死神さん
死神という奴がいると思うときがある。
別に『ああ。しぬな~』っていうのではない。その程度なら何度か誰もが体験するであろう。程度の差こそあれ。
幸運にもまったく体験しなくても死ぬときは人間死ぬし、場合によっては死んだという自覚もなく死ねるかもしれない。
鴉野は恥ずかしながらこういった体験があったことをスコンと忘れていた。
剣士が剣を合わせるとき、ボクサーが強敵と向かい合うとき。あるいは芸人がふと自らの芸を見てしまうときにこういったことは発生する。
大いに失敗する。負ける。死ぬ。
それがたのしくて仕方ないのだ。好きだからどうにもならんのだ。そして今その困難に相対する喜びと、死神をまだ見ていないことに笑いが止まらないのである。
嘲うのではなく、笑う。そして剣の握りを握って相対する。
落語家が扇子を床にたたきつけ、空手家が道場に礼をする。
作家がまだ見ぬ物語を己の手で紡ぎ、剣士が残心を残す。
まだ見ぬ世界と物語が動くとき、死神は束の間見えない顔を見せる。
死神はそっと我々に微笑み、そして我々の記憶から消え去っていく。




