豚箱良いとこ一度だって行くべきではない
飯はタダだし野郎のケツもほり放題。要らんわっ?!
鴉野はパトカーでグースカ寝ていた。何故パトカーで?! そういうものだ。鴉野は深夜12時まで仕事をして閉店業務を行い、その後チャリに乗って家に帰る生活をしている。
逆を言うと基本店を閉めるときはひとりだ。お客さんとトラブルになり警察屋さんの出番になった場合深夜一時から朝近くまで取り調べを受けねばならない。
だから。寝る。
ここがパトカー?! 知った事か。寝るッたら寝る。
幸いにして鴉野は豚箱に入った事は一度もない。しかし。
『歩く特異点』
『短(編)小(説)男』
『キチガイ』
『月に一度は死にかけている』
これら幾多のあだ名を頂戴している人間である。店番をしているだけで平和な土曜の雨の日でもミゼットが突っ込んでくるのだ。今更警察に意味不明な理由で突き出されても仕方ないしいちいち詳細など覚えてもいない。
歩いているだけで襲われる。夜に店を出たら五人組に襲撃される。夜中の二時まで張り込んでいた襲撃者に肩を外したままでひたすら反撃し続け、チャリで自力で救急救命センターまで逃げる羽目になる。
奥手の高校生カップルが店先でキスシーン。おめでとう。幸せに。店先で三十路のカップルが絡む。詳細は18禁なのだが末永くもげてください。
酒に酔った酔っ払いどもがタバコ一本でマウントポジションで殴り合い。死ぬから辞めろ。
『お前俺の顔を覚えていないのか』
覚えているわけがない。
そんな鴉野の特異点っぷりを自慢するわけではないが具体例を挙げると商品の取り合いになって怪我させられたと叫びだしたお客さんの通報を受けて警察の取調室にGO! する羽目になった事がある。過去に語った話と重複するので詳細は避けるが、酒に酔って暴れて店のモノを投げたり掲示を破いたりとハチャメチャをやらかしたうえで訴えられたのである。ワケ解らん。
いや、マジでワケ解らん。もう寝ておく。
『こんな図太い男は初めて見た』
知らんがな。
なお、警察屋は『この手の人間はいくらでも診断書作ってくるから勝ち目ないぞ。やってなくてもやったって事にして謝っておけ』とか言い出す。
マジ知りません。むしろ店の中を壊されたのはウチですから。
「じゃ、器物破損で訴えます」
鴉野がそう言うのは無理からぬことだが、掲示の紙だの備品だのの上にマリオのごとく踏みつけジャンプをかましたとかその程度であり被害額は微々たるものである。
「それ、勝ち目ないというか、あっちの被害額は数百万取ってくると思うが、君は数万円も取れないと思うぞ。謝って減らしてもらえ」
「しりませんよ。うちの上司曰く『貰えるものは貰っておけ』です」
結果として上司の教えは功を発揮する。
だって相手大手電機のM商事のアレだもん。今Pか。
他所の店中で大暴れしたと言えば企業同士の話になるので上司に話が行く。
「なんか、隣で『なんで上司に話が行くんや』って大声聞こえるんですが」
「まぁそうだろうなぁ」
「というか、飽きました」
「向うの同意もいるからちょっとまったってや」
どうせ鴉野は逃げない。入り口は暑いのもあって全開フルオープンだ。大事な事でもないのに重複表現である。刑事の心理戦術だが、取り調べを受けているのに鴉野がリラックスしてるのは一度や二度ではないからである。
間 違 っ て も 慣 れ た く な い 。
「てか、かつ丼ください」
「ないわっ!」
こんな冗談を言い合えるていどには。
刑事ドラマのあれは嘘なのでかつどんを楽しみにされても困るとは知り合いの刑事の台詞である。
結果としては上司に話が行くのは不味いとなり、無事お互い水に流すになった。警察の無責任っぷりはアレ過ぎるが、まぁ厄介ごとは警察だって引き受けたくない。ただでさえ大阪府警は人手不足なのだ。鴉野のような阿呆どもの相手はしたくないだろう。
深夜にはた迷惑な理由で仕事を増やした哀れな警察屋さんには申し訳ないが、護送中の傷害罪容疑の男がグースカ寝ていて思うことは多々あると思う。鴉野としては慣れているだけだ。不幸に慣れてはいけない。不幸が普通になってしまう。
長々と書いたが本題である。貧乏や不幸は病だと思う。それが当然だと思うとそれが普通で快感で抜けられない。
そんなことあるかとおっしゃる方は『勉強したらいい生活が将来出来るよ』と親御さんに忠告されてその通りにしたか思い出してみると良い。
鴉野?
するわけがない。お蔭で今更放送大学に通っている。
一部の不正受給者やプライドが先に来る人はさておき、生活保護の受け方や補助の受け方、手続きの仕方を丁寧に教えても時間が無い。暇がない。余裕がない。
そのくせクレジットカードは限度額まで使い込み、来月再来月の利息20%が延々とリボで払わないといけない。パチンコに行って負ける。酒を飲みすぎて身体を壊す。実に矛盾しているようにみえるが実のところ理に適っている。
今金が欲しいのである。
クレジットカードで20%ものバカみたいな金利がついていてもリボせざるを得ないとか普通にある。
役所の手続きが面倒で暇がない。
休暇を取れとか言っても取らない。これも理解できなくもない。
楽して金が欲しいのである。遊んで金が欲しいのである。
わからんでもないが、鴉野はたとえで言えば間違っても小説を書いて『楽しんで金を貰える』とは思っていない。異論は多々あるだろうが。
まぁ、今の仕事は趣味の延長みたいなもので、『楽しんで』やっているが多分意味が違うと思う。
さて、貧乏の話だ。
うちの母は自らを『貧乏』だと抜かすが彼女が毎年冒険旅行にフラフラと出かけているのは読者諸氏も御存知であろう。しかも自分でためた金だ。何処が貧乏なのか。
彼女は欲しいモノがあったらいいのが出るまで待つ、家の色や家具の色に合うものが見つかるまで待つなどと言う。結果的にうちは片付いている。調度品の色も揃っているから邪魔に見えないし。
彼女は600円の時給を500円の時給と思って残りを何年も貯めつづけたと言う。
数十年単位だから桁が違う。月5万円エコー定期で貯めるにしても20年やりゃ1200万円だ。そりゃ家も買えるわ。
我が姉貴分(従妹)はこうツッコんでいる。
『おばちゃん。待てる人は貧乏ちゃう』
今金がいるからバカみたいな金利があってもクレジットカードを使い続けざるを得ない。ご飯も食べないといけない。同じものを何度も買う羽目にもなるし、それがどこに行ったのか処理能力をオーバーして散らかり放題になってますます処理能力を超える。
待てる。
ここに人が豊かに生きるポイントがあるのではないだろうかと鴉野は考える。収入がアホホドあるはずの社長夫人でも支出がアホホドあって余裕がない。高級マンションに住んでいたのに、道端やマンションに植えていた小さな花に十年以上気付かなかった。結構ある。
鴉野は生まれた時から隣に花がある生活をしているが花に一切関心を払っていなかった。母が言うにはおかしいらしいが、鴉野にとっては面倒な水やりその他の『作業』でしかなかった。
最近お茶を習い始めて副産物的に花に興味を抱くようになったが、同じことが小説、特に一人称小説には如実に出る。作者が想定した主人公の関心のカメラが向いていないものは存在していても心にはいらない。
最強チートキャラでも無力な少女の一言で道端の花に気付くかもしれない。
少女が居なければ彼の歩く道はただの道だ。彼の興味は暴力と女性と自己満足だけかもしれない。あるいは果てしない虚無感か。
我々は彼の暴力性の発露にはスカッとはするが、感動はしない。すこし揺れた視線の先にあるなにかに初めて心を満たす気持ちを覚える。彼に人間性を見出し、その時に初めて作品世界との関係性を再確認して自らもその仲間に入った気持ちを覚える。
自分は自分、小説の主人公は小説の主人公。その関係性を思い出すことで今を生きる糧になる。まぁ私見が入りまくっているが自分はそう思っている。
一人称小説は『興味がない』ことを疑似体験する旅路だと。
さて。小説ならまだ笑えるが現実世界で豚箱に何度も入る。入らなくてもいい方法は絶対あるはずである。完璧なアリバイを用意しました? 莫迦たれ。『やってなくても認めておけ』な警察屋さんを舐めてはいけない。多少の矛盾ならねちこく攻めてくるぞ。こっちが眠いって言うのに。
結論としてそういう奴らに関わらない仕事と環境にいればいいのだ。至極簡単。
翻せば生活習慣であり、習慣と環境が人格を作ると考えれば難しい話でもない。
でも、貧乏や不幸は治らない。何故ならそれはそれで『楽しい』からである。他人事なら面白いが、自分の事なのにそれを放置していいものか。
そう言う感性が死んでいるのが貧乏や不幸の最も貧しく悲しく不幸な点だと思うのだ。収入が無くても『花を道端から一輪詰んで来れば彩がある』というのは母の台詞だが一か月一万円生活の村上じゃあるまいし、そういう人間は限られているのではないだろうか。
幸せって収入があることではない。不幸とは支出が多いという意味でもない。
支出があっても良い。余裕を生み出す意義ある支出なら。
『余裕』
これこそが最も重要な豊かさであり、余裕こそがやさしさなのではないだろうか。何でもかんでも一人でやるのは鴉野は嫌いではない。そのほうが状況を把握しやすい。そうしないと気が済まない人を鴉野も嫌いではない。
人間失敗しても良いじゃないか。1しかできなくても残り9をやればいいじゃないか。10のうち1しかやってくれなくて仕事が増えるだけだと思わなくていいじゃないか。小さな花に気付く余裕があっていいじゃないか。
もし、君が明日一円玉を側溝で何気なく拾ったなら朝日に向けて放り投げても面白いかも知れない。表かもしれない。裏かも知れない。君の手を離れて手の届かない自動販売機の裏にいってしまってあなたの手を離れてしまうかもしれない。
朝日と共に輝く雲が見えるかも知れない。
頬を撫でる風を感じるかもしれない。
逢引をする猫の騒ぎ声に耳をしかめるかも知れないし異臭に鼻をしかめるかもしれない。
朝靄の味を喉と鼻に一杯吸い込んで歩きだそう。
『きっといいことあるもんさ』
明日を作るのは、明日を作りたいと思う『余裕』であり、誰もがそれを持ち得るのが『幸せ』なのではないかなぁ。
まぁ個人の意見であり、正直人様に押し付ける気はない。乱文乱筆失礼。




