鴉野さん。レビュー書いてください。『こんな話じゃヌケねえよ』
「鴉野さん。レビュー書いてください」
「こんな話じゃヌケねえよ」
ちょ、ちょっと。一八禁発言ですよね?!
青年は慌てふためくが鴉野はプリントアウトされた原稿に赤鉛筆を入れながら告げた。
「これでランキングを抜けるなんて無理無理無理無理かたつみり」
「他人に批判はしなくても仮想人格には容赦しないんですね」
あきれる青年とふんぞり返る鴉野。隣でピーピーという音とともにほうじ茶がわいた。
「茶にすっか」
「そっすね」
なんという傲慢なタイトルだ。
まぁ多くは鴉野自身が書いている駄文というか自慰的な話なので許してほしい。
世の中には目に入れないほうがいい話というのが少なからず存在する。某ツ○ッターが利用者に無許可で行っていた実験では不愉快なツイートを見たフォロワーは不愉快が伝染するそうだ。
要するに面白い話は個人の嗜好で探してください。
あるいは好みの合致するユーザーさんや好みの話を書く作者さんの作品を読んでくださいとしか言いようがない。
しかし、『読まないほうがいい』話は作者である程度憶測できる。
第一に『鴉野 兄貴』と書いているものは読まないほうがいい。自分でいうな。
ヘイトスピーチなツイートをRTしまくる人の作品も読まなくていい。
自分の意見というものを他人に依存している人間なんてろくな作品かけるもんじゃない。
まして人に嫌われる悪口を公共の場で垂れ流す人間にまともな人間がいるとは思えない。今この駄文を書いている鴉野のことじゃないか。
自分は精神を病んでいると自称される方がなぜかなろうのマイナー作者には少なからずいらっしゃる。
ご病気大変ですね。でも読者さんは自分が面白いと思う話を探しているのであって別に作者の不幸を見たいわけではない。
鴉野みたいに不幸が芸になっている人間はさておき、どちらにも特にならないアピールだと思う。自分で書いた文章を人に見ていただくのは精神を落ち着かせたり気持ちを整理するうえで有用だし、立派な治療法ではあるが、読者はカウンセラーではないのでやっぱりお互いに不利益だ。
中には例外的にランカーな方もいらっしゃるがほとんどがまぁその。
そもそも読むことや理解することができなかったりする。
頭がおかしいという意味では鴉野のことである。
自作を書くのはそこそこに、あるいはまったく更新せず、感想が1000文字を超えてしかもダメ出し連発。もう他人の作品の批評をするのが主じゃないか? そんな方もいらっしゃる。
高確率でそんな方の書く作品は面白くない。ごめんなさい。
あるいはそれを読んで面白いと思う人は少数派だ。
少なくとも類型作家でそんな方はいない。
なんせ自分に書かれた感想すら感想返しするひまがないのにそれどころじゃない。ゆえに逆に際立ってしまう。
これはあれだ。文章がたとえ完璧でも作品に魅力がないことが多いからだ。魅力というのはアラである。人間欠点に惹かれるものだ。
いい部分はきっかけになる。
美人は三日で飽きるというがそれは嘘だったりする。
美人に越したことはない。美人は人を引き付ける基本スペックとも言える。
それでも三日たっても他人を魅了し続けるくらい魅力的かどうかはもっと別の要因だと思う。
鴉野は基本として批評はしない。
他人の作品の批判書いているひまがありゃ自作の誤字脱字でも直しておくほうが建設的だと思っている。
しかしお気に入り作品が更新されたら1000文字くらいほめ言葉を書いたりする。
これなら批判だけして消えてくれたほうがよっぽどありがたい。
反響はありがたいが、読むだけで辛いだろうに。ならやめろ。
完璧を目指して自作はたいした量書かないのに、人の批判は大量に書いて人に嫌われるひまがある人間は拙くても他人を喜ばせる話を短編でもいいから毎日書いておいたほうがお互い有益だと思う。あれって誰得なんだろうか。
リアルで出会って話してみたら意外と気さくだったりするから困ったもんだ。
「うははは。僕のことですね」
「やっかましいっ?! この腐れ仮想人格?!」
その気さくさをインターネットでも発揮していてほしい。
『俺は一般受けを狙っていない。好きな話を書いている』
言動は立派だがやっぱり受けたいですごめんなさいという方もいらっしゃる。
やっぱりそういう方も人間で自己顕示欲もある程度あるんだなとかわいく思うがそれなら素直に受けている話を研究して書きましょう。好きな話は別件でのんびり書けばいいじゃないか。
まぁ鴉野みたいにお気に入り0評価0のまま大笑いしながら書き続ける人間は少ないらしいが。なお、別に鴉野はマゾではないと付記しておく。
「まぁここまで不幸だったらどこまでも自分をネタにしますよね。むしろポイントゼロのまま完結なんていいネタになります」
地味にこの『無笑』って二〇〇〇〇〇字超えているんだよなぁ。代表作といっていい。
書いているひまがないというならそもそもマス……小説書く前にリアル生活をしっかりするしかない。衣食足りて礼節を知る。
デビューしても小説を買う人は普通の生活をしている普通の人である。普通の人間の琴線に触れないなら売れないだろう。
社会人生活ができないのに小説家で大成できるかといわれると疑問だとしか言いようがない。そして普通の人ほど残酷で真摯な読者はいないと思う。
趣味で小説を書くなら自分の生活は一番大事にしよう。
そのほうが自分のためにも読者さんのためにもなる。
誕生日に何を書いているのだろうか




