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無笑 ~正月から自称ヤクザが怒鳴り込んでくる程度にはどこにでもある日常編~  作者: 鴉野 兄貴


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人として生きる権利『追放!』

 鴉野は知らなかったが、あの先生たちと近場の解放同盟支部と、某病院には日本○軍が潜伏していたらしく、中央の解放同盟さんもあまりにも急進的で逆効果なことばかりする彼らに大迷惑をこうむっていたらしい。そりゃどう見てもあおっているし。誰得。


『やりすぎはよくない』


 一日七回。卒業後就職前のひま時間をもてあまし、一か月にわたって一人エアギターをやりつづけた学生卒業後の青年ならすぐに悟れると思うんだ。


『むなしい』


 鴉野は二度ほど電波ビラを配る手伝いをしたことがある。


 内容はまったく似たりよったり。集会場所もおなじ某病院。主催者も同じ。最初は解放同盟の支部の青年団を名乗っていたがだんだん個人名になっていったのも覚えている。今では配っていません。ネタになったのに残念。あるいはさすがに公安に逮捕されたのかもしれない。


 なんせ彼は自宅電話番号を書いていたのだから。なぜに自宅電話番号。正々堂々すぎる。


 なんせ主催者。本職は医者だったらしいし。医者て。当時のビラが二枚ほど出てきたので前に個人サイトを運営していたときにコンテンツに入れていたことがある。電波がきつすぎてある種ネタになっているので、画像キャプチャしてアップロードしていたのだが今ではそのデータは不要だろうと判断して捨ててしまっている。残しておけばよかった。申し訳ない。


 この阿呆なアカ教師どもを含む電波集団。

 鴉野が卒業して間もなくして解放同盟さんの本部から決別したらしい。奴ら(解放同盟さんの本部)は日本国政府と結託して差別を助長する悪の枢軸云々と更なる電波を飛ばしたビラをしばらくばらまいていたがやがてビラをくばる電波どもはどんどん減って最後には一人になり、やがて消滅した。

 彼らに内部から大迷惑をこうむった某支部は今では普通のまともな解放同盟さんとして(たぶん)活動されています。


 鴉野の記憶では支部だったはずの建物が市の建物になっていて『……』なのはまぁうん。ご愛嬌。アカ中学も普通の中学になったらしく、弟は地元集中という言葉は知っているけど強制はなかったと証言しており現在の後輩たちは平和に暮らしている模様であり。

 あと、制服もかわいくなった。明るい今どきの制服である。

 修学旅行や学園祭の名前には当時の名残を感じなくはないが、あそこがアカ学校だったなど今では知る者もいない。はず。


 あと、給食は廃止になった。当たり前である。

 無料の給食ということは市と市民の負担になる。


 と、いうか。解放されすぎである。


 解放を名乗っていた奴らが一番抑圧してどうするのだろうか。

 なろう勇者が暴れた後だってここまでいろいろぶっつぶれたりはしない。

 なにやったんだよ?!! アカども?!

 中央の解放同盟さんに叱られるってよっぽどだよ?!


 その時駅前で受け取ったビラにはガイドライン見直しだか集団的自衛権見直しだかで風が吹けばおけ屋がもうかる理論で『こうしてこうやってこうなって(あまりにも電波すぎて鴉野でも理論立てて説明できない)、こうして日本国は北朝鮮に侵略戦争を仕掛けるのだ! これは部落差別、韓国差別、障碍者差別。ひいては解放運動をつぶすための日本国の陰謀であり、特高警察を使っての言論弾圧をするための前兆に過ぎない! 特高警察の復活によって解放運動を抑圧し、さらに国民を支配し、搾取し、軍国主義の復活を行おうとする自民党政権の野望をぶっ潰すためにいますぐ○○病院の集会に集まってください!』とか、中央の解放同盟に対する恨みつらみを延々と書いていて『……』な内容だったのを覚えている。

 とりあえず。解放運動と障碍者差別と韓国朝鮮の帰国関連は混ぜるな危険。


 さらに日○赤軍だか中核○が加わってダメージは加速して自然崩壊した。


 賢い人間ほど、おろかな行動をとるらしい。


 これなら鴉野と一緒に『プロレスごっこ』と称したいじめでコンクリに頭ぶつけていたダウン症の学友たちのほうがよっぽど人間まともだ。


 まぁ性的に危ないこともないわけでもないだろうけど。それは別問題。



 差別されたら戦えばいい。

 殴られたら殴り返さねばいつまでも蹂躙される。


 弱いなら抗うしかない。それが平和の礎だ。

 平和というのは血と血との合間にしか存在しない。


 平和は血を求め、理想と夢と希望を食いつぶしてうごめく化け物だ。


 戦いがなく、一方が戦う手段を失い、あるいは自ら手放し。

 ただ蹂躙され続けることを平和とは言わない。絶望という。


 だからと言って調子に乗ったり俺は弱いから守れとたかったり、本来は関係ない奴らと手を組んで好き放題していくとなしでなし崩しになって本来の意義を失ってしまう。

 解放運動は初期は確かに急進的な手を使っていたかもしれない。そうしなければいけない時代だっただろうから。


 人間が抗い、戦う姿は本来輝かしいものだ。そうであるべきなのだ。


 しかし、『この人いやだな』という空気にあらがうことは難しい。

 それを差別だのなんだの言って暴れるのはちょっと違うと思う。


 鴉野を見て『こいつに近づきたくない』というのを差別というならば、それは人間として大切な生存本能を否定している。


 自ら嫌われ憎まれ疎まれる行為を行い、差別だと大声をあげて人様に殴りかかるならばそれは差別に対する戦いではない。どんな形であれ存在する秩序を破壊し、人々の平和の足を引っ張っているだけだ。


 空気が合わないなら、自分を変えるか別の世界に行くしかない。



 蹂躙されるのはきっかけはどうあれ悲しい。

 蹂躙された記憶はなくならない。なくせない。

 恨みつらみをぶつける相手はあっという間にいなくなる。


 あるいはすでにそんなことは過去のことになっていて『忘れた』と言われるだけだ。


 だから覚えておく。


 恨みつらみをぶつけて暴れるためではなく、ただ静かに祈るために。


 感想欄で読者様がご指摘したように大切な祈りの場に乗り込んで恨みつらみのままに熱唱する必要はない。祈る権利を守るため、人は静かに戦う。


 安らぎ、平和な気持ちを得るために。

 幸せになるために日々の仕事を一所懸命に。

 宗教とかそんなものではない。


 日々を一所懸命に生き、人を、自分を、世の中を幸せにすることを鴉野は『祈る』と同義だと思っている。


~人として生きる権利編。おしまい~

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