一本歯下駄と小指の支え セカンドシーズン いっち いっち
かっこんかっこん。
真っ暗な玄関で鴉野は一本歯下駄を履いたまま可能な限り寝かして起こしてと運動中である。そのまま左右に動き、前後に動く。剣道のすり足の練習であるがこの歳になってやるとは思わなかった。
「夜中になにやってるの~?」
母親に発見されたので状況説明。一応腰痛解消にはイイと説明しておく。他にも肩こりや背中の首から尾てい骨までの筋肉や神経が鍛えられる。
問題はココからだった。
母はもう一つの普通の一本歯下駄でタップダンスを始めた。
いや、タップダンスと言うには不細工な足踏み運動だがそれでも軽快極まりない。
「結構できるものだねぇ」
まあ普通に世界中の山登っている還暦過ぎだし。いい年こいて山登れる人はなんかあるとしか言いようがない。
うちの母は150あるかないかの小柄な女で、百名山の縦走旅行ツアーに写真が乗ったら『この小柄なおばさんがやれるなら私も簡単』と言って参加する可愛そうな素人を続出させたという罪な経歴を持っている。出来て当然というような態度を取る鴉野に「なんで~!」とか言ってる母だが『もっと褒めろ』と言う意味なので相手してはいけない。
「この足踏みを毎日やったら肩こり治りそう」
満足げな母。でもその下駄は左右に倒れると大怪我になるから要注意な。普通の一本歯下駄は左右対策が無い。
母の話はちょっと置いておいてメキシコはカッパ―キャニオンにタラフマラ族という部族がいる。400年程生活様式を変えていないという不思議な民族で、西洋人が来た時『戦う』『逃げる』の選択肢の中、『カッパ―キャニオンに隠れる』を選択したという歴史がある。
この人たちの特殊な所は七〇歳。八〇歳を過ぎても42.195キロどころか八〇キロ、一〇〇キロメートルを余裕で走りぬくという特技だ。
怪我もしない。それどころか心臓病だのコレステロールだの鬱だのといった今日の現代人の抱える問題と無縁らしい。
流石にわが母は現代人なので腰痛や肩こりはあるのだがこうやって一本歯下駄で足踏みを軽快にやれる当たり体幹は人より優れていると言わざるを得ない。
最初の人類の祖先であるアウストラロピテクスは豆粒大の脳みそしかなかったそうだ。拙作『星を追う者』で主人公ディーヌスレイトが少し触れているが、現代の人間の知能を維持するためには本来丸一日食うほどの食料が必要だ。それを可能にしているのは加熱処理した料理であり、この料理を使って得た時間的余裕と知性で更に優秀で旨い料理を作って人間は進歩してきた。
ホモ・エレクトスの時代には人間の脳みそはメロン並になる。しかし石器が出来たのはたった20万年前。200万年間人間は素手(?)で獲物を捕らえていたという事になるらしい。
ワケわからん事だが事実らしい。
まぁ火を武器に使ってもいたんだろうけど。爪も牙も貧弱で力も弱い人類が知能だけで獣に勝てるのか。そういう抜本的な問題に対しての答えが人間の不思議な能力にある。女性のマラソンの歴史は20年ほどしかない。生殖器が破壊されると信じられていたからだがたった20年で男のマラソンにほぼ匹敵する速度で走るランナーを輩出している。そして驚くべきことなのだが7年やそこらでベストタイムになったあと、初めてマラソンを始めた年齢の運動能力に戻るのだが、それが40年くらい続くらしい。
40年?!
40年だ。19歳の頃のマラソンの能力は27歳で花開き、衰えてそのまま維持できるらしい。60代まで。そー考えると今世界の山を登って遊んでいる母も若い頃山に登りまくったので何も不思議ではない。
『何故母が年とっても元気元気で山登ってるのか』
『何故タラフマラ族は心臓病などと無縁なのか。また戦わないのか』
『何故人間は思いやりを捨てきれないのか』
この辺は実は一つの線に交わるらしい。
人間は万物の霊長だのとほざいているが実態は獣と変わらない。
ちょっと過去の蓄積を参照出来たり外部から本来ない能力を持って来たり出来る程度と言って良い。では獣としての人間の最大の能力はというと『長時間全力で移動可能な処』にあるらしい。それは女子供老人でさえ本来備わっている能力らしいのだ。
もっと厳密に言うと人類は他の哺乳類と比べて発汗能力が高い。なんでも発汗と荒々しく呼吸を同時に行えるらしい。馬は速く走れるが一〇キロ走ったらあとは呼吸を整えるか汗をかくかどっちかを選択する必要があるらしい。炎天下で延々と走れる動物としては人間が最強らしいのだ。つまり女子供老人を含めた群れ全体で獲物を延々と追っかける能力が最も優れている。
そういった生活にはエゴイズムは無い。
実際、タラフマラにはそういった悩みが無いらしい。そして足の怪我もないらしいが本当なんだろうか。流石に見てきていないものを素直に信じるほど鴉野は純粋ではない。
それでも走って足を捻っただので頻繁にけがするのは最近の話らしい。そこら辺はちょっとアレだが、一本歯下駄履いて歳を考えずに楽しそうに足踏み運動をしている母を見ると、人間と言う生き物の面白さや人への思いやりを捨てない処、歳を取ってもなお元気という偉大な能力を再認識してしまう鴉野なのである。
歩くことは楽しいと。
参考。
TED日本語 - クリストファー・マクドーガル: 人類は走るために生まれたのか?
http://digitalcast.jp/v/11700/




