もある頑丈なつくりの本棚は、背板と棚板が割れている。収められていた本はすべり落ち、彼女の周囲に散らばっていた。

 不幸中の幸いというべきか――それとも不幸というべきか、下敷きとなったのは腰より下の部分だ。これなら、シリルでも助けられそうである。

「だめですわよ」

 体重をかけて本棚の下から引っ張り出そうとすると、エレインはゆるゆると首を振った。彼女は潤んだ翠玉の瞳でシリルを見つめ、か細い腕を伸ばしてくる。

 乱れた髪がベールのように落ちかかり、その面差しに淡い影を落とした。透き通る白さをたたえた肌に血の赤が妙に映え、シリルのシャツを掴む指先の細さにどきりとする。

 先ほどまでとは打って変わり、雨に打たれた薔薇のような、しっとりとした風情だった。

 思わず見とれそうになる。

(落ち着け俺!)

 心の中で言い聞かせていると、エレインが弱々しくシャツの袖を引いた。シリルが身を屈めると、彼女は震える手をシリルの肩に伸ばし――

「……あなたと共に逝ける、絶好の機会(丶丶丶丶丶)ですもの!」

 頬を染め、弾むような声音で叫んだ。

「…………は?」

 呆けている間に、細い指が肩に食い込む。

「嬉しいですわ! わたくし、あなたの次くらいに本が好きですの。好きなものに囲まれて、あなたと一緒に死ねるのなら本望ですわ。あなたは黒い服を着ていますし、圧死は美しくありませんけれど、まあ、本に埋もれて死ぬのならば構いませんわ。

 ああそうそう、ようやく名を呼んで下さりましたわね! 少しはわたくしのことを気に掛けて下さっていることかしら。……つまりあなたは、わたくしに恋をして下さったのかしら?」

 シリルの身体を引き倒して引き寄せ、彼女は危機としてまくしたてた。血まみれの顔と瞳を爛々と輝かせる姿からは、不穏な想像しかできない。

 案の定と言うべきか、彼女は片手でシリルの首を掴み、ぎりぎりと絞め始めた。

「それならば今すぐ殺して下さいな! そして殺されて下さいな! さあ! さあ!」

 興奮したように叫ぶ彼女は、堪えきれないと言ったように頬ずりしてくる。

 彼女が自由な手で分厚い革張りの本を探り当てたことに気づき、シリルはぎょっとして目を見開いた。あの分厚さと装丁の頑丈さはもはや鈍器だ。撲殺という言葉が脳裏をちらつき、どっと冷や汗が噴き出る。

 まさか――

「さもないと、殺してしまいますわよ!」

 そのまさかだった。

 彼女は高らかに叫ぶなり、それを振り上げる。

「ぎゃあああああああ!」

 頭部めがけて鈍器を振り下ろされ、シリルは何度目かの悲鳴を上げる羽目となったのだった。



 悲鳴を聞きつけた教員たちを本棚の影に隠れてやりすごし、たった今駆けつけた風を装って野次馬の集団に加わる。

 本棚の下敷きとなった令嬢は、血まみれではあったが、命に別状はなさそうだった。

 救出された令嬢の傍らで彼女を怒鳴りつける少年も、元気そうである。

 血と埃にまみれた彼らを眺めつつ、安堵と後悔を噛みしめる。

 失敗した。

 次はもっと、うまくやらなければ。

 もっとうまく――あの子を、消さなければ。


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