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小さな手

『結城くん!こいつが慶太郎。俺の息子だ。君に全て任せるよ。朝起こすところから夜寝かしつけるまでの生活全般と教育、躾を頼むよ。契約は小学校受験が終わるまで。普通のベビーシッターより大変だろうからそれなりの報酬は出すから。頼んだよ』


『あの!社長!小学校受験は親子で頑張らないと難しいんじゃないんですか!子供の事を見ていなければ面接で子供さんの事を聞かれて答えられますか?社長はお忙しいにしても慶太郎くんのお母さんはお時間ありますよね?せめて食事ぐらいは母子で取られた方がよろしいのでは?』


慶太郎の母親は普通の専業主婦だ。掃除は家政婦やハウスキーパーが来るみたいだけど時間的に余裕はある方だと思うんだけど。一般的な家庭でも2、3人の子育てをしながら家事をこなす主婦は山程いるだろ。


『俺もそれくらいわかってはいるさ。しかし慶太郎の母親が出産を終えて下のチビにかかりっきりだから慶太郎にまで手が回らないと言うし仕方がないんだよ。面接はマニュアルでどうにかなるだろ?俺もどうにかなってきたわけだから。こっちにも色々と事情があってね。とにかく慶太郎をよろしくね。厳しく躾てくれていいよ。言う事を聞かない時は尻を叩いてくれ。3年間頼んだよ』


どうなってるんだ?この親子?慶太郎の1日全てなんてベビーシッターの域を通り越して俺が子供を引き取ったのと同じようなものじゃないか。どおりでいい給料だと思った。医学部を出たのに国家試験に受からずバイトをと思って来たけど俺が国家試験に受かったら辞めるぞ?3年やるかなんてわからないよ。子育ては親がやるものだろ?


『ねー!おにーちゃん!お腹すいたー!』


『あー。お腹すいたと言われても何が食べたいの?慶太郎くんはいつも何食べてるの?』


『パンバーガー!』


『パンバーガー?ハンバーガーかな?マックに行きたいの?』


『うん!』


『あっ!慶太郎くんのお母さんですか?今日から慶太郎くんのお世話をさせて頂きます結城壮一郎です。よろしくお願いします!』


『ママー!これやって!』


『慶太郎!くっつかないで!お兄さんにやってもらいなさい!結城くん。慶太郎を私に近づけないでちょうだい。慶太郎の1週間のスケジュールと1日の時間割はこれに書いてあるから。習い事のない日曜は慶太郎の知識に必要な所でもいいしとにかく外へ連れ出して私の前をうろちょろさせないでくれる?慶太郎を見ると頭が痛くなるの!』


『あっはい!すいません。かしこまりました。慶太郎くん!おいで!行こう!』


え?今明らかに慶太郎を押したよな?小さな慶太郎の手を払いのけさらに押し倒した。慶太郎がかわいくないのか?子供嫌い?


『ママ!ママー!うわぁーん、ママー!』


『うるさいわよ!慎ちゃんが起きるでしょ!自分のお部屋へ行きなさい!結城くん!引きずってでも連れていってちょうだい!』


『はい!すいません。行くよ。慶太郎くん。お部屋はどこ?お兄ちゃんに教えてくれないかな?』


『うわぁーん、うっく、うあーん、うっく、ママー!っく、ひっく、ママー!っく』


なんなんだ?我が子がかわいくないのか?俺が中途半端に愛情をかけても慶太郎お前が辛いだけだよな?俺はずっといるわけじゃないんだ。お前はこの家でこの環境で生きていくしかないんだよ。強くなれ慶太郎。まだ3歳の慶太郎の小さな手が俺の指を必死に握り締めていて思わずお前を強く抱きしめてやりたいと思いながらも俺は慶太郎が泣き疲れるのを待っていた。


『慶太郎くん!習い事の時間だから行こうか。自分で準備をして下さい』


また始まった。最近ちょっと反抗期だよな。黙りこむと言うかシカトなのか?小さな抵抗を見せるよな。頑張る意味があるのかわからないんだろ?小さい頃にも反抗期あるんだっけか?


『いや!行かない!』


『いやじゃないでしょ。お受験頑張るってこの前慶太郎が言ったんだよ。もうお受験まで1年ないんだからね。お友達もみんな頑張っているでしょ。早く準備をしなさい!』


知らない、忘れた、覚えてないは口癖のようになってきたね。


『知らない!忘れた!僕行かない!』


『慶太郎!早くしないと時間に間に合わなくなるよ!お尻を叩かないとわからない?』


『いやだ!壮ちゃんが行って!』


『俺が行ってどうするんだよ!お受験するのは慶太郎でしょ。慶太郎!最後にもう1回だけ言うよ。習い事に行く準備を自分でしてください』


『行かないよー!お受験しない!』


『じゃあお尻叩くからおいで。言う事聞けないんだったらしょうがないね』


『いやだー痛い!うわぁーん、いたいよーご、ごめんなさいっく、いたい、行くよ!うっく』


慶太郎!俺だってこんな事で叩きたくないよ。お前は賢い子だから試験は問題ないと思うけどきっと無理なんだろうな。慶太郎を親は本当に合格させたいと思っているんだろうか?何の為に受験をさせるんだ?


『お母さん!ただいまー!あのね!僕幼稚園でーお母さんの絵を書いたら先生に上手だねって言われたよー!見てー!ねぇーお母さん!見てー!』


『慶太郎!うるさいわよ!絵なんてどうだっていいの!早くお着替えをしてお稽古の準備をして行きなさい!お受験が近いのよ!わかってるの!絵なんてどうだっていいの!』


『はい。ごめんなさい。うっく、っく、ひっく』


『結城くん!早く連れて行ってちょうだい!慎ちゃん!いらっしゃい!おやつ食べるわよ!』


『はい。かしこまりました。慶太郎!行くよ』


何も絵を破る事はないだろう。慶太郎。辛いね。俺も辛いよ。こんなに小さいのになぜなんだ?弟の慎二郎の面倒は見るんだから子供嫌いではないんだろ?慶太郎をどうして愛せないんだよ。こんなにかわいいじゃないか。


『っく、うっく、うん。っく』


『はい。今日はどれを着ていきますか?慶太郎は青が好きなんだよね。自分でお着替えできるでしょ。早く着替えないと今日はスイミングもあるんだよ。ご飯は車の中で我慢してね』


『うん。壮ちゃん!僕がお受験受かったらお母さんと一緒にご飯食べられるの?』


『そうじゃないかな?今は慶太郎が忙しいもんね。さあ行くよ』


慶太郎が受かっても落ちてもきっと今の環境と変わらないんだろうな。家政婦が作るのを1人で食べるだけだよ。学校に通うようになればベビーシッターは必要ではなくお前に必要な家政婦がお前のご飯や洗濯はしてくれるだろうね。だからお前には強い子になって欲しいよ。でもこんな小さなお前に強くなれって言う俺も酷だよな。


『慶太郎!はい。じゃあお風呂に入っておいで。自分で出来るよね?服をちゃんとたたんでカゴに入れて下さい』


元気ないな。元気でいる方がおかしいか。


『うん』


『にーちゃん!これやる?』


『やらない』


『慎ちゃん!こっちへいらっしゃい!ご飯食べるわよ!』


『はーい!』


『慶太郎!早くお風呂に入ってください!俺はここで待ってるからね』


母親と弟慎二郎が楽しそうにしている光景を見せつけられるのはキツイね。慶太郎は寂しそうに目で追っている。そんなお前の姿を見てる俺も寂しくなるよ。


『うん』


『お返事はハイ!でしょ』


『はい』


『はい。良く出来ました。お風呂が終わったら今日の復習をやって1日が終わりだからね』


『はい』


日に日に慶太郎から元気がなくなっていく。と言うより慶太郎が笑っているのを最近見たか?笑顔も無くしたか慶太郎。もう理解できるようになってきてるもんな。自分が可愛がられていない事を。でもその理由がわからないんだよな?慶太郎。俺だってわからないよ。何故こんなに差をつけるのかわからない。


『お母さん!日曜日水族館に一緒に行こうよ!慎二郎も見たいでしょ?』


『結城くんと行きなさい!水族館って言っても遊びに行くんじゃないのよ!水の中にいる生物を1つでも多く覚えて帰ってきなさい!早く今日の復習をして寝なさいよ!慎ちゃん!寝るわよ!こっちにいらっしゃい!慶太郎!邪魔よ!早く自分のお部屋に行きなさい』


『はい』


『慶太郎!さあ復習して慶太郎も寝ようね』


また押した。倒れはしなかったものの完全に毛嫌いしてるよな。なんなんだ?母親だろ?自分が生んだ子だぞ。


『うん。壮ちゃん!お母さんは僕の事が嫌いなの?』


『そんなことないと思うよ。慶太郎が今1番大事な時期だからお母さんは慶太郎にお勉強を頑張ってほしいんだよ。さあお部屋へ行って復習してしまおう。慶太郎も今日はスイミングもあったし疲れてるよね。もうちょっと頑張ろうね』


慶太郎!そんな哀しい顔して辛い事を聞かないでくれよ。俺が泣きそうだ。


『うん。わかった』


慶太郎!お前を抱きしめたい。でももうすぐ俺は所詮契約が切れる身。今まで何度となくお前を抱きしめてやりたくても抑えてきたんだ。こんな所で中途半端な愛情をかけるのは余計慶太郎を傷つけるだけなんだ。俺はそう思う事で自分自身を納得させる事しか出来なかった。


『慶太郎!どうしたの?わからない?今日やったところだよ。慶太郎は覚えてるよね?ここに答えを書いて下さい!』


『忘れた。覚えてない。もうやらない』


『慶太郎!俺の目を見て言いなさい。本当に覚えてないの?慶太郎はいつもわかっているし先生もよく理解してるって言ってたんだけど』


お前がわからないはずないだろ。頑張る意味がわからなくなるしやる気もそりゃ無くなってくるよな。


『もう忘れたの!覚えてない!』


『慶太郎!明日水族館に行くんだから早く終わらせて寝よう。疲れたね。ほら!ここだけやったら終わりだよ。頑張ろう』


『水族館行かない!』


『どうして?水族館に行く事はずっと前から決まっていた事だよ。慶太郎のスケジュール帳にも書いておいたよね』


『壮ちゃんだって本当は行きたくないんでしょ?僕を連れて行くのが仕事だからでしょ?』


『そうだね。仕事だけど俺は水族館好きだよ。だから慶太郎と行くのを楽しみにしていた。慶太郎!遅くなっちゃうから早くやって寝よう!眠たいんだろ?』


『壮ちゃんが1人で行ってよ。僕は行かない』


『明日は水族館に行くんだ。決まってるスケジュールは変えられない。もうとにかく今日は復習を終わらせなさい。いっぱい考えなくていいよ。慶太郎!ここに答えを書いて下さい!』


そんな小さな頭であれこれ考え悩むなよ。答えなんて出ないんだよ。慶太郎が出せる答えじゃないんだ。君の母親にしかわからないよ。実際母親にも理由らしき理由があるのかわからないしな。ほんの些細なきっかけで母親自身もわかっていないのかも知れない。なぜ慶太郎だけは受け入れられないのかをな。


『忘れた!』


『慶太郎!お仕置きするよ!俺の目を見てもう1度言ってみなさい!本当に答えがわからないのか?』


『っく、うっく、わ、わかる!うっく、お仕置きやだ!ひっく、うっく、ごめんなさい』


『じゃあ慶太郎くんここに答えを書いて下さい。泣かないの。まだお仕置きしてないでしょ』


『っく、うっく、は、はい。っく』


お前はこれからちゃんと生きていけるの?俺はお前に何もしてやれないよ。ごめんな慶太郎。


『壮ちゃん!一緒に寝て!』


『ダメだよ慶太郎。俺は帰らないと。明日の朝また迎えに来るからね。おやすみ!慶太郎!』


『いやだ!一緒に寝て!壮ちゃん!』


『もう勤務時間過ぎてるんだよ。目をつぶってごらん慶太郎。少しだけいるから』


『うん』


慶太郎ごめんな。出来ないんだ。お前と寝てやるぐらいしてやりたいけどお前はそんなことでは満たされないじゃないか。お前が欲しがっているのは親の愛情なんだから。慶太郎のまだ小さな手が俺のスーツの袖口を必死に掴みながら深い眠りへと落ちて行くのをただ待つのが精一杯だった。慶太郎の閉じた目からこぼれ落ちた涙が悲しみと寂しさを表しているのに俺は何一つお前を満たしてやれなかったな。


『壮ちゃん!ちょっと!壮ちゃんってば!』


何ぼうっとしてんの?壮ちゃん何かあったの?


『ん?あー終わったのか?』


今考えてもやっぱりわからないよ。あの頃を思い出してみたけれど慶太郎が愛されなかった理由がわからない。母親は慶太郎に何を見たんだろう。慶太郎が眩しすぎたのかな。闇からすれば光は憎むべき存在となるからね。闇の勝手な嫉妬なんだけどな。俺が考えられるとしたらそれぐらいだ。


『終わったよ!もうこれでいいでしょ?なんで俺がトイレ掃除なんかしなきゃいけないの!遊びに行ってきていいよね?』


掃除なんて家政婦がやるもんじゃん!


『掃除は交代でやるって決めたのにお前がさぼったんだろ!慶太郎!ちゃんと夕飯までに帰ってこいよ!』


『わかったよ!うるさいなー!いってぇー!ちゃんと帰ってきます』


頭叩かないでよ!バカになったら壮ちゃんのせいだー!


『気をつけろよ!行ってらっしゃい!』


『うん!わかった!行ってきまーす!』


今日も無事に帰ってきてくれよ。12歳になった今のお前を俺はどれだけ満たしてやれるんだろうか?俺は君に愛を教えてやりたい。慶太郎!愛は大切だよ。どこにも売ってやしないし本来誰にだって備え持つ力だよ。ただ宝の持ち腐れにしてしまってる人達が多いけどみんな愛を持ってるし愛を欲している。愛をいらないと言う人はいないだろうね。みんな結局悩みの原点はそこなんだと思うよ。慶太郎!お前も必ず愛を持っています。そして俺は俺が持つ全ての愛の力を君に注ぎ届けたい。

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