親方! 空から○○がふってきました!
大阪府梅田駅。阪急百貨店前。恋人たちの待ち合わせスポットの一つである。佇む女性たち。
息せき駆けこんできたのはそこそこ長身、たれ目の青年。久しぶり登場の仮想人格君である。
「お初にお目にかかります。Hさんですよね。ぼくの名前は……作者でもご存じないので仮想人格ってことでお願いします」
二月半ばと言え暦の上では春。ぼちぼちと梅の花も楽しめる季節になっている。
「鴉野さんまだかな」
せわしなく貧乏ゆすり。
いくら暖かいといっても限度がある。
そんな若者にぎこちない笑みを浮かべる相手。
初対面ゆえか緊張しているらしく、その動きはぎこちない。近くに立つとほのかにメイクの香り。
相手は戸惑ったようにつぶやく。
中性的な声の持ち主だ。
「冗談はほどほどにしてください」
すっとその人物の腕をとる別の小柄な女性。
コートの上からでもわかるほどスタイルが良い。
「指先はこの角度。脚はこう運ぶのですよ。バックの持ち方がおかしいです。女の人は掴んだりしません」
カメラ代わりのスマートフォンを片手にその女性はニッコリと彼にほほ笑んで告げた。
「初めまして。仮想人格さん。Hと申します」
「いい加減にご冗談はお辞めくださいませ仮想人格様。わたくしが鴉野などとうにご承知でしょう」
ええっ?!!
仮想人格君の悲鳴が響き渡った。
時間巻き戻して正午前。
新刊チェックのために梅田をうろつく仮想人格君はメールをチェックしてためいき。
久しぶりにメールを使う。
スパムを消しつつメールを読んでいく。
H:ごめんなさい。少し遅れます。12時6分に到着しますね。
Karasuno:いえいえ。ごゆっくり。こちらこそお約束しておきながら遅れて申し訳ありません。11:57着の電車に乗ります。
「鴉野さん。また長風呂したりして八時に用意して正午の約束に遅れるパターンですね」
そのくせ服装選びのセンスなどは壊滅的。
裸で出てきたほうがまだネタ的にマシだ。通報される。
「さて、お二人が来るまでボクは紀伊国屋書店でもいってきますかね」
ぐっと伸びをして冬の風と暖房に温められた土埃を吸いこむ青年。エスカレータの上で子供がはしゃいでいる。軽く伸びをして永遠の二十歳の青年はひょいっと腕を伸ばした。
エスカレータから落ちてきた少年を軽くダイビングキャッチ。拍手喝采に気取ったポーズで応えた彼は偶然動画を撮ったカップルにサムズアップして進む。
「あたた。『親方! 空から女の子が降ってきた』ならさておき、男の子は嬉しくないですね」
まともに考えれば結構なイケメンなのだが彼は幼女愛好家。愛でるのがメインと言うだけあっていまだ彼女はいない。
「そんなこんなで警察いったり感謝されてしまったりいろいろあって遅れた訳ですが」
言い訳をする仮想人格君にこともなげに二人は応える。
「あるある。ひとなんて普通に空から降ってくるわ」
「まれによくある。気にするな。仮想人格」
『降ってくるって意味違うよね? 自〇だよね!』
仮想人格は大声で突っ込んだ。
相手二人。特異点の持ち主である。
「雨に濡れたくないからと言って、トラックごと支払いに突っ込んできたとか普通にあるよね~~」
「私、ゲイに告白されたよ! 男の子より男の子らしいから道具で掘ってくれって。ドン引きだよね~~」
あ。いや、そんなこと普通の人は遭遇しはしない。
言いかけた仮想人格に二人は告げる。
「俺らちょっと人より変らしいからツッコミ頼んだ」
「頼んだ!」
「なぜ初対面のお二人がそこまで意気投合しているのですか! おかしいでしょ!」
「なんかすげえ気が合う」
「結構変なことを経験して一周回ってきたし」
今回の話は鴉野が女装した話となる。
なお、上の写真は一切修正していない。
その筋では有名なプロのメイクさんとモデル経験があるH氏の指導によるものである。地味になろうで素顔初公開だな!
「バリバリ化粧済みの何処が素顔」
「頬っぺた痒ければ耳を引っ張って耐える程度」
「女の子の素顔は化粧と服着てからなのよ。仮想人格さん」
仮想人格が平常心を失ってしまったので鴉野が書くことにする。
あらかじめ断っておくが知らない世界に不用意に足を踏み入れるのはおすすめしかねる。狭い世界だったので昔は自重が効いていたが恋愛や派閥が絡まなければ今でも大丈夫とはいえ最近勢力拡張のために手段を選ばないもの、強引な行為に及ぶものなどがいて身の安全を保障できないし、そういった人間が優良なサロン等を攻撃したりする可能性を考えた場合わかる人間には解るかもしれない範囲で書くしかない。
幸いにも今回利用した場所は皆常識的で楽しい人々であり、初心者である鴉野にとても親切にしてくれた。感謝の限りである。ネットで大々的に宣伝しているから安全というわけではなく信用できる人からの口コミが重要なのは今も昔も変わらない模様だ。まさか読者様で興味がある人はいらっしゃらないと思うが、鴉野の真似はあくまで自己責任でお願いします。
まぁ節操なしの自称ノンケと違い、ちゃんとした品格溢れるガチホモは女装なんて相手にしないはずだ。
余談だが女装のSはナルシストでホモはほとんどM属性らしい。誰得情報。
阪急十三駅。関西の資産家にしてタカラヅカ歌劇の創始者小林十三にちなんだ名を持つこの駅周辺は鴉野の記憶と大きく変わっていた。
Hさんは鴉野の知り合いであるが今はネットの世。
実際に顔を合わせるのは初めてである。
ぱっと見にはデートっぽい。しかし。
鴉野が女装するための集いだ。
全然艶が無い。
むしろ今から鴉野が艶を出す。
体形的に線が細く女装は似合うだろうが、顔が顔だろうからネタも混ぜる。そんな打ち合わせは鴉野の顔を見た瞬間からH氏は放棄したらしい。
特徴のない不細工だがいくらでも化粧が乗る。
これから流行るであろう外人さんの女の子みたいな化粧がとっても似合いそうな顔立ち。
「え。何処でこんな素材見つけてきたの」
キラキラとした瞳でノリノリのママさん。
この界隈では有名なメイキャップアーティスト。
「やっぱ、お仕事かしら」
「いや、いろいろと」
H氏もまさかなろうで拾ったとは言えない。
無難な話になってしまう。
「あれだよね。連れまわすよね」
「そういう羞恥プレイじゃありません」
一本歯下駄履いて日常生活を送る鴉野である。
「いくいく。電車? なんか支障あるのですか」
「電車乗って東通り商店街を歩く程度には行けるわ」
ノリノリの鴉野、水着サポーターまで持ってきた。
「何故そこまで」
「剃ってくるのはあり得ると思ったが」
「やるからにはとことんやる」
掘られたら
二度掘り返せ
バイ返し
By からすの
「下着とかつける? そのほうが決まるわよ」
「買ってきまーす!」
ダッシュで近くのワコール直営店へ。
一〇八〇円にて上下セットの良いものが揃う。
なお、男性が下着を買っても今日日の店員は気にしない。鴉野も気にしていない。気にしろ。
土産物と女装愛好者が集まるサロンは盛況であり、お茶お菓子を手に和気藹々と近況報告をする男達。
見る見るうちに四十路、五十路を過ぎた男達が女の子の姿になっていくのでテンション高い。
基本的に同じ愛好者なので仲もよさそうだ。
「こんなノリノリで恥ずかしげもない人、初めてかもしれない」
呆れる人々に仙人一本歯下駄の画像を見せ、H氏ぼやく。
「これで山登っちゃう人ですから、たいていのことに慣れていらっしゃるようで」
普通の人は女装したまま外に出ること自体が大変で、ましてや電車に乗って移動なんてとんでもないらしいが鴉野にとっては『別に恥ずかしいことなんて何もしていない』なので問題なかった。
性の乖離に悩む等、やむをえず女装するという悲壮感が存在しない鴉野には真剣さが無い。ネタだけで変身するといろいろ周囲とのズレが発生する。
ひょいひょいっと下着の中に男性の証を収納する鴉野。いつの間にか習得した無駄な武術の技能であり、父も草葉の陰で泣いているであろう。
「これ、スパッツ(※パンスト)履き難いな」
「あ、履いたら慣らしてね」
結構暖かいし薄くて軽くて高性能だ。
何より足が細く見えるし腰が更に細くなる。
「最悪コルセットと思ったけど不要ね」
「可愛い服用意したけど、9号だとブカブカみたいだし、ちょっと待ってね~~」
下着を身につけるだけで引っ張ったり詰めたり大変だ。その間にどんどん鴉野の脂肪と筋肉は適所に収納されていき、どう見ても女性の体形になっていた。
というか、股間のモノはどこに消えたのだ。
マイサン。帰ってこいマイサン。
武術の人は股間の凹みに睾丸を納めてしまう。
普通の人はやらない無駄技術である。
これならビキニでもばれん。
小さな布の癖に女もの下着は高性能だ。
「てか、あったかいから今度から使おうかな」
「伝線は冷凍庫である程度防げるわよ」
そんなこんなで椅子に座るとシェーバーが頬に当たる。化粧の刷毛が鴉野の肌をさする。
音もなく揺れる筆が見えないラインを描き、吐息と共に吐き出されて場に馴染んでいく。
「やっぱり素質あるよね」
「逸材ね」
普通の男にとって女装の才能など九割九分九厘必要ではない。鴉野も骨格は男性の物だし、手は荒れ放題だ。しかし男というイキモノは手荒れなどあまり気にせず、警戒すべきは女性らしい。女のほうがこのへん怖い。
前話参照のヤクザより女のほうが怖い話をすると。
「そうなのです。女の子のほうが怖い。
整形に力入れていてさ。家を買ってもらって浮気させて乗っ取るって……あれ投資に応じた権利と思っているからね。罪の意識が無いよ。そういう子」
「泥棒を捕まえたら『みんなやっているのに私だけ捕まった。私可哀想。今日は運が悪かったと思ってあきらめるから明日から普通に出入りさせて』という趣旨だったので断ったところ、国民生活センターにそのご婦人が通報なさったので始末書を書きました」
「さすが鴉野さん」
というか。
「チンピラと刃物沙汰になっても書いたことない」
「ちょ。そっち詳しく」
様々な業界話も飛び出す。
「あれです。今日日のSMはダメです。
性欲を満たすとかアホですか。なんのためにするのですか。風俗行きましょうって思いませんか」
「わかる! 解るわ! イイこと言うわね!」
「Mって言うけどあれしろこれしろってお前ホントにMかって。Sのほうが気遣い出来るよね」
「解るわかる。自称Sって性格が悪いだけ」
「ちゃんとしたSを育ててあげたいわ~~」
「Sって大変ですからね。感染症や余計な痛みをなくすために指紋がなくなるまで道具を手入れしないと」
「わかる」
「わかる~~」
取敢えず武術もSMも道具の手入れはこまめにせねば余計な怪我や苦痛、トラブルの元である。
人間関係は気遣いでできている。
鴉野の祖母も『力があれば力を使え。頭が良ければ頭を使え。どれもできないならヒトの為気を使え』と教えている。
というか。なんかすごく濃い話してね? 俺ら。
こまめにママさんが化粧のポイントや使う道具、安心できるメーカーなどなどの知識を惜しげなく披露しつつ化粧を施してくれるのは参考になるし、モデル経験のあるH氏が隣から補助してくれるので見る見る鴉野の容姿は変化していく。
美人と評判だった伯母の若いころから激怒しているゆっこさん(母)の顔へと。
「表情硬いわよ。鴉野さん」
「自然な笑顔で。あ、ちょっと舌を挟む感じがいいわね」
「骨格が少し傾いているわね。昔肩を怪我しているでしょう。それをかばっていた時期があるわね。あと鍛えだしたのは歳をとってからかしら。武術は剣道の割には背中が甘いし、胸を鍛えるのが好きなのかな」
Hさんは筋肉マニアだ。見た筋肉の質や経歴をだいたい当てる能力を持っている。
自身も武術の使い手にして、小柄な身体でありながら背筋力220超えという猛者であるが、その容姿とまったく相反している美人さんである。
「美人ならここにいる」
「Hさんのほうが可愛い」
「可愛いは作れるけど、欠点を潰そう潰そうと思うと逆に綺麗じゃなくなるのよね」
「良いとこも悪いところもあってのこと。大事なのはバランスでございます」
年配者たちの意見は含蓄に満ちている。
鏡に貼ってある『べっぴんさんになれるコツ』が微笑ましい。
「うっわ。この子はじめてなのでしょ」
「うらやましい」
女装の才能なんてほとんどの男性に不用だと思うが、そんなこと関係なく彼らは楽しくひたむきに自分たちを輝かせることを愉しんでいる。元の素質など些細なほど『彼女』達は輝いて見える。
突き詰めれば女性の容姿になるということは目立たないことであり、普通である。
だが、その普通がとても難しい。
「もう。鴉野さん。それじゃ脚痛めますよ」
「先日不覚にもぎっくり腰になって動けん」
「これこれ、足の親指の腹を使ってヒールを履く」
「蹴る。膝を曲げない。あと内側から。そんなに大袈裟な動きをするとわざとらしいから」
「和装している人とか古武術系の人は大地を掴む動きをしちゃうからね。初めてのヒールは女の子でも悲鳴あげるし、もって一時間で筋肉痛かな」
女性らしい歩き方やしぐさの指導が入る。
かなり難易度が高い。
「表情が男性のそれです。自然に意識して美しく」
女の子って普段からして大変だったのか。
「ええっと。鴉野君、このまま電車乗って梅田に行くの」
「行くっす」
電車に乗りながら鴉野はぼやいた。
「Hさん」
「はい」
「つま先立ち効果でぎっくり腰治った」
「治りません。体型変えるつもりでやらないと。それより腰を上げて。蹴りだすように。膝は曲げない。指先は鎖骨に合わせて……そう。それくらいでちょっと綺麗かな」
H氏はあきれたが、鴉野の腰の痛みは次の日劇的に良くなっていた。勿論筋肉痛など起こらない。
人間の生活には適度な運動と刺激、妙な体験が必要である。らしい。
だからって鴉野のように女装する必要などはない。
予想されたトラブルは一切なく、ふたりは普通に梅田界隈を歩いていく。
まったくバレなかった。
人間はいうほど他人に関心を払わない。
関心を払うということはもう他人じゃない。
なろうで受けなくても大したことじゃない。
女装した男に気付く人間は百人に十人いるかだ。
その十人の内一人も反応することはないかもしれない。
それでいいのだ。
もし、声をかけてくる人がいたとしても自分を恥じることは無い。
結果を受け淹れる必要はあるかもしれないが。
『自分のやっていること、やることをどのように言われても許せる。
しかし人を否定することで自分を証明する人にはなりたくない』
H氏はそのようなことを仰っていた。
皆はその通りだと言っていた。
世間一般で変態と呼ばれる人々のほうが気遣い上手だったり、まともと言われている人が壊れてしまったりまこと人間は外のカタガミに収まらない。
欲しい才能が手に入らず。
努力しても認められず。
努力の成果を環境のお蔭と揶揄され。
それでも自分を磨くことを忘れない。
そんな普通の女の子たちがこの電車の半数以上に乗って、いつも通りの人生を生きている。
印象を良くする。美しくなる。悪目立ちしない。
普通に毎日やっていることがすごいこと。
人間ままならないものだが、小石だって磨けば光り輝く。その鈍い輝きを愛しく思えるかが人間としての素質ではないだろうか。
日々を輝かせるために努力する彼女たちは美しい。
※ 電車内で大阪に久しぶりに来たというおばちゃんに乗り換え聞かれて受け答えしてもばれない程度の女装能力。




