一本歯下駄と小指の支え その四
鴉野がトイレの個室壁の卑猥なラクガキとディープキスしたかどうかは別として話は変わる。鴉野の周辺環境が修羅の国過ぎる(※ 友人談)とは言え公立図書館のトイレにラクガキをする莫迦がいるほど鴉野の棲む街の治安は悪くない。あるいはすぐ消されるからだが。
こんなものを履いているとすぐ気付くことがある。
まっすぐ二本足で立つのが困難なら片足づつ立つ。あるいは両脚を崩して立てば問題なく立てると。要するに倒れまいとするからぐらぐらして辛いのである。
常にフラフラして、その力を切り替えてれば意外と見た目は変わらない。
そうなってくると「人にバレナイ程度に片足立ち連続でもイイ」とかいう結論になってくるがここで考え付くことが少々斜め上だった。
「片足立ちが楽なら、余った足でリフティング練習出来るのではないか」
斜め上過ぎる。
さっそく前述の通りにコーナンから三九八円でふわふわサッカーボールなる毬を買ってきた鴉野。そしてリフティング練習を始める鴉野。夜中だからってナニしてるのだ鴉野。
しかし鴉野は忘れていた。鴉野には遠近感覚なるものがない。
思えば格闘技でもそうだし、剣道でもアタリをつけて斬りかかっている。学生時代の体育の授業でリフティング試験なんてやろうものなら一回二回が限度で三回四回など奇跡の類。勿論課題を突破したことはない。合格まで上達せよと言われれば学年を超える。
そんな状態でリフティングなど無理にもほどがあるのだが鴉野は気にしない。
「あ。大差ないわ。出来る出来る」
そう。下駄を履こうが履くまいが鴉野にとっちゃ『リフティングは出来なくて当たり前』である。バランス以前の問題なのだ。
「よし。三回できた。スゲースゲー」
それでいいのか鴉野。それでいいのだ鴉野。やらなかった昨日よりやった今日のほうが偉いと自己満足に浸る鴉野。
母、由紀子さん(仮名)が活けた花に『ふわふわサッカーボール』が特攻した件については、かの花が意外と頑丈に活けてあったので特に物議を醸すことは無かったことを追記しておく。
結論。リフティングはバランスより遠近感覚。
昨日二回成功して今日は四回成功したら、昨日より二回成功する可能性は高まっている。些細な、立っていたらそれこそ転ぶような事は数限りなくある。
走ることが厳しい事もある。だが、ただ歩き続ける事なら思いのほか簡単だ。その歩みを支えている人の存在に気付かなくても今はいい。
ほんの少し明日に向けて歩けば、今日は昨日より前にいるかも知れない。そう思いながら鴉野は今日も深夜に不審人物行為を続けている。
一本歯下駄履いて櫂刀というバカでかい船の櫂を模した木刀を振り回し、空手の練習をしてリフティングに勤しむ不審者を見かけた方は警察の方に通報したりせず、頭のおかしい子を見たと思ってスルーしてください。お願いオナシャス。