依存症
鴉野はなろう依存症だと思う。
昨今改善の兆しを見だしたがその程度だ。
その前はネットゲーム依存症だった。
その前は読書依存症だった。
酒も好きだし、パチンコにも経験がある。
じゃ、なろうを辞めたら治るのか。
実際何度かログインを辞めたことがあるが結果的に戻ってきている。
スマートフォンを取り上げられたら子供なら泣くだろう。
オトナでもスマートフォンの電源を無理やり切られたら怒ると思う。
所謂スマートフォン依存症だが、自転車整備士試験をするためSNSやSkypeなどのアプリをごっそり削除してみた鴉野はこう思っていた。
「ほっておいても彼らは死なない」
鴉野がいなくなったからといって小説書く手伝いがいなくなる人はいるにはいるが彼には彼の人生があり、別に彼が小説を書くためにいろいろ駄弁ることの相手をするのも我々の交流手段の一つに過ぎない。
深夜に小説や趣味の話をするSkype仲間も、鴉野がいなければ仕事に専念するはずだ。
そもそも一〇分ログインしなくても、一週間ログインせず相手しなくても彼らには彼らを相手してくれるSNS仲間はいっぱいいる。一人減ったところでどうってことはない。
感想が来ていないか何度もなろうをチェックしなくてもたまにログインしてあらかじめワードで作成しておいた文章ファイルを予約投稿しておけば大抵のなろうユーザーは事足りるはずだ。
そうでないなろうユーザーは感想がたくさんありすぎてそもそも作品ごとに管理しきれないはずだ。
逆を言えばまったく問題ない。
無理に相手する必要はない。
世界は別に人間一人いなくてもちゃんと回っている。
自分がいなければならないってことはない。
それよりは試験など本当にやらねばならないことをやるべき。
なのであるが。
我々現代人はスマートフォンを片時も離さないし、常に他人と繋がり意思疎通ができる状況を重視している。
食費を削ってもスマートフォンの料金は払い続ける。まぁ就職活動に必須という側面を考慮に入れる必要があるが。
ネットゲームをしている最中、年配の方々で言えばテレビを見ている最中に家族に風呂に入れとか言われると不機嫌になった経験があると思う。
前者はネットゲーム内で行動しているメンバーの足を引っ張るからだし、後者はテレビ番組の内容を知らなければ明日の会話に乗り遅れるからであるはずだ。
多くの場合依存症患者からはその要因となるものを取り上げ、過剰摂取する場合は罰則を設けることで社会は維持している。
麻薬。酒。煙草などなど。
先ほど述べたスマートフォン。
試験勉強中の漫画やニコニコ動画なども言えるはずだ。
心当たりのない奴は表に出ろ。スマホは持たずに。
ドラッグが違法になっておよそ百年。
日本人なら1840年の阿片戦争を知らない人はいないはずである。
これがなければ日本は欧米の圧力に対抗しようと思うのは大いに遅れたはずだ。
いや、打ち払いという『対抗』は行っていたが敵の実力を知って現実を思い知り、明治維新の流れになるのは遅れたはずである。
阿片戦争。
絹や陶磁器を買ったり戦争したりする金がないイギリスが、インドで阿片栽培して清に売ることで資金回収を行ったことで起きた戦乱で、眠れる獅子とされていた中国大陸が張子の虎と判明した事件である。
人口増大による民度低下で自暴自棄になる下層民が増えたこと。
国内でもともと消費されていた阿片の取り締まりは意味をなさなかったなどがあるが、とにもかくにも清という国は麻薬によってほぼ機能不全に陥った。
そのうえイギリスと戦争して勝てるわけがない。
実は麻薬対策に対して清国ではこういう考えがあった。
「関税取ろうよ。阿片に。輸入は合法化する。どうせ禁止策しても効果ないよ」
しかし清国内部で反対が相次ぎ、阿片商人を撲滅することで対応することになる。
実は日本でも『阿片に対する戦争』はあった。
琉球処分により『沖縄県民となった』人々を清国の人間に殺された日本は抗議をした。
その時の清国側の回答は『あの土地は我が国の土地ではない』。
『OK。台湾は俺のものにする』こうして日本は台湾を手に入れた。
手に入れたのは良いが清国が見捨てる土地だけあってしょっちゅう乱が起きるし病気だらけ。阿片にまみれた困った土地だった。清潔面もダメダメだし。
日本は初期は激しく彼らを弾圧したが、こりゃダメだと方針転換。
まず阿片を完全合法化し、免許制度とともに供給量を制限することで住民の世代交代と共に麻薬吸入習慣を撲滅した。
阿片商人、あるいはヤクザどもは土木作業員として雇用。
こうして台湾は大発展した。中国が見捨てた土地だったのに?!
日本の植民地政策については非難ばかりをマスコミで見受ける。
実際の日本人はご存じの通り見栄っ張りで、東北の娘が身売りしているのに朝鮮半島や台湾みたいな植民地を立派にすることに力を注いでいた。
日本はかなり貧しい国だったので搾取構造を行うために植民地を愚民化させる余裕はない。
今でもないと思う。
もし大東亜共栄圏を維持しようと思っていたら。
あの時は戦争に負けたからほったらかしにできたが、ほぼ間違いなく大破綻してアジアは壊滅状態になっていたと思う。
正直、帝国時代の日本は投資回収できていないのではないだろうか。
特に満州と日本が呼んだ土地は現在大穀倉地帯であり、日本人の尽力があの土地を大穀倉地帯にして重工業地帯にしているらしい。
普段は『贋満州国』と呼ぶ中国人もこの件に関しては認めているそうだ。
さて。壮大な歴史の話はほどほどに。
お分かりだろうか。
前者は完全に撲滅を願って弾圧しているにも関わらず根を絶てずに国が亡び、後者は撲滅は願うが共存しつつその根を腐らせて絶ってしまっている。
依存症の真の原因は何だろうか。
清国は本当に麻薬だけで滅んだのだろうか。
そもそも危険ドラッグ(旧名『合法ドラッグ』。次々成分を変えることで法律で規制しきれないようにしたトリップ効果のある薬物類だった)に関する痛ましい事件はいまだ絶えないのだ。
抜本的にドラッグやパチンコ、過度なSNS、飲酒運転などを絶つ手はないだろうか。
だいたい、依存症ってどうして起きるのか皆わかるのか。
一人が離れたところでやっている人はやっている。
個人が『やめる』ことはあっても社会から撲滅することはできない。
なぜか。
そもそも危険ドラッグというが。
珈琲や紅茶、緑茶、果てはコーラに含まれるカフェイン。煙草に含まれるニコチン。
この二つだって一応どころか立派な快楽物質である。
というか、ニコチンの毒素はフグ毒以上らしいから大概だ。人類が喫煙習慣を手に入れるのが早かったから規制されなかっただけである。
大怪我をしたら大量のモルヒネを打たれる。
この純度は半端なく『上質』である。
鴉野は工場勤めの時、トルエン。すなわちシンナーで鉄板を拭いて油分除去する下処理を行っていた。
所謂『純トロ』であり、ヤンキーの間では末端価格で結構な値段になった。当時では。
……今どきトルエンで喜ぶヤンキーいるのか? とは思うが。
鴉野の話はさておきと言いたいが鴉野はトルエン中毒になっていない。
じゃなんで? なぜ鴉野はトルエン中毒にならなかったのか。当時の鴉野に聞いてみる。
『仕事道具で遊ぶバカがいるか!!』
ごもっとも。
しかし、鴉野を檻の中に隔離し、トルエンの瓶だけを置いていたらどうなったのか。
これを実際にやった奴がいる。
実は依存症なる概念を生み出した実験でもある。
ネズミを檻に入れて一つは水、もう一つは麻薬入りの水を用意する。
ネズミはほぼ確実に麻薬漬けになって死ぬ。
鴉野は『仕事道具で遊ぶわけがない』と述べた。
すなわち当時の鴉野は仕事で必要だからトルエンを用いており、娯楽のために使うものではないと認識しているのである。
美味しいご飯がある。
遊ぶ仲間がいて、遊ぶ場所がある。
きれいなねーちゃんとやり放題。
その上でちゃんと各々に役割があり、仕事がある。
社会が一人一人を尊重し、ひとりとして不要な存在はいない。
この状況に鴉野を放り込む。
いや、別に読者様方でも結構である。
どうなるか。
トルエンを皆で楽しむか。
「もちろん、この天国環境なんだからみんなでヤクやるのは当然だろ!」
と、答える方はいらっしゃると思うが、鴉野的にはノーthank youである。
だって無理に不味いトルエンしなくても他に快楽はいっぱいあるのだ。
健康を損ねるとわかっていてそんなことする必要がない。
そして重要なことをあなたは述べた。
「みんなでヤクをやるのは当然だろう」
すなわち、一人だけがヤクをやるという選択肢はないのだ。
みんなが幸せで、別段必要がない娯楽は顧みられることはない。
ネットが普及しているのに自慰的な偏向報道を行うマスコミがもてはやされないように。
異性にいろいろ気を使うより、ホモゥな漫画のほうが萌える腐女子やオタ男子のように。
取敢えず衝動的にヤクをやろうという奴はいないと思う。
過剰摂取する必要はない。ヤリタイときにやれる世界だし。
ベトナム戦争の時、アメリカ人兵士の何割かがジャンキーと化したが戦争が終わったら九割五分もの人間がスッパリ麻薬依存から解放されている。PTSDはさておき。
これはアメリカが追跡調査をちゃんと行っているので立派に統計データが出た『人体実験』にして『社会実験』となる。
依存性物質は確かに欠けたら欲しくてたまらなくなる。
それこそオナシャス覚えたての中学生が一日七回八回とやって動けなくなるように。
そのまま次の日もやっちゃうように。
いや、彼女作れよ?!
『できるわけねえ! 勇気ない!』
このヘタレ?!
オナシャスだってちゃんと脳内で快楽物質ができている。
もちろん依存性があるのだが、大人の多くはこれを克服している。はずだ。
保証はない。
しかしだ。
依存症。
これを『つながり』だと思ったらどうだろうか。
我々はスマートフォンの電源を二時間完全に切れと言われると良い気はしない。
便利なだけのものなら二時間くらいどうってことがない。
まして一生涯に一度しかできない体験の前には些細なことだろう。
電車内で暇なら本を読むという選択肢もある。まぁスマートフォンの電子書籍という話もないわけではないが。
人は他人と心繋がることを自然と求める。
健康で幸福な人間はふれあいを通して関係を作っていくが、それができない人間はトラウマ、孤立、虐待と戦いながら安心感を求めて近くにいる人間以外のつながりを求める。
ギャンブルかもしれない。過度な買い物かもしれない。
ゲームかもしれないし、SNSかもしれない。なろうだってそうだ。
いったんこの話題から離れよう。
目の前にケーキがある。当然食うだろう。
しかし、読者様が女性で、これがカッコいい彼氏の前ならどうか。
ガツガツ食ったら食い方が汚いと嫌われるかもしれない。
太るかもしれない。まず遠慮するかもしれない。
そもそも今、かっこいい彼氏がアプローチしている瞬間ならどうか。
バカ食いして相手を幻滅させようとする強者はいないと思う。うちの母である。見合いに集中しろよ。母よ。
誰かに止められるからではなく、大事にしたい仲間や状況があるから自分を律する。
依存症最大の原因。
それは生きづらさである。
かつてポルトガルでは百人に一人がヘロイン中毒というぶっ飛んだ社会だった。
刑罰を科し、さけずみ、中毒患者は社会復帰を禁じるように。
したのだが。したのだが。改善しなかった。まるで阿片戦争時代の清のように。
「あらゆる薬物を完全に合法化する」
「『しかし』」この『しかし』が重要である。
「今まで依存症患者を社会から隔離するために費やした予算をすべて社会に再び迎え入れるために使用する」
かつての日本のように、依存症の人間に雇用機会と起業支援。
厚生施設や心理療法を活かした現代的な対策も交えて実施した。
目標!
『依存症患者全員をベッドから朝起きて動く理由を作る!』
結果。たった一五年で依存症患者は五割も減っちゃった!? 減りすぎぃ?!
ニートだった君なら解るだろう。
ネットゲーマーだったあなたなら解るはずだ。
そばにいてくれるのはTwitterの仲間ではないし、ぶん殴って外に連れ出すのはFacebookの連れ合いではないと。
もちろん、ネットゲームの仲間たちが具現化して虚無感というモンスターを倒してくれることはない。
手に入れたゲームのレアアイテムは現実世界で振るうことはかなわない。
しかし、たとえわずかでつまらないものでは腕立てを延々とやればそれなりに体力はつくのである。
住む場所の床面積。
ほしいものに対して手に入ることの多さ。
それに反して現代人はいざという時に頼れる友人の数が信じられないほど激減している。
すべてが叶い、皆が幸せに暮らせる。
そして麻薬などと無縁な『ネズミの楽園』。
完全に孤立した檻の中、麻薬だけがあなたを誘う孤独な檻。
同じだろうか。違うだろうか。
あなたは一人じゃない。
依存症の対極はしらふじゃない。
『つながり』だけがあなたを依存症から解放する。
ぶっちゃけ、なろうの累計ランカーはいちいちF5ボタン連打押している暇はないと思う。
参考文献
TED日本語 - ジョハン・ハリ: 「依存症」― 間違いだらけの常識
http://digitalcast.jp/v/22965/




