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わたし、と誰かが言いました

 くれぐれも問題を起こさないように――要するに学院内でシリルに殺されようとしないようにと言い含めて去っていくフィリスの背を見送り、書類にサインする。

 入場許可証を得たエレインは、上機嫌で学院の門を潜った。

 重厚な金属の扉の先には、緑あふれる芝生と、優美な装飾に飾られた建物が広がっている。元は王族の別邸であったという高等学院の校舎は、何度でもエレインの目を楽しませた。

「たしか、三百と少し前の狂王時代の建築……でしたわね。すばらしいですわ」

 狂王は愛する妃をその手にかけ、遺体を剥製にしようとしたという。

(愛する人を殺せるなんて、本当に羨ましいこと)

 曲線が多い、女性が好みそうな装飾の隅々にまで狂王の執念が見えるようだ。これはきっと、妃の趣味だったのだろう。愛しい相手のことをそこまで知っていただなんて、ますます羨ましい。エレインは彼について、まだあまり知らないのだから。

 手近な木に登り、おさまりの良い場所を探し出す。

 秋とはいえ、まだ日差しは強い。持参した日傘を頭上の枝に引っかけると、ちょうどよい具合に影ができた。そのことに満足したエレインは一度木から下り、根本に置いてあった籠を手に再び木に登る。

 落ち着いたところで顔を上げれば、校舎――生徒達がひしめき合う教室がよく見えた。彼らの中に求める姿が見当たらないことに気づき、眉をひそめる。

「まあ、遅刻してしまうのではなくて?」

 ひとりごちて、エレインは校門の方へと視線を向けた。

 シリルの授業予定は一通り把握している。この教室で間違いないはずなのだが――

「……いない、ですわよね」

 むぅと眉をひそめ、木から下りる。

 すとんと地に降り立ち、エレインはきょろきょろと周囲を見渡した。

 エレインが学院に通い詰めるようになって、半月が経過している。

 目的はもちろん、シリルを見守りよく知ること、そしてあわよくば殺してもらうことだ。

 フィリスいわく、学院は学びの場であり、それを邪魔する者は何人たりとも許されないという。

 逆に学びの邪魔さえしなければ比較的自由が認められているとのことなので、エレインはシリルが授業を受けている時は大人しく彼を見守り――もとい監視することにした。賢い人間は好きだ。彼にはぜひ自分好みに育っていただきたい。

 シリルは毎日授業を受け、授業が終わった後――放課後というらしい――も図書室にこもっていることが多い。真面目に勉強しているようだった。

「ふふ……うふふふふふ……」

 抱きついたり殺してくれと迫るたびに真っ赤になる彼を思い出し、エレインは頬をゆるめる。

 シリル・ウォルトンは、とにかくかわいらしかった。

 エレインの一挙一動に反応し、怒ったり暴れたりする。真っ赤になって怒った顔はかじりつきたくなるし、暴れる様は抱きしめて四肢を引き裂いてやりたくなる。

 おかげでますます彼に殺してもらいたくなり、日々うずうずしているのであった。

 しかし彼はなかなか殺してくれない。それどころかエレインを殺そうとすら思っていないようだ。

 どうしたものかと悩むのもまた、日課となりつつあった。

(あの方に、殺していただくには――)

 生え揃った睫毛を伏せ、薔薇色の唇を噛む。

(わたくしを殺したいと思うほど好きになっていただかないといけない)

 それが恋なのだから。

 彼に殺される様を想像し、うっとりとする。

 その時が来たら、彼の綺麗な指で喉を締め上げて、真珠のように輝く歯でこの肌を傷つけて欲しい。彼の与える痛みを抱きしめて死にたい。それがエレインの理想なのだ。

 だからシリルには、早急にエレインを好きになってもらわなくてはならない。エレインはシリルに殺されたくてたまらないのだから。

「難しいですわねー」

 しばらく校舎を観察していたが、結局シリルを見つけることができず、エレインはふてくされたまま校内の探索に乗り出した。

 ふらふらと適当にさまよっていると、ふと頭上に影が差す。頭上を仰ぐと、目に沁みるような青い空に灰色の雲がかかっていた。

 ややあって、ぽつんと水滴が落ちてくる。

(あらまあ)

 雨だ。

 仕方なく校舎に入ったエレインは、行く当てもなく廊下をさまよった。

 まだ早い時間帯なので、食堂は開いていない。教室では授業が行われているのでうかつに入り込んではいけないとも言われていたし、もとより授業を妨げるようなことをするつもりはない。

 では、どうしようか。

 少し考え、エレインは廊下を引き返した。

 やたらと長い廊下を進んだ先に見えた扉を開け、中にすべり込む。傷んだ紙のかび臭さが鼻についた。

「まあ!」

 部屋一面を埋め尽くす本に、思わず声を上げる。「図書館」と記された室名札(プレート)から想像はしていたが、伯爵邸の書庫とは比べ物にならないほどの広さと蔵書数だった。

 壁際は一面が本棚に覆われ、それ以外の場所も迷路のように本棚が置かれている。天井近くには明かりとりの窓があり、そこから弱々しい光が差し込んでいた。傍らの壁には蝋燭が備えつけられ、部屋の中央にはテーブルと椅子が並べられている。

「話には聞いていましたけれど、本当にたくさんの本がありますのね」

 感心して呟き、手近なテーブルに荷物を置く。

 エレインは学院に通ったことはもちろん、ほとんど外出したことがない。図書館を訪れるのは初めてだ。

「大衆小説に、伝記に、専門書に、医学書に……色んな本がありますのね」

 館内をぐるりと一周したエレインは適当な本棚に手を伸ばし、読んだことのない本を抜き出す。

 かたん、と物音がしたのは、その時だった。

「エリー?」

 背後からかけられた声に、一瞬だけ息を止める。

「……どなた?」

 振り返らずに答えると、ため息が返ってきた。

「覚えていないのかな」

「ええ、全く」

 形よい眉をひそめ、エレインは唇を開く。

「わたくしの許しなく愛称を口にする不作法者なんて知りませんわ」

 本を本棚から引き抜き、腕に抱える。

 声の主の横をすり抜けた時、苦笑する声が耳朶をかすめた。

 エレインは立ち止まり、声の主を見上げる。

 翠玉(エメラルド)の瞳で睨み付けた先には、一人の男がいた。

 襟足にかかるくらいの長さで切られた猫っ毛、まなじりの垂れた瞳。エレインよりも頭一つ分は高い身長。学生と見まがうほど若く見えるが、なんとなく、外見よりも歳を重ねているように感じた。まとう空気感が、大人のそれなのだ。

 教師なのだろう、細い、けれど貧弱ではない身体を包むのは制服ではなく、ゆったりとした私服だ。ドレスシャツのフリルが妙に似合っている。

 とっくりと彼を眺め、エレインは首を傾げた。……見覚えがある。

「本当に、覚えていないのかな」

 エレインの反応に、男は困ったように微笑んだ。

わたしのお姫様マイ・リトル・プリンセス

「……まあ」

 ようやく思い出したエレインは、自分と全く同じ色彩を持つ男を見上げてまばたいた。

「そういえば見覚えがありましたわ」

 にっこりと笑って、その名を舌に乗せる。

「母方の親族に、バートという伯父がいましたわね。すっかりと忘れていましたけれど」

「思い出してくれて嬉しいよ」

「わたくしも思い出せて嬉しいですわ。母の親族とは疎遠になってしまいましたから」

 エレインの言葉に、バートが表情を曇らせる。

「スチュアート伯爵様は、エレインによくして下さっているかな?」

「ええ」

 するりと伸びてきた手を避け、エレインは笑みを浮かべた。数年ぶりに再会した伯父に背を向けたのは、彼への拒絶を示すためだ。

「とてもよくして下さいますわ」

「……そう」

「ええ」

 だから自分にかまうなと言外に告げ、椅子に腰を下ろす。

 一番上にある本を手に取り、エレインはそれを開いた。

 本は好きだ。

 殺されたいとは思わないが、多分、シリルの次くらいに。

 バートは読書に没頭するエレインの周囲をうろうろとしていたようだが、いつの間にかいなくなっていた。



 どのくらいそうしていたのだろうか。

「……げ」

 苦々しげな声に、エレインは意識を引き戻された。

 本から顔を上げ、そこに立っている少年を見て「まあ」と口元を綻ばせる。

「あなたの方から来て下さるなんて、珍しいこともありますのね」

 その言葉に、少年――シリルが嫌そうに顔をしかめた。

「別に探していたわけじゃない」

 むすっとした表情で呟き、彼はエレインから離れたテーブルに荷物を置く。

 そのまま筆記具を取り出したのを見て、エレインはきょとんと瞳をまたたかせた。

「あなた、今日の授業はどうしたんですの?」

「……は?」

 シリルが怪訝そうに顔を上げ、エレインをまじまじと眺める。

「もうとっくに終わったけど」

「え?」

 首を傾げたエレインは、ようやく日が傾いていることに気づいた。

「あらまあ」

 読書に熱中するあまり、時を忘れていたらしい。

 とりあえず本を元の場所に戻し、ぼんやりとシリルを眺める。

 使用人から昼食は持たされていたが、食欲は湧かなかった。元よりあまり、寝食にこだわらない質だ。食事を取るくらいなら、シリルを見ていた方が満たされるような気がする。

 シリルはエレインを気にしていたようだったが、無視することに決めたらしい。

 彼は参考書を取り出すと、紙に何やら書き付け始めた。

 屋根を叩く雨音に混じって、筆記具を走らせる音が響く。

 傍らの本棚にもたれ、エレインはふうと息をついた。不思議だ。このしめやかな雰囲気は、思いのほか居心地がよい。

「……今日は」

 雨だれの音に紛れて届いた声に、弾かれたように顔を上げる。ペンを走らせる彼の瞳は、エレインを見ていないのに、なぜか不満は湧かなかった。

「朝からいたのか?」

「……え?」

 言われたことが一瞬理解できず、エレインは惚けた声を上げる。

「だから、朝から、学院に」

「……え、ええ、愚妹と共に」

「ずっとここに?」

「……多分?」

 ふうん、と頷いて、シリルはそれきり口を閉ざした。

 落ち着かない心地になり、エレインはそわそわと体を揺らす。

 喉を裂かれたわけでも心臓にぐさりと牙を突き立てられたわけでもないのに、胸が苦しかった。じわじわと顔が熱くなってくる。

 エレインは頬を押さえた。

(殺されていないのに……)

 じわじわと首を絞められているような気分だ。

 気を紛らわせる為に、エレインは足音を立てずに彼に近寄り、そっと手元を覗き込んだ。彼は細かな数字の羅列と格闘している。

(……あら)

 エレインは首を傾げた。

「そこ、間違っていますわよ」

「……え?」

 シリルが不思議そうに顔を上げ、間近にあるエレインの顔に目を見開く。

「うわっ!?」

「まあ、相変わらず失礼な方ですわね」

「お前に言われたくない!」

「わたくしほど礼儀をわきまえている人間などそうそういませんわよ?」

 鬱陶しそうにエレインの髪を払いのけるシリルを見下ろして、エレインはくすくすと笑った。

 そうだ、感情を露わにして噛みついてくる方が彼らしくて落ち着く。大人しい彼も、嫌いではないけれど。

 シリルから体を離し、エレインは数列を指差した。

「ここの計算が間違っていますの」

 その言葉に、シリルが眉をひそめつつ視線を落とす。

「……本当だ」

 ややあって、苦々しげな声がその唇から漏れた。

「道理で答えが出ないと思った」

「これは何ですの? 愚妹が言っていた宿題とやらかしら?」

「そうだ」

 渋々と頷くシリルを見下ろし、まあ、と声を上げる。

「あなた、こんな簡単な数式の一つも解けませんのね……!」

 これはいけない。授業の邪魔は何人たりとも許されないという理由がよく分かった。邪魔をすればするだけ馬鹿が増えていくのだ。

「簡単って……これは一応高等数学――」

「その程度も解けないなんて、本当にお馬鹿さんでしたのね。語彙が貧相なのも仕方がないことですわ」

「おい、話を聞け」

「しかしこれは由々しき事態ですわね……」

 ぶすっとした表情で見上げてくる彼と数式を眺め、眉をひそめる。

 エレインにとって、これは重要な問題だった。

「わたくし、愚かな人間は嫌いですの。もっと賢い人間に殺されたいですわ」

 シリルはエレインを殺さなければいけないのだから、せめてもう少し賢くなってもらわなければならない。

 かくなる上は。

(わたくしの手でわたくし好みに育てるしかありませんわ……!)

 学校には任せておけない。これでは殺してもらえるのがいつになるか分かったものではない。

「あなたが早く賢い人間になるように、わたくしがみっちりしっかり教え込んで差し上げますわ!」

(そして一刻も早くわたくしを殺してくださいね!)

 決意を込めて、エレインはシリルに告げた。



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