何でも斬れる刀は『駄刀』である
今回は重複する話が多い。あらかじめ謝罪しておく。鴉野の父は鉄工所勤務だったのでとても器用だった。
『ぼくのおとうさんはかいしゃでナベやヌンチャンクを作っています』
そんなことを鴉野の宿題に書かれてへこむ程度には。
「ちがうんだ。休み時間に作っているし、ちゃんと仕事しているよ」
「はいはい。私はわかっていますから」
麗しき夫婦愛である。
最初くっそでかい剣を自在に使い、なぜか物語後半は素手ゴロになるキャラが某作品にある。実写映画ではくっそ強いキャラになっていた。あんなでかい剣を自在に操れたらそりゃ強い。
個人の戦闘能力は質量>>>技量なのだから致し方ない。
またトップの質は少数精鋭<<<玉石混合の山のトップである。
今回は珍しく、そんな『石』を増やし育てるべく奮闘した父の話である。
鴉野の父、仮名・久さん。
こんな父なので道場の子供たちが少しでも快適に練習できるよう万難を排していた。
防具や道具を辞めた子の親からもらって来たり、道具を自作したりしていた。『もげろ剣』で段ボール鎖鎌が出てきたけど、これだって工夫の一環である。
窓口が広いほうがトップも強くなる。ピラミッドはでかいほうが上は高くなる。
塩化ビニールパイプにウレタンを蒔きつけた建築資材に布をかぶせて竹刀もどきにして、子供用にしたりしていた。窓口は広くする。これが秘訣。
傑作なのは子供たちにまず教えるのは『みんなで遊ぶ』ことである。
鬼ごっこだのなんだのとにかく遊ぶ。超遊ぶ。
そして『お父さんお母さんの肩を叩いたり腰を揉む』ことを教える。
最後に『この道場はレベルが低いから辞める』と辞められてへこむ父。
弁解するがマッサージはスキンシップという意味もあるけど、急所を探る力を得る目的もある。らしいよ。たぶん。
父が現役時代は子供が二〇人くらい。外人さんが常に二人くらいわざわざ外国から来ていた。拙い英語を駆使して話す父は結構有能である。
そんな父の悩む案件があった。
『日本刀買って』
そう。抜刀術の刀はクッソ高いのである。
鍛冶師さんが捨てる一歩手前の駄刀でも三〇万くらいする。
さらに現代の日本刀は美術品として教育委員会の許可が必要であり、刀鍛冶が年間に打てる数は最初から決まっている。父はなんだかんだで母から刀を買う機会を得たから良いが。
この話は重複するので手短に言う。
そんな高い刀だが。
竹にぶつけると曲がる。容赦なく曲がる。
試斬に生竹なんて使ってはいけない。
相当な使い手でも刀を破損する。
そして破損した刀を研ぎに出したり修理に出すと十万単位で金が飛ぶ。
日本刀は何でも斬れるマジックアイテムじゃないのである。
なろう小説ならさておき。
ちなみになろう小説では刀を手入れできる環境とはどう考えても思えない。
魔法がなければ絶対ダメだと思う。日本刀自体が魔法と相性が良いのかもしれない。いや、異世界のことはわからんが。
日本刀の手入れについて鴉野はもう父に投げていた。情けない限りだがこればっかりはどうしようもない。三十八万円もするものを鴉野に預けるバカは鴉野家にいない。
手入れを教えて破損したらたまらない。
日本刀の手入れというのは結構複雑なのである。
父の手順を見ている限りの感想でしかないが。
となると結論はこうなる。
『これでは、抜刀は一般に流行らない!!!』
なろうだって毎月サーバーメンテナンス代二十万払えとか言われたら誰もやらないと思う。
刀をぶつけるたびに曲げる。刃をぐにゃりとやる。刃を欠けさせる。たまったもんじゃない。しかもそれが毎月なのだ。
へたくそに刀を扱わせるとこうなるのだが困ったことにへたくそほど刀で何かを斬りたがる。そして斬らせないと辞めたがるというマジで困った事態が起きて道場として困る。
『誰でも抜刀が習えるよう工夫せねば!!!』
父のえらいところはこれを本気で考えることである。
先にも言ったが窓口をすごく広くしてへたくそでもお弟子さんを増やせばその中から突出した人間ができる理論である。
実例がある。現代剣道だ。
竹刀は当初嘲笑をもって迎えられたが結局全力で斬りあえるために剣の技術は無茶苦茶に発達して以前の剣術を駆逐してしまった。中山博道九段は否定気味なんだがなあ。竹刀剣術。
窓口が広いので皆で研鑽しあう、研鑽したものを全力出して実戦してまた磨く。石ころでもダイヤを砕いてしまうことがある。
つまり、『めっちゃ頑丈な剣で練習したらへたくそでもうまくなる』。端的に言うとそうなる。もちろん、鴉野が実地で感じた所感的には様々な弊害を生むのだが、竹刀を用いる現代剣道が大成功だったことを考えたら大した差ではない。たぶん。
『そうだ。現代鋼でぶっ壊れなくて超斬れる刀作ればいいじゃないか』
旧国鉄の古いレールは良い感じに慣れて密度が上がっており、これを刀の形にするとすごい剣に化ける。
これは満州で次々襲ってくる盗賊匪賊を相手にせねばならない敷設の人が、護身用に製作、装備していたらしい。まして最強の現代鋼を鉄工所勤務のガチ職人が焼き入れして、本気出して加工するとどうなるか。
取敢えず見た目だけで言えば焼き入れすると鋼は良い感じで曲がるのでちゃんと日本刀の形状になる。
切れ味は? 斬れるの? 毎年夏になると鴉野家の冷凍庫には謎の生竹がいっぱい。斜め切りした竹を節のところで切ったもので、凍らせてビールを入れて使う。スッキリしてとても美味しい。
言うまでもなく試斬の副産物である。
斬れすぎ?!!
ちなみに、生竹はまずもってまったく切れない硬くてよくしなる素材であり、斬れるなら普通達人と言われても良い。
かの現代鋼の剣は確かに無茶苦茶斬れるのだが鴉野が使った印象としてはちと肘と手首にガツンとくる。鴉野が使う限りオーバーキルなので普通の刀のほうが使いやすい。
なぜオーバーキルって?
なぜって言われてもなぁ。
下手ってことは、その。生竹とか斬らせてもらえないわけだね。うん。
竹ってめっちゃ硬い。そしてしなる。力づくで斬ると刀がぐにゃり。
鴉野が使っていた剣は抜刀用の安物とは言え斬れる剣だし。
変なもんを斬らせたらプレス機で直す父という実に笑えない結果になる。
というかプレス機の精度すげえ。
へたくそはよくて巻き藁だが、この巻き藁も高いし、後始末が大変なのである。というか、斬らせてもらったことないし。
では鴉野が斬らせてもらうものというと、『紙管』である。
工業用の紙の管のことを言う。これをバッサリと斬るのだが意外と難しい。
紙は軽いので正確に斬らないとぶっ飛んで行って斬れない。
しかも意外と硬いので半分もザックリ行かないのだ。かなり苦戦する。
鴉野が件の刀を使ってもオーバーキルでけがをする。
というか、紙を斬るなら普通の刀のほうが良く斬れる。
普通に肘や手首痛いし。
鴉野の腕で斬れるのは所詮サラ○ラップの芯までである。
それも怖い。
サランラップの芯って斜めに斬れないとね。
すっぽーんと飛んで行くのである。
そして刀で斬る限りで言えばくっそ硬い。
取敢えず試斬する対象として質量が無いという特徴から、スピードが乗らない、乗っても角度が悪い斬撃は斬れる前にサランラップの芯が吹っ飛んでいく。試斬の台は棒の上に紙管を置くだけの構造なのでこうなるのだ。
しかしなんでサランラップの芯?
紙管といえど値段が張るから道場関係者の奥様方からもらうからである。
せこい。せこいが仕方ないのである。予算の都合である。
これを台になる棒の上に丁寧におく。そして斬る。風に吹かれてころんころん。
笑っちゃうだろ? 体育館の隙間風で飛んで行くんだ。
「ちょ。まって」
おむすび。ころころ。すってんてん。
この場合おむすびじゃなくて紙のかけらであり、民話と違ってお土産やお礼は期待できない。
よしんば斬る段階になっても腕を振れば腕が動く風圧で飛ぶ。
斬ってないじゃん?!
仕方ないだろ。
へたくそってそういうもんなんだ!
そして剣風でも飛ぶ。
さらにヒットしても角度が悪いと斬れずに飛ぶ。
風より早いスピードと正確さが必要なのだ。
まぁ。サランラップの芯は良い。
調達に困ってコピー紙を丸めてセロテープで止めたものよりは。
風で飛ぶ。練習どころじゃない。
そして、これが『広告の紙』だった日には。
台座に乗せることすらできずにころんころん。
剣をおっかなびっくり振り上げてコロン。
振り下ろしてコロン。
コロンコロンで全然斬れない。
「あ、あっちいった」
「ちょ。ちょ。拾え拾え」
紙は意外と頑丈で、極限まで平面化した紙は透けるようになり、優秀なフィルム素材に化けるらしい。
とにもかくにも、こんな紙の筒を斬るなら手にガツンとくる鉄を斬る剣など必要がない。
物事は適材適所が良いのであり、なんでも斬れるということはかえって使いにくいこともある。
窓口を広げるために使うものもあるし、専門的なものも必要で、使い捨てにされることもあればそうでないこともある。
人によって向き不向きもある。
道具に翻り、使いにくい人も、使いやすい人もいる。
それでもあなたを必要とする人は。きっといる。
と、思う。
責任はとれん。
馬鹿に見えるときほど真剣な時はない。
「まって~! 紙さん待って~!」
紙管ころりん。
すってんてん。




