一本歯下駄と小指の支え セカンドシーズン 天狗に逢いに行く足袋(たび)を
月のように美しく
太陽のように暖かく
大地のように力強く
尊天よあふるる恵みを与えたまえ
鴉野は雨上がりの快晴。泥の中でのたうつようにしながら泥だらけでむくんだ足を力王の地下足袋に突っ込んでいた。天狗に逢いに行く旅は帰り道に使う足袋を装着するためにもがく羽目になった。当然ながらもたつく。時間もかかる。
そんな横で三十路前後の男女が『天照大御神からの天啓を受けてどこそこに参ったお話』だの『力のある人とパワースポットを巡ったが彼らは感じたものが私には感じる事が出来ない』とかそういうご高説を延々と垂れているのを脇で聞く羽目になった。別に聞きたくて聞いているわけではなくてオタ同士がお互いの牽制をするために『俺のほうが詳しい』と謙虚そうな振る舞いをしつつ自慰する。もとい示威する行動によく似ている。
彼等は鴉野の存在など気にも留めず、お互いの高説を延々と垂れていた。
そんな環境の傍。鴉野は泥の中でもがいていた。
結論だけ言うと本殿までは周囲に多大なる迷惑をかけつつ何とか這いずりながら行けたが(下駄意味ない!)本殿から背くらべ石、奥の院魔王殿にたどり着くまでの下り坂で撃沈した。
踵が使えない一本歯下駄で下り坂は無謀にもほどがある。普通の一本歯下駄ならばまだ踵が使えたのだが。
雨上がりだしつるつるだし、こんな下り坂無理に決まっている。
さて、時系列を少し戻し、鴉野が入口に辿りついたところから。
ココで既に鴉野は階段を上るか砂利道を登るか考えあぐねていた。雨上がりのキラキラした石段は強烈に滑るし、砂利道もまた足を取られて危険だ。
慎重にストックを用いて登る。時々滑って助けに入る人を何とか丁重にかわす。
いや、更に転んでけがさせたくない。ならそんな下駄履いて登るなよ。
そうして登っていくとケーブルカーにつく。このケーブルカーは日本で唯一宗教法人が経営している。この鞍馬山は単体の宗教法人らしい。
「近所の信徒さんが作ったものです。持ち帰り下さい」
などと書かれたダイコンと青梗菜を鞄に入れて登るのだがハッキリ言ってこんなもん持って登るべきではない。道中に会った人曰く
「アレ有料じゃないの?」
げげ?! 鞍馬山の人、有料の野菜だったらごめんなさい。
ケーブルカーを横切り、見えてきたのは魔王の滝。
魔王? 魔王である。この山では魔王と仏と神が一緒に祀られている。
『我は魔王なり!』
『魔王様魔王様魔王様』
よくわからないがこのようなことを叫びながらワケの解らない過激な行をする連中が夜中にこの辺を荒らすらしく、所々に警告や忠言の立札が見えるそうだ。『アクア様アクア様アクア様』ですね。解ります。(解ってねえ!)しかし散々魔王をネタにしているのでちゃんと手を合わせて賽銭を入れておく。魔王を敵に回すのは避けたい。
本殿までに下駄に注目されたり、心配されたりする。ハイヒールがめっちゃ滑って怖い怖いと言っている女子とも逢った。そうやって登っていると子供が昇っていて微笑ましい。
この先の貴船神社は縁結びの神様だ。女の子とカップルと若夫婦が多い。
誰だ? 丑の刻詣りとか言ってる奴は?! 貴船神社のパワーは強く、丑の刻詣りを呪いの為に使ってるのは勿体ないらしい。何故か作務衣姿のおじさんが唐突に現れ、子連れや俺の心配をしてくれたけどあのおじさんが実は天狗だったのかもしれない。
道中通った由岐神社。入ってすぐそばにあり、ケーブルカーで行くと訪れる事ができないそうだ。
本殿前にトイレがあるけど、其処を逃すと当面トイレがないらしい。
トイレの努力は取り敢えず避けて、とにかく登ったあと見かけたのは下り坂だった。冒頭に戻る。
牛若丸の修行地に行きつく前に鴉野は撃沈した。
下りが凄い。ルートから少し外れ、木の根が張った処が観光地になっているけどここで修業したのかと思うと下駄じゃ無理というか辛くねぇかとか思う。
思えば牛若丸こと義経公を祀る祠でで赤玉スイートワインを置いておけば良かったのだがこの時点の鴉野は悶絶するほうが先である。というか、赤玉を飲みたかったというのは否めない。天狗さんたちごめんなさい。酒気だけどうぞになった。そうして結局天狗と酒盛りをするために持って行った赤玉はそのまま鴉野の胃袋に収まった。一応飲む前に祖父母と鞍馬山の天狗様どうぞと遺影の前に持って行ったが。鴉野は足袋を履いてとにかく元気に降りた。
降りに降りていくと貴船神社に到達。貴船神社には逸話が多いが、取り敢えず本日は新婚さんがいた。花嫁さんがとても綺麗だったけど人様の写真を勝手に撮るわけもいかないので被写体はわざと逸らしている。とにかくお幸せに。
こうして鴉野は膨大な荷物を背負って帰ってきたが別段何か変わることもなく、夜になれば木刀を振って昼は暇さえあればジムで運動し、更に暇ならTEDを見ながらラジオを聞いている。
別に鞍馬山に登ったからと言って天狗に逢えたわけでもない。天照大御神の啓示を受けれるわけでもない。単純に変なヒトと思われ、時には莫迦にされたりしたり、思いもかけない親切に感動したりはする。
結局。世の中嫌なことばかりではないということを再確認しただけだった。貴船神社前で客引きを受けて入った日本料理の一式。湯豆腐を茹でながらそう思う。
どうも足の指を掴んだままで歩くのは股関節の強化になったらしく、全身ストレッチを延々とやったような辛さを感じているが前のように何処も捻っていない。下駄は意図したとおりに働いていることを再認識しただけでも見つけものだ。
世の中嫌なことばかりじゃない。
街に出かけよう。
鞍馬山では尊天は三つの姿で現れるとする。
愛を月輪の精霊千手観音菩薩。光を太陽の精霊毘沙門天王。力を大地の霊王護法魔王尊。
この三身を一体にして『尊天』と称し「月のように美しく 太陽のように暖かく大地のように力強く」と祈り「すべては尊天にてまします」と唱えるそうです。




