一本歯下駄と小指の支え セカンドシーズン 死地転八倒
さて、鴉野が現在室内で履き倒して遊んでいる(?!)下駄。『仙人一本歯下駄』は某下駄店の特別注文にて誕生したものである。制作期間なんと二ケ月。実に無茶な注文ごめんなさい。
高野行人なる芸人だか僧なのかよくわからない昔の人のそれを思わせるみょうちきりんなこの下駄。人に説明するのは結構面倒である。文書にしても面倒だが実物っぽいものが存在しないのに絵でかいても解りにくい。
鴉野の身の回りの品で12センチの真円のものといえば梅酒の瓶の蓋。高さ的にRがついている板といえば食パンだった。なんともアレな説明と図面を鴉野は送信した。
こんなものを見せられても普通の人は困るだけだ。下駄と足半の融合ならば高さは高くても五センチくらいで充分だ。足の指、土踏まずにくわえて踵を使えるのでさぞかし足の機能を高めてくれるであろう。左右をあえて丸くしているのも足首を使えるようになるので有効だ。
足全体でガッチリ下駄本体を掴む足半構造に加えてあえて左右にぐらつくことで足首を柔軟に使うことが出来るようになる。踵に泥がつくのは致し方ない。足半というのはそういう物だ。発想自体は悪くないが一六㎝もの高さなんざ仙人じゃなきゃ使いこなせない。踵が歩行にもたらす役割は物凄く偉大なのだ。
今回のこれは踵ではなく本来使わない足の小指の掴む力や土踏まずを鍛えるために注文したとはいえ、何度も繰り返すが高さは低めでいい。というか最初から足半を注文すべきだし、そのほうが運動能力は高まるであろう。
今回の下駄で鴉野が手に入れたのは16㎝の高さから見た視野と足の指と土踏まずで地面を掴むこと。そしてそれは痛みを伴うことである。普段土踏まずや小指で大地を掴んだりはしないのでそりゃ痛い。
この下駄を作った職人さんの足指は長くて綺麗だが鴉野の足指は短くて不恰好だ。そもそも足の小指が退化していてほとんどない。仕方ないからちょっと緩めて装着したが余計危険になった。鴉野本人は楽しんで履いているが職人さんとしては不安で仕方ないのではないだろうか。
多分大丈夫である。現時点では大怪我なんてしていない。
職人さんコメントから鴉野が感じた概要はこうである。人様のコメントには著作権があるので勝手に転記は出来ない。
『一本歯下駄の台を普段つかわない足指と足裏、即ち足全体で掴むという発想は斬新である』
『足の指を思いっきり開いて掴む。土踏まずの腹も使う』
『全ての事に言えるが壁にぶち当たってそれを乗り越えるとき、いったん不安定な状態にしないとそこから新しいものが生まれてこない。この作品事体はともかくとしてそう言う姿勢には好感が持てる』
鴉野は何かを得る代わりに何かを捨てたり無視しているだけだと思う。ある時は恥を捨て、ある時は常識をブン投げ、ある時はマンガを読むのを辞めたりネットゲームを辞めたり本を電子書籍にしたりゲーム機を捨てたりTwitterをやめたりしただけだ。その代りに小説を書くようになったり大学生を今更はじめたりしている。
その結果はどうなるか解らない。揺れることも転ぶこともある。
しかし少なくとも昨日よりは一歩前に進んだ自分で有りたい。そう思いながら一本歯下駄を履いて遊んでいる。全力で誰もやらないバカげたことをやり続けることはきっと楽しい。それが人様に迷惑にならない程度ならなおよい。最大限の迷惑をかけた下駄職人さんに土下座したい気持ちと共に鴉野は今日も遊んでいる。




