人として生きる権利『魂のABC』
鴉野は泣きかけていた。別にいじめられているわけではない。むしろ避難先である職員室だ。
鴉野は時計が読めない。足し算はできるが時間の概念が理解できない。昨今は改善したほうだがシフトを覚えるのではなく『明日は仕事』と覚える。
鴉野は今では珍しいワープロを前に悪戦苦闘していた。
なぜにワープロ。
そのワープロはローマ字入力モードになっていた。
鴉野はローマ字が高校受験前になっても読めなかったのである。
「母音がAIUEO」
「ほかはそれぞれ」
教師が説明するが余計わからない。
そもそもなぜ母音がABCDEじゃないのだ。
わかりにくいったらありゃしない。
というか母音の概念が理解できていない。
『母音と子音で音が出る』
アカ教師どもは教育熱心だった。
給料も出ないのに深夜になっても熱血指導。
アカにとって教育は資産である。なければ次代が育たない。
塾に通えない貧乏な子、『特定の家に生まれた』『特定の外国籍の』子供たち、鴉野のようなアホ(今では学習障害とかなんとか高尚な名前がつく。該当者の読者様にはまことに傷つける表現で申し訳ない)。障碍者は熱血指導である。彼らの理想をなすためには御旗にすべきなのである。
「金もない。身分もない。教育もない人間でも高校に行ける」
結構なことである。外国籍で某地域の親とのハーフで障碍者の子は御旗になっていた。意地でも高校に行かせると教師たちは頑張っていたが、周囲の篤い支援と本人の努力も相俟って彼は実際に普通高校に行けた。今の学校ではたぶんできない。学力にあった学校にいけとか言われるだろう。
アカ教師どもには教育のセーフティネットとしての側面もあったのである。
洗脳された人間は艱難辛苦を快楽として感じる。
また、そうでない人間の存在を許さない。
後輩にもそういった環境を強要する。
某外食産業への批判である。
だが、逆を言えばそんなとこにしか行けない人間に職を与える一面もあるだろう。やっぱり残業代は払え。
貧困と不平等拡大への特効薬は地道な教育である。
市場主義や共産主義に対抗する考えは福祉国家である。
アカ学校は教えてくれる。
教育の大事さを。
自由と平等と博愛の大事さを。
自分の仮説に都合よくデータ解釈しつづけるバイアスの大事さを。
これを『観察の理論負荷性』という。
いや、笑い話だがその笑える環境のおかげで鴉野は公立高校を卒業することができたのである。
とても感謝している。このコラムのネタにする程度には。




