『どこ集合?』『JR梅田ね』『おけ』←!?
鴉野はなんだかんだで地方の人と東京や大阪などでオフ会の幹事をし、あるいは参加することになりやすい。経験則により大体迷子になりやすいヒトでもまあなんとかサルベージできている。
「おけ! そこを動くな。目立つ建物を写メしろ!」
鴉野自身が迷子属性なのだから甚だ問題なのだが、地元民以外が道に迷うのは致し方ない。中には四国から来てくれる猛者もいる。
しかし関西人同士でオフ会などをすると地方民が東京に集う以上のトラブルが生じてしまうことがあるのはいかがなものか。それとも鴉野の周辺だけなのか。
今日はその辺の話をしたい。
「明日ロケット広場に集合ね。時間は●時!」
あいよロケット広場……ってなにそれ。
2007年に撤去された大型ロケットの模型が置かれていた現なんばガレリアの大階段のことであると地元の人にはわかる。ほかの参加者、特に若い子はロケット広場など知らないのでたまらないだろう。
ストップおっさんおばさん! 早く情報アップデートして!
鴉野は年配なので「そういえば子供の時に何度も見たな。行くだけで子供にはテンションが上がる場所だ。多分あそこだ、あ、そういえばずいぶん前のニュースで撤去されたって聞いたっけ」と理解したが鴉野も忘れているのだ。他の地方の人々にわかろうものか。
ちなみになんばと名前がつく駅は大阪地下鉄の路線四つを含めてグーグルマップの上では実に八駅が存在することになる。
「だーかーらぁ! 駅から降りてすぐにロケット見えるでしょ!」
「見えません」
大阪人のおれにもみえないよ。それはまさにShangri-la。
ロケット模型が撤去された後に設置されたあの鉄柱を今でも『ロケット』と呼ぶのは地元民だけだが、地方民どころか同じ大阪府民でもなんば周辺に集わない人間には激しく優しくない。もちろん曲がりなりにも大阪人である鴉野にもよくわからないのだ。わかるはずがない。
「地下鉄降りました。なんば駅向かいます!」
「え、何線の何出口かしら」
「なんすかそれ。なんばにおりましたから」
繰り言だが元大阪市営地下鉄(※現大阪メトロ)だけで『なんば』は四路線ある。しかも大阪人は未だに『大阪メトロ』と言わないので地方民が『大阪市営地下鉄の駅はどこ!?』と道に迷うのは致し方ない。
「今通天閣が見えています」
「戻ってこい! なんばパークスに向かえ! いや無理そうだな。とりあえず近くにある建物とか言え!」
と、いうか迎えに行くしかないね。
天王寺や動物園前、飛田新地方面に歩いていかれたらまじで鴉野にはわけわからないことになる。同じ大阪人といっても遊ぶ場所が多いのでホームタウンも違うのだ。まして『関西人』となるとどえらいことになる。要するにお互いが常識と思っているのは単なるローカルルールや知識に過ぎないと改めて知ることになるのだ。
鴉野は上記の如く実に他人の失態に対して自分の指定ミスを顧みず偉そうに述べているがその実鴉野にも問題行動が多々ある。
実際鴉野は勤務先の最寄駅であるJR大阪環状線天王寺駅と間違えて弁天町駅に降りたことがある。大きなビルがあるのであべのハルカスと間違えた。鴉野のうっかりはそれにとどまらず快速に乗って堺駅までドナドナされたことがあるくらいなのでこの話に登場する方々の批判など出来ようはずがないのだが。
関西圏の鉄道は慣れが必要だ。
東京の環状線が円ならJR大阪環状線というものはいわばカタパルトである。
うっかりしていると奈良や和歌山に飛ばされる。これも地方民や外国人旅行者殺しである。さらに新今宮駅から南海線に乗り換えるとき今どきエレベーターがないのでスーツケースを担いだ人々が青息吐息で階段を登っているのを散見する。
ちなみにホーム逆方向に向かうと阪堺電車と大阪地下鉄で大幅ロスになってしまう。一応案内板もあるのだがスマホ片手に急ぐ時は実に旅行者には優しくない。
面倒くささはそれだけにとどまらない。なんせ同じホームの同じ番号から出発する電車でありながら道中で分離して関西空港と和歌山県方面に分離する電車が当たり前のように存在し、同じ方面でもユニバーサルスタジオジャパン、以下USJ方面に向かう列車まである。これに乗ったら同じ大阪市内でも訳の分からないことになる。ちなみに鴉野は仕事の都合でUSJ前の駅で夜を明かしたことが幾度もあるがまじで何もない。クソ高いホテルしかないので始発まで野宿確定である。
かようにトラブルを抱えやすい関西人同士のオフだがどうにも関西人は『関西人なら知っていて当然』というノリで地元だけのローカルルールを皆が認知している事実のように感じている節があるのではないか。
関西といっても大阪滋賀京都奈良兵庫和歌山と多府県あるので多少の齟齬があっても致し方ないのだが一部の関西人はそろいもそろって地元ルールを関西圏ルールと勘違いしている節があるかもしれない。
例えば堺以南、大阪府岸和田市などはだんじりのシーズンになるとあらゆる商売がストップするところがある。なんと支払いも。
支払いが滞ってめっちゃ困っているのに逆に岸和田市民の取引先に「常識も知らんのか!」と当時の上司が怒鳴られていた。いや、それは嫌がらせでは。
また高槻周辺の商習慣にはかつて『年末にしか取り立ててはいけない』という慣例があったため、当然高槻の社長たちは取引先から逃げ回っていたとは文校時代の学友であった元大工が証言している。
もちろん泉南市以南もかなり変わってくる。北摂部、梅田周辺部、関西空港以南は別文化だろう。
大阪府民は尼崎市や伊丹市を大阪の一部のように感じている可能性がある。同じ『大阪空港』でも実際にあるのは伊丹市。敷地としては大阪府豊中市に池田市、兵庫県伊丹市にわたって存在するため池田市民は『池田空港』、豊中市民は『豊中空港』、兵庫県民は『伊丹空港』と呼ぶ。
大人になってから初めてしった。
個別にいろいろな空港があるのかと思ったわ!
余談だが池田市なら居酒屋メニューにチキンラーメンがある。
表題の話に戻ってみよう。
言われた通りJR『大阪駅』を降りた鴉野であったが冷静に考えれば梅田駅とは当時阪急線梅田駅、現阪急線大阪梅田駅のことだと思われる。この時鴉野は阪神線の存在をスコンと忘れている。利用しないから仕方ない。
だいたいJR大阪駅は無数の出口入り口デパート直結改札まである。奴はどこのことを言っているのだ!?
おいお前どこにいる。当時はLINEのような気の利いたかつ大容量の通信手段はない。
「だから、JR梅田駅だろ! なんでわかんねえの? 本当に大阪府民か?! アホやろ!」
「いやいや。梅田って阪急だろ」
鴉野のツッコミもそれなりのものだと思われるが。
彼はあくまでJR梅田といい。
「オーケー。とりあえずどこの出口だ」
例えば現在ならばベルギーワッフルのある出口など多様な出口があり。
「そんな店はないだろ常識的に」
「……もしかしてやっぱ阪急」
「阪神の事を言っているかもよ鴉野さん」
「JR梅田だよ! 早く来いよ!」
鴉野が彼は当時大阪市営地下鉄(※現大阪メトロ)東梅田駅のことを述べていたと知ったのはこの後である。鴉野が使うのは御堂筋線梅田駅だ。ちなみに西梅田駅も存在する。
(※別件での待ち合わせにて2019年におおさか東線新大阪から放出駅までのルートが開拓される以前、貨物駅としてのJR梅田貨物駅があり、Google mapを信じて鉄オタしか知らないこの駅跡地にてじっと待っていたことも鴉野にはあります)
というかもっと猛者がいた。
「JR梅田駅だろ。北新地駅だよね。え、みんなどこに行っているの」
いやいやいや。確かに歩いて五分だけど!?
「というかビッグマン前広場に行け! それならばわかるだろ!」
「ビッグマンってナニ?」
「え、鴉野さん知らないの!?」
「古書で有名なかっぱ横丁の近くですよ!?」
鴉野も●ックリマンならおっさんなので知っている。え、違うって?
その場で調べてみると阪急線梅田駅構内にある巨大なモニタである。
まじか。初めて知ったわ。
ちなみにその周辺で鴉野が待ち合わせに使うのは巨大観覧車が存在し構内に赤いクジラの模型が浮いているHEP FIVEだ。
「クジラは昔知り合った監督さんが関わっていたらしいけど」
「そうなのですか。いや、何このクジラ。超びっくりです」
地方民には珍しいらしい。よかったね監督さん。
しかし彼の仕事と鴉野は一ミリもかかわりがないので本当はどうでもいい。
大阪の人間がアバウトなのか鴉野の身の回りの人々が旧来の呼称を変えないからなのかあるいはもっと深刻なものがあるのかは謎であるが。
「集合はアトム像のとこで」
「京都駅でアトム像があったのは10年前です」
京都の知人もとんでもないイケズ(意地悪の意味)をかましているが恐らく天然である。当然ながら兵庫県民の知人は見事に道に迷ったし鴉野もアトム像を知らなかったのでその場で調べて発覚した。
「えー。いまアトムないの~~?」
「ないよ!」
「迎えに来てください鴉野さんおねがいたすけて」
兵庫県民の知人に配慮してうんちくを披露しよう。兵庫県を移動する場合とんでもなく大回りになるが阪急線を利用するとJRの半額ほどの交通費で京都神戸間を移動できる。鉄道敷設で割を食って宝塚のような温泉しかないド田舎を取らざるを得なかった偉大な男小林十三の名前は現在阪急線十三駅に残されている。
その知人とも似た名前の駅で齟齬が発生しているのでこれは鴉野の問題では済まない気がする。
大阪はいまだ開発が進んでいる。
最近大阪には今までなかったJR島本駅、阪急摂津駅、JR総持寺駅、鉄道郵送駅から転換したおおさか東線が誕生し、2023年開業予定のJR西日本地下鉄うめきた地下鉄駅も大阪駅の一部になるのでこれも大阪駅の一部となる。また待ち合わせで揉めるのか!
世間では地方に活気がないという。
しかし本当にそうであろうか。
常に変化している街並みを無視し、あるいは気付かず、気付いても呼称を変えず変化を拒んでいるのは実は我々なのかもしれない。そのほうが心安らかでいられる。
「もう主催なんてぜってーしねえ!」
「ダメっすよ鴉野さん!」




