夢見るように起きていたい「てか休ませろゴラァ!」
「鴉野君! 大変だ!」
休日にかかってくる電話。
大変なのは仕方ない。現場が困っているなら行くしかない。鴉野は休日出勤を決意した。よっしゃお小遣いヒャッホー!
なお、友人S曰く。
「お前は人が良いから騙されているのじゃないよな」
多分違う。
鴉野の知るその現場はだいたい数時間で終わる。日給もフルで貰える。フルタイムでも九時間拘束までで基本朝三〇分、昼一時間、三時休憩三〇分と合計二時間休ませてもらえるという夢のような現場である。
そんな好待遇を与えてくれる現場の人が困っているなら行くしかない。
鴉野の瞳に『金』の二文字が踊っているかはさておき『眠い』の文字はある。
雨だヒャッホー! 先日買ったマッキントッシュフィロソフィーの靴を試す時だ!
急いで向かった現場では。現場の人たちが以下のように申しており。
「昼まで仕事ないから適当にぶらぶらしていていいよ」
あなたが神か。ゴッドか。
にも拘らず鴉野は何もせず雨の中突っ立つ羽目になった。何故か。
『いや、どうしてこうなったし』
突っ立つ元気があるのは股間だけで良い。
鴉野が真面目な人間か否かと問われれば読者様の大部分は『ただの変態』と答えるであろう。
後から来た先輩が立っているのだから立つしかない。
いや、無視して休めばいいのだが先輩に仕事(※正直、周辺住民には我々は立っているだけにしか見えないであろう)をさせて自分だけぶらぶら昼まで過ごすわけにはいかぬ。鴉野は面倒だなと思いつつ雨天を眺めることとした。
心を無にするというのは何も考えない事ではない。
むしろ雑念をこれでもかと頭の中にぶち込んでいる。
鴉野はかような環境でも一刻とも無駄にしない。
例えばこの場にいながら『ボブに眼鏡でちょっとブサイク貧乳、かろうじて腹がくびれているくらいの女子の痴態』を幻に見ることを試みる程度には時間を有効に活用できるのである! 惟は完全に大嘘である。
与太はさておき、数々の想念や周囲の環境を過集中的に集積した雑念の中の雑念。それをそとから『俯瞰してみている』瞬間こそが無である。
怒る、悲しむ。笑う。喜ぶ。
暑い。寒い。辛い。痛い。
これらは過剰に心のエネルギーを消費する。
ただ、周囲に注意を払うことのみを要とするなら。
風の音、街の香り、換気扇からかおるカレー味、頭上で回転する看板、寒さ暑さ脚の痺れ。
これらをまとめて外から見ている気になればいい。
着目するのは何も見ていない空間だ。
こころはいらない。
その省エネを用い何もない場所をつぶさに見る。
看板が動いている。人が話している。風が動いている。蜻蛉が飛んでいる。
すべての興味が無かったものが見えてくる。
そういった感動すらエネルギーを使うのでまた無を探していく。
虚を見つめることで世界に輪郭が出来ていく。
それらをじっと見ている別の自分になっている。
それがあたらしい『こころ』を構成していく。
そんな虚無を妨げるのは『休憩』であろう。
ぶっちゃけ鴉野は『休憩』が好きだ。
無と鴉野が呼ぶ状態は寝ているのと大差がない。
曰く、ピアノの達人の脳は一心不乱に弾いているときは『寝ている』らしい。
身体が覚えた手技を実践し、それでいて五感が生き、夢と現実の狭間に奇跡を見出す技がそこにある。
つまり、鴉野にとっては仕事をする事は『寝ていると給料が貰える』のと変わらない。
如何に腰を痛めず足を痺れさせることなく楽に立つか。如何に寝たまま仕事をこなせるか。鴉野は生真面目とは縁のない人格である。
二〇年前、組手を寝ながらやっていた鴉野は奥義を見出しつつあった。目覚めたまま明晰夢。
その奥義をもってしても普通に何も考えずダラダラ雑念想念に捕らわれ、ともすれば横になってグースカ寝る休憩のほうが好きだという時点で鴉野の人格がわかろうというものである。
怖れも怒りも悲しみも喜びも一歩引き離して他人事として眺めている幽霊のような時間は幸せも不幸せもないのだろうが、鴉野が好きなのはあくまでも俗人として生きることだ。その辺がマインドフルネスとか瞑想だかと違う。
鴉野は早くも自分に条件付けプログラムを施す技を身に付けている。だっていろいろ考えるの面倒だし。『痛い辛い熱い寒い』と言いながら時を待つなど拷問である。鴉野は寝ていたら退勤時間にワープのほうが好みなのだ。その鴉野にとって大事な休憩を妨げるのは誰だというと先輩である。繰り返すが何故こうなった!?
「鴉野君は三〇分でも一時間でも休憩していていいよ」
先輩は雨の日にも関わらず休憩交代を頼む鴉野に眩しいセリフを放っており。イケメンか。イケメンかよ。
いや、実は二人共同時に休憩してよかったのだが。
鴉野は鬼畜で怠惰で非道なのだがある程度の処世術はあるつもりである。
『先輩だけ仕事させて自分だけは休むわけにはいかぬ』
いや、勝手にやっているのだから勝手にやらせてもらえというか、これは無視して自分だけ休むのが吉であるのは理解している。だいたい我々は休日出勤なのだ。休めるなら万々歳である。
これに付き合って自分も疲弊したからと『付き合うのマジ迷惑なんですけどぉ』(※偽若者口調)と言ったところで『勝手に俺に付き合ったのは貴様だろう』とどこぞの自己責任理論内閣が申す程度には道理が通らぬのも理解しよう。
結局鴉野は一人でデキるのに二人でヤる羽目になった。ひとりでできるもん! そんな一人遊びはナニかとアレだが二人で出来たらもう結婚しようとかハートフル展開にならないのが『無笑』であり鴉野の数奇な人生でありこれらは全て嘘っぱちなので『無笑』を本当の事と思ってはいけない。全て妄想の出来事である。どちらかというとフィクション。
雨中に立つ漢二人。
絶対防衛の構えであるがナニを守るかは鴉野の知るところではない。
『出来たら休んでほしいし、おれが一番休みたい』
夢を描いたら心あなたに届け状態の鴉野。五感が覚醒したままある程度のルーティンワークが可能なのに自分の心は他人にコピペできないプログラムのバグ。
そんな鴉野たちにお昼休憩がやってきたが先輩は動かない。休憩(は二人共一緒に)とってくれと現場の人はそのように指示しているのだが。
「鴉野君。先に休みなさい。休んでいる間に何かあると大変だ。僕はごはん食べない」
この辺で鴉野はだいたいブチキレた。先ほどまで偉そうに書いていた無とはどこへ行ったのか。
基本的に心を使うのはエネルギーが要る。
見えていたものが急に見えなくなる。
だから人間は面白いが鴉野はそういう時間は大抵面白くない瞬間である。ぶっちゃけない方がよい。
「えっと。先ほど私が三〇分休憩しましたので三〇分! 交代です交代! あとは私がみていますから!」
嫌だ! 休憩時間に仕事したくない!(本音)
こうでもして追い出さないと駄目ってどうなのか。
なかば無理やり頼み込みお願いですからと追い出した鴉野は一五分後コンビニ飯を食べて帰ってきたと思しき先輩を見ることになる。
勝手に一人だけ休憩を切り上げるとローテーション制度にしても時間がずれて混乱をきたすがそれより。
『あ、近場でラーメン食べる計画が潰えた』
最近の鴉野は弟氏を見習い大抵素直だがブチ切れる案件があるとすれば『先輩が休まない、先輩の休みを削る依頼を依頼主がしてくる』である。なぜなら付き合うこちらも休憩時間が削られるからだ。
悟りに近い境地を知ってなお、現世に留まる地獄路。
「おねがいですから、休めるときは休んでください。忙しくなるときはどうせ休めません!」
ブチ切れ気味の鴉野は往復時間含めた一五分で戻ってくる羽目になった。いや鴉野が勝手にやっているのだがこれは事実上強制ではないか。
そもそもここはなにもせずとも二時間休ませてくれるのであるが彼は一五分しか休んでいない。
休出だけにふらついているので疲れていないわけではない。自覚がないのかもしれない。
ダンディとは男のやせ我慢と阿久悠は述べたが、無自覚とやせ我慢は絶対違う。
疲れに気付かなくなると言えば覚せい剤や脱法ドラッグなのだが、昨今の学生は市販薬でラリるので脱法ドラッグのシェアが壊滅状態らしい。なら我々は仕事でラリっているに違いない。
「すっごく休みたいのですが、先輩が休まないのでこうやって立っておかないと休んでくれません」
鴉野の泣きごとに『難儀やな』と現場の人は言ってくれるが、その先輩が一五分で帰るので鴉野の休憩も当然一五分になる。一時間休憩なのに。
つまりこの時点で鴉野の総休憩時間四五分。先輩はわずか一五分。
ジャブの恐ろしさは知らないうちの蓄積ダメージであり、休憩を取らない休日出勤の恐ろしさを舐めてはいけない。
息を尽かさぬジャブの嵐。
連休なし。休日出勤。人間は疲弊する生き物のはずである。
昼から忙しくなるはずだがあまり忙しくない。
ぶっちゃけコレ自分一人で良かった。二時間休める。
そうしたら雨の中新しい靴を履いてウキウキ仕事していたはずであるからして。
「もう帰って良いですか」
その二人必要な仕事が終われば冷静に考えたら一人要らないし、休憩時間に仕事がずれ込んでまたお互い一五分休憩をしたので鴉野の休憩時間は一時間。先輩の休憩時間はわずか三〇分である。
余談だが現場の人たちは我々が休憩できなかった場合残業代を払わねばならない。
『俺が現場の人だったら、これで残業代くれと言われたらちゃぶ台ひっくり返す』
鴉野はいろんなところで昔から鴉野である。
休憩交代人員がいるのに休憩時間が減るならこれはデバッグ必須だと思われる。
二人共休んでいいのに結局ローテーションになり、そのローテーションすら早く戻ってくる人の所為で崩れてズレれば『アイツサボってやがる』になるのは相方である鴉野なので普通に困るのだが。
ちなみに鴉野が何故それでも休憩時間中に付き合うのかといえばそうして代わりに仕事しておかないとこっそり帰って仕事されてしまいそうだからである。
空の上から俯瞰して自分を見る。
『ザッケンナコラー!』
鴉野氏は内心叫んでいる。超絶わかりみ。
まぁ何度も述べるがこの現場の人は親切である。
なんだかんだで遅れは出たがサイン貰って帰っていい運びになるのだが。
そ れ で も 先 輩 は 帰 ら な い 。
我々は休日出勤であり、さっさと帰って同じ給料もらったほうが得である。
「先輩が帰らないと自分も帰れません。迷惑ですから帰ってください。あなた一人だけ働かせる訳にいきません。いくらでも休んでいいというお気遣いは嬉しいのですが先輩一人だけ働かせて自分だけ休むと気が休まりません」
鴉野はナチュラルに面と向かって言い放った。
先輩は君に指示されるいわれはないと述べたが着替えもせずに荷物をまとめて去っていった。
こっそり戻ってこないだろうな。
鴉野は様子を見てから帰った。
ぶっちゃけ一人で仕事するより疲れた。
疲れるとどうなるかを述べよう。
自己評価が限りなく下がる。
生きていていいのコレ(自分)ってなる。
自らに人格を認めないようになるとどうなるか。
実は鴉野、前もってマグロトロ丼を作る準備を母がしていたのでそれを帰宅後食べるつもりだった。
食う気が起きない。
こんないいもの食べて許されるのかなな気分になる。
例によってやまに旅立った母から買い物を頼まれたがそうしてダラダラしていたら当然特売日なのにスーパーに行けなくなる。余計自己評価が下がる。
結果寒い、苦しい。空腹のほうが『快適』になる。
ポトフを温めて食べるだけなのにそれが煩わしく冷えたポトフを食べ、美味しいご飯を用意したのにそのままマグロをヅケにして冷蔵庫に戻し、小説『二丁目のガンスミス』でも完全食だと言っていたとプロテイングラノーラを頬張る。
ああおいしい。
味覚も鈍るし、何か生産的な事ができるわけでもないのに筆は進む。
鴉野は死にそうな目にあったりロクな目に遭わなかった場合『無笑』を書いているが、ただ思い付きを垂れ流すだけではなく噓八百で再定義することで自分の夢と現実を書き換えていくことだと本稿を定義する。
「鴉野さん! 大変です!」
どうした仮想人格君。
「ボートレースで大穴当てました!」
よかったやん。
偶然もまた世界を変えていくかもしれない。
夢を観ましょう。
現実でのたうち回っていこう。
狂ったようにピアノを爪弾く音楽家のように。
白昼夢を見るように。
明晰夢のように仕事に没頭する自分を遠くから眺めることができるなら。
ひょっとしたらなんだってできるかもしれない。
「で、仮想人格。最近アシックスの『究極の歩き方』と広山勉監督の『最高の走り方』って本を併読して思ったのだ」
サボるためにただ効率よく立つことを約一年。
力まず疲れずカッコよく立つことがうまくなり、起床したまま明晰夢のような真似ができるようになった。明晰夢の中では時間すら飛ばせるし物理法則すら関係ない。立つのがうまくなったのでムーンウォークができるようになった。
「それがどうしたのですか鴉野さん」
「そうなると、重力とか空気抵抗とか関節の張りとか体構造を考慮して最も効率のいいパンチはどう打つかとか理屈で考えたり、身体操作技術や精神操作技術に長じるようになり、放送大学のテキストなども有用に使えるようになって気づいたのだ!」
やっぱ、健康になるため歯磨きする。中身に自信をつける為オシャレをする。不安を解消するため勉強する。
Twitterとかで愚痴っていても逆にみじめになるから新聞でも読んで一次資料を探す。そして運動が大事だと。
「……嫌な予感がしますが、聞きましょう」
「俺も42.195キロ走れないかな」
「……明晰夢的な集中を起きたままできても、本読んで誰でも出来たら苦労しませんって」
「ですな」
鴉野は結構夢見がちなのかもしれない。




