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無笑 ~正月から自称ヤクザが怒鳴り込んでくる程度にはどこにでもある日常編~  作者: 鴉野 兄貴


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中国警察さんの公開したナイフアタックへの護身が超絶バズっているお話

 中国のおまわりさんがアップロードした『本当の護身術動画』がバズっていたことから思い出した話である。


 かの動画内容はナイフを握った暴漢に背を向けて「お巡りさーん! 助けてぇ〜!』と叫びまくりながら全力で逃げるという内容である。

 地味に走りつつ大声出すのはしんどいので立派なものだ。


 前振りはここまでにして今は削除しKindle版無笑に収録した『もげろ剣!』にて、鴉野は父の友人である『センセ』の甘言に乗り、かなり長い間武道をする羽目になったのは古くからの読者の方ならご存知だと思われる。

 その中で鴉野の父はまず逃げること、友達を作り敵を作らないこと、すなわち孤立しない危険なところには赴かないことを教えると述べた。


 父は道場で武道を教えるのみならず子供とお父さんお母さんとお互いでするマッサージのやり方を教えたり子供たちと休み時間に遊んでばかりいたので「レベル低すぎて子供に教えられない」と逃げられて凹んでいたり、そうやって逃げたお弟子さん方の家々を巡って貧しい家庭の子弟でも武術ができるよう武道具の寄付をお願いし、あるいは鉄工所勤務の腕を生かして魔改造的な道具、例えば斬鉄剣的なナニカを作っていたのは各所で述べている。



 さて、鴉野が阿保なのは疑う余地はないがその最たるものの一つとして背面逆上がりを習得せんと夏休み中延々と飽きずにトライエラーし力業で無理矢理できるようになった挙句夏休みの宿題を三年遅れて提出し、中学進学とともにこれら課題を放棄し逐電したことであろう。


 なぜこのように校庭でひたすら逆上がりの練習などという奇態なことができたか。かつての小中学校庭は地元に解放されていたからである。


 それが無くなったのはかの有名な池田小事件であり、それ以前の時代であるこの昭和の風味満々な田舎では運動会は地元の祭りであり、かの校庭は地元の庭にして公園にして遊び場であった。


 家の横に置いてある弟の車のおもちゃが毎日パクられて校庭のボタ山で滑走に用いられた結果プラスチックの外装が剥がれ悲惨な破壊の様を示しており、その車の持ち主である鴉野たちの目の前でも悪びれることを知らず逆ギレかましてそれを乗り回すバカガキどもがいた時代である。


 まあ今回の話において何事をやっているのか不明なのは鴉野一家だが。なんせ父は半裸である。


 なぜ半裸。鴉野たちには当然すぎて異常に気づかない。気にもしていない。



 息子が後に女装することができる程度に声が高く喉笛がなく体毛すら薄いように、遺伝なのか父にも胸毛等がなかった。さすがに触れ息子とちが喉笛はあるし男性器もそこそこネタにできる程度には大きかったがすね毛もやはり薄い。息子と違う息子のナニかってやかましいわ。


 この時代にはジム等気の利いた施設など地方にはなく、ボディビルなど漫画のネタでしかなかった。

 そのような環境の中珍しいことだが、父はダンベル等の練習器具を自らの鉄鋼製品制作技術を用いて自作することで小柄ながらいい筋肉を維持していた。まぁ刀もどきを現代鋼で作れる人だったからできないわけがない。


 が。


 やっぱり彼は自作トレーニングセットを盗まれていた。盗まれてすぎて草生える。


 母や姉が水をやったチューリップもブチブチ抜かれていたわけで昭和のガキは野蛮人という認識で間違いない。風雅なものは攻撃する。


 さて、父方の祖母が切望した跡取り息子、すなわち鴉野には父の趣味である空手の才能も興味も、それどころか一般的な男の子が好む野球やドッヂボールなどへの関心も呆れるほどなかった。



 当時流行っていたカンフー映画の影響でミーハーな心理にて見るだけなら面白がる幼少期の鴉野も、実際にやらせてみると嫌がった。本を読むのを好み日に焼けるのを嫌がる、そして友達を作りたがらない『変わり者』でありそれ故に生傷が絶えず余計に家にいたのもある。


 当時は休日手当や徹夜手当なるものもありたまに父が早く帰宅できても彼が好むキャッチボールを幼い鴉野は泣いて嫌がった。当時の父母が血の涙を流すくらい頑張って稼いでいい道具を買い与えたに関わらず息子は普通に球技が嫌で嫌でたまらなくて泣いていた。


 鴉野には距離感や空間把握能力がないので球技は鬼門だ。長じて身につけた剣道もほぼカンでやる。鴉野の視界は解像度の高いだけの平面で構成されている。



 かように運動を好まない幼少期の鴉野であるが、しかしながら時代の都合により校庭は解放されていたのでこれほどに運動を嫌い憎む少年ですら母に姉そしてまだ赤子だった弟と共に夕方に校庭で運動や器械体操をすることができた。


 教育に機会均等が無いように運動にも機会均等があるわけではない。しかし昭和のガキはテレビゲームも携帯ゲーム機も携帯電話もなく本を読むのは変わり者であったため運動ばかりしていた。



 おしくらまんじゅうだのドッヂボールだのいじめと変わらんのも多々あったが。弱いものはこれらに嫌々でも参加させられていたので多分相当な数の子供が育つ前に淘汰されていたはずだ。アレルギーなんて花粉症すら認知されていなかった時代だし。つまり弱きは死すべし。


 余談だが東京オリンピックトランポリン競技代表に選出された森ひかる氏はたまたま地元スーパーマーケットの屋上に遊べるトランポリンがあったことが選手生命の始まりらしい。教育の機会均等は難しい課題だが運動もまた機会均等は難しい。昭和のガキはまだ運動する余地があったというか、運動しかできなかったというか。なんせ『一人では遊ぶことすらできない』と親が子供に教える時代であり、家にいる子は叩き出される時代で『子供は風の子』といって真冬に半袖で子供を放り出す時代である。風邪の子の間違いであろう。


 それはさておき、友達と遊ばずオリンピック選手になるはずもない鴉野が一家揃って皆が楽しむ野球もせず、当時まだブームが訪れていなんだサッカーもせずに校庭で何をするのか。


 父の空手の型練習を見る。母は口には出さないが筋肉が好きな傾向があると長じた息子は感じているが、この頃は父の行動が当たり前すぎて思いもよらない鴉野。



 鴉野はダンスなどの振り付けを覚えるのは無理であり、当然それは空手の型にも通じる。とりあえずセンスがまるでない。サイの型の一つくらいできれば大道芸くらいはできたであろうにもったいない。


 しかし型はできずとも腹筋や懸垂に付き合って一緒にぶら下がる。父は鉄棒で大車輪などをする。1500メートルを目処に家族で走る。こういった運動行為を鴉野一家は運動場を用いて行っていた。鴉野家だけではなくこの時代の校庭は昭和において周辺コミュニティの共有物であったのだ。


 なお父が「にんじゃ〜♪」と称して校門の壁を駆け上がって用務員さんに叱られる人だったことは幾度も語っているので今更である。肝心なのはこれらの運動は『逃げる』訓練として最適であったことだ。


 鴉野も姉も当時は赤ん坊だった弟も脚は遅くても障害物競争やハードル走は得意だった。なぜかこれならば一着である。


 なぜか跳び箱だけはもっと大人になってからできるようになったが。体育館は取り合いで子供が一度苦手意識を持ったものは覚えさせるのは難しい。


 ここで考えてもみてほしい。跳び箱、縄跳び、平行棒、鉄棒、水泳、1500メートルなどなどは逃げる為には必須の技術を詰め込んである。



 本当は母も父も金槌の鴉野を熱心にスイミングスクールに通わせようとしたのだがこちらも球技同様成果をあげることはできなかった。まじ金の無駄。鴉野が泳げるようになったのはスイミングスクールと関係ない中学や小学校高学年の学校における授業による。金かけてもタダに負ける!


 なお、弟はスイミングスクールがちゃんと効果を発揮して選手コースに入るほどに上達していたので、やっぱり鴉野側に問題がある。


 まあ25メートル泳げるか、最低溺れないよう浮けるならば人間相手に逃亡するためには問題なかろう。


 かくも鴉野たちは格闘技とは縁のない人格と武術者並みの逃亡技術を鍛えていたのである。自覚もなしに。


 例を挙げると鴉野は幼き時の遠足における食事休憩にて、学校の同級生どもに追い詰められて子供がギリギリ通れる土管のベンチに逃げ込み、出口で待ち構えられていたことがあるが、根性で土管内にて首を曲げ胴体に密着させ膝を無理やりまげて転換を図り休み時間終了までに逃亡に成功したことがある。一歩間違えたら行方不明事件となっていた案件だ。昭和の学校担任にコンプアライアンスなど期待してはいけない。


 結論として父は鴉野を空手家にすることには失敗したが逃亡技術を仕込むことは図らずして成功した。



 これは後に偶然知ったことであるが筑波大の監督を務めた広山勉氏の著作『最高の走り方』曰く最近の研究によれば人間の走る速さは各距離に置いて1500メートルを基準に一定の法則性があるらしく、また1500メートルは子供が全力で逃げるなら体力の限界に近く、また大人を振り切るには充分な距離だ。


 チーターほど速く走れなくても初動と逃げ方でガゼルは逃げ切ることができるように。また鉄棒技術は壁を乗り越え懸垂でクリアし、自分より背の高い壁を逆上がりや背面逆上がりでクリアが可能になる。跳び箱が出来れば二段ジャンプで障害物がスーパーマリオのジャンプ台に変化する。これらを鴉野は大人になってから以前短期間通ったパルクール教室で理解した。


 沖縄空手の達人には城と書いてグスク登りの達人がいたが、ボルタリングよろしく指先に驚異的力を持っていることは大事である。そうでなければ喉笛を引きちぎれはできまい。空手の奥義と漫画『空手バカ一代』にて紹介されているとされる三角飛びはパルクールにその技がある。壁を駆け上がってそのまま高角度の回転かまして上から膝を落とす大技ができるであろう。この時パルクールでは膝の力を抜いてショックを抑えて上にエネルギーを持って行くことで壁を走ることすら可能とする。

 言わば集団と闘う技は逃げるに通じる。古来から人類は如何に遠くから如何に怪我せず一方的に敵を倒せるかを追求してきた。



 父が遊びや親子マッサージを通してレベルが低いと断じて去って行った親御さんに『最高の教授をしているのに』と面と向かっては言えないが理解されないことを嘆いていたことが今ではわかるのだ。


 正直、今日日喧嘩で強いより、天井の突起や壁、地面のベンチに飛びつき空を飛ぶように移動できた方がネタ的に面白い。


 人間の重要な血管等が通っている部分をスパスパつねり倒せるなら漫画『グラップラー刃牙』の鎬さんみたいで厨弐病的にカッコいい。



 多数を制するにはハッタリも大事だし商売としてはお弟子さんには師匠より強くなってもらっては困る。


 勝手に『ハアッ!』と叫んだら倒れる程度に訓練し、一般会員には定期的に銀行振り込みしてもらうのがよい。ステイホーム推奨な現在なら道場もリスクが伴う。


 動画で教える本格空手。でも実態はビジュアル系。


 セクシービジュアルマッチョによるTikTok映えと親子マッサージ推奨クライミングパルクール空手。


 コンセプトがカオスすぎて流行りはしないが、これなら鴉野も真面目にやったかもしれない。



 武術で人を倒すより人や自分の命を守り続けること、道場を経営して多数にその教えを正しく伝え続けること。それは試合で勝ち、道場の名声が上がる反面お弟子さんの身体を壊して生涯空手が出来なくなることより、幾分か人道的かつ社会の利益になると思われる。


 実際、古流剣術の一部では基本技が奥伝だったりするが、暴走した弟子を討つ安全手段だったと考えられないだろうか。


 今や各流派の奥義も工夫も動画で共有しあい、遠隔地の先生がたの型を動画で拝見出来る時代であるが、逆に悪評も広まりやすい。


 読者様には強すぎて慢心し友達を作らず敵を多く作った結果工事現場にて上からスパナを落とされて殺された我が父の友人の轍を踏まず、武術や運動や学業を新型コロナウィルス騒動によるステイホームにて学ぶことで明るく楽しく困難から逃げ、実際にその速さで走った幼少期の鴉野ではないが、幼き日や長期移動中の高速バスなどの中で閑にあかせて妄想したであろう空想の窓外の忍者よろしく光の速さで明日にダッシュしつづけてほしい。それはきっと楽しい。


 今の鴉野の脳内では、その透明のNINZYAは在りし日の父であったりする。とても愉快な妄想である。


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