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無笑 ~正月から自称ヤクザが怒鳴り込んでくる程度にはどこにでもある日常編~  作者: 鴉野 兄貴


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襲撃 襲撃 また襲撃 ~肩が抜けても殴り続け、腰が抜けてもおねえちゃんに軽口を放つ日常~ 『生きていて良かった』

 剣道では相手に勝利した際、ガッツポーズをとってはいけない。敗者に対する敬意を欠く。また品位に欠けるとされる。


 剣道はただ敵を倒す術ではなく、またスポーツでもない。


 ゆえにまだオリンピックの種目になっていないし、柔道と違って外国の人間の意見をもとにまったく別物になったりしていない。換骨奪胎された伝統芸能というのはとても悲しいものがある。


 とはいえ、鴉野は大山倍達を否定する気は全くない。


 彼が人間を殴るフルコンタクトというわかりやすい形で世界に広めなければ空手はもっとマイナーだっただろうし。彼の弟子が空手をオリンピック種目にしようとしているのもまぁ理解できなくもないのだ。

 親父曰く『非常に困った男だったらしい』けど。知っているのか雷電。


 鴉野がある方の武術エッセイの感想欄を見たとき、こういう意見を見た。

『喜んでくれるほうが良い。強い俺を倒した喜びに震えているんだと溜飲が下がる。逆に当然のように勝たれるほうが辛い』

 こういう方は本当に強い方なんだと思う。自分の強さに絶対の自信を持っている。そして敗北を素直に受け入れ、新たな糧にできる。


 基本的に最初いじめられていた状態から鍛えて強くなった人間というものは本質的な弱さを抱えている。どんなに心身を鍛え、強くなれても自分が負けることが許せない。なぜなら負けるとかつてのように蹂躙されることがよくわかっているからだ。だから鍛えるし、傲慢な強者に我慢がならない。


 弱者から見て『傲慢』と捉えられることなど『強者』が感じることはないのに。


 鴉野は以前、『自分の手を汚さずに平和と言える人間は苛める側の人間だった奴』と発言しているが、本来の強者というものはそもそも勝っているのが普通なのだ。手を汚している自覚もない。他人に汚させるしそもそも現場を見ない。ゆえに、負ける人間の心情は本質的に理解できないものの、負けた場合は素直に相手を認めるしその要因を次に生かしてしまう。


 こんな人間にはいくら体を鍛えても無駄だと鴉野は思わざるを得ない。スタート位置からして違うのだから。


 さて、前話で鴉野は顔面に全治三か月。完治までに半年かかる怪我。加えて複数の殴打を受けて病院に搬送された過去を明かした。ちなみにこの時の決め技は体重でのしかかっての首絞め、そのまま頭を何度も地面のコンクリートに打ち付けるという実に格闘技と縁のない技であった。


 この時の鴉野の心情を少々再現してみよう。

 必死で抵抗する鴉野だが店の奥の暗がりに引きずりこまれ、押し倒された挙句首を絞められる。

 必死で噛みついて脱出を図ろうとするが、相手もそれを防ぐ。

 ぐいぐいと締め上げる指はすさまじいし、警察の後の調書によると鴉野のマフラーで締め上げられていたらしい。たぶん両方なんだろう。


「弁償するか~~~~!」


 鴉野の必死の抵抗で服を破られたとキレる男。店内禁煙を理由としてトラブルになった二人。理不尽にもほどがあるが、彼が鴉野の命を奪おうとする理由は『服を破られたから』である。


 人間なんてこんなもんである。マジで。


 必死で抵抗するも酸素がどんどんなくなっていくのがわかるし、脳みそがどんどん意識を手放していくのもわかる。何より体重差が圧倒的で、馬乗りになった男を跳ね返すブリッジ力は今の鴉野には存在しない。そもそも殴り合いで何度か蹴りを叩き込めただけ大殊勲といっていい。


 後から思ったが喧嘩で蹴りを何度も使えるのは蹴りが上手い証拠だ。多少は久さんやセンセの指導も役立ったのだろう。蹴りは威力が高いがそれより敵を遠ざける効果を推したい。鴉野の蹴りは後ろ回し蹴りから膝を転換させ、途中で内回し蹴り気味になって膝や足の甲をぶつけるという見極めにくい技であり、急に角度が上がる。股関節が固くて後ろ回し蹴りが上がらない鴉野の一応独自の工夫だが親父に言わせると素直に後ろ蹴りを撃ったほうがいいらしい。そう思う。


 しかし、こういった小細工はポイントを取るならまだしも怒り狂う巨漢には役立たないものである。実際問題、巨漢は体格で路地に押し潰して、相手を倒したら締め上げるだけで良い。今の鴉野と同じだ。


 ああ。死ぬかもなぁ。


 しかしそれでもいいかもしれない。鴉野はそう思わざるを得なかった。


 収入は一生上がらない。


 鴉野は収入が大きい床下業に一時就いていたが、あらゆることに幻滅して収入にこだわらなくなってしまった。少なくとも表面上は。


 結果。鴉野は執筆という趣味のために収入がない代わりに安定した職場を選んだのである。


『給料、一生上がらないけどいいの? うちは弱小だよ』

『かまいません』


 即答だった。

 収入を選ばなかった。ゆえに収入を必要とする異性。家庭を持とうとも思わなかった。だから愛する相手もいない。


 家族はいるにはいるが、父はその時もう倒れていたし、母はまぁ悲しむだろうが人間いつか死ぬものだ。弟の子供や姉に被害が及ばないだけ幸いというか、鴉野が死ねば母に遺産相続されてさらに二人に遺産相続される。


 そんなに困らないじゃないか。むしろうんこ製造機が減る。


『あ。明日更新できないや』そうも思った。


 だが、次の瞬間こうも思ったと告白する。


『まぁいいや。たぶん読者さんはきっともっと面白い小説を見つけるよ。その程度のものしか書いていないもの』


 人間はいつまでも悲しみ続ける器用な生き物じゃない。いつか立ち上がって笑って新しい喜びを見つける生き物だと思う。悔しくはあるが人間死ぬときは死ぬのだし致し方ない。鴉野が普段読者のためという言動はどうなるのだと言いたいが、死ぬ間際の思考なので鴉野の本音なのだろう。


 もちろんこんな服が破れたとかワケのわからない理由で蹂躙され、自分の店の片隅で殺されるのは嫌だし腹が立つ。でも、仕方ない。鴉野の人生は他人から見れば『とても面白い』ものだ。こんな死に様は嘲笑するにはもってこいだし、実際そうなのだろう。

 自分でも自らの不幸を楽しい話にすれば、不幸な人が一時の不幸を忘れて幸せの一助になるかもしれないと思って『無笑』書いているし。

 自分自身は何をやっても学習障害のごとく、実際学習障害の気があるのかもしれないが全く違う行動を起こして言われたとおりに覚えられない。あるいは先ほど教えたことと違うこと言って莫迦にしているのではないかという妄想を抑えられないことがある。きっとこの死は『面白い』ものになるだろう。


 お客さんも嫌な奴が死んでせいせいしたと笑うだろうし良かった良かった。


 理不尽に全力で抗う。時には暴力も使う。あるいは筆もとる。でも勝てないこともあるし、蹂躙されることもある。

 願わくばこやつが殺人犯として検挙されることだが、お客さんは全力スルーして逃げていくし、たぶん目撃者ゼロ扱いのまま自殺扱いにされるんだろう。


 あの警察、厄介ごと嫌いだしなぁ。


「弁償するかぁ?! するなら離してやる!」


『死んでもヤダね』


 普段の鴉野ならそう答えただろう。


 ぶっちゃけ。生きていて面白いことなどない。

 屈辱を受け続ける。蹂躙される。バカにされる。

 それをもとに嘲笑われる。


 唯一の救いは自分の不幸を冗談にする。

 そんな能力が鴉野には存在していたという実に皮肉で笑えない話である。


 ぶっちゃけ、執筆して印税生活するくらいなら金を直接現金でもらったほうがいい。鴉野にとっての執筆はその程度のものだったのだ。


 ただ、それを行うことで勇気をだせる人がいるなら。

 きれいごとを言わずに済むならそれを行うことで誰かに笑ってもらえ、『こいつはすごい』と少しでも褒められるなら。


 というか、死ねば醜く何度もアクセスを確認して『今日は面白くなかったんだろう』とか言って一日を過ごさずに済む。あれは空しい。それが全部なくなる。大変めでたいではないか。

 鴉野が死んで喜ぶ人間のほうが、死んで泣く人間より圧倒的に多いと鴉野は断言できる。鴉野の親戚の子供は少々は泣いてくれるかもだが。


 他人から見た鴉野。ネットの知り合いなんて『記号』でしかない。今の人間は実生活のつながりのある人間よりネットの知り合いのほうが多いのではないだろうか。鴉野のように仕事でかかわる人以外と話さない人間は特に。

それが消えたってどうってことはない。また補完されるだけだ。


 ああ。


 鴉野は失職して腐っていた時代、この会社にアルバイトとして入ったことを思い出していた。

 鳴らなくなった自転車のベルを直す場合、バネを替えたり歯車を替えればいい。鴉野がいなくなっても誰かがその仕事をする。そういうように人を教えたと思う。


 今はマネージャー兼社長代行をやっている鴉野の恩人が何気なくベルを直すことを鴉野に教え、十分かかりで直せたとき鴉野は大喜びした。何もできない。誰にも必要とされていない。誰にも相手にされない。


 そう思っていたのにできるじゃないか。

 自分でも世の中の役に立てるじゃないかと思い出したのだから。


「たかが自転車のベル直した程度でここまで喜べる奴は初めて見た」


 現マネージャーはぼやいたが、鴉野が初めて本当の意味での喜びを知った瞬間であったことを思い出した。

 思えば今の仕事に就きたいって思ったのも、きっとこの仕事なら他人に迷惑をかけてお金を稼がずに済むからと思ったからだったっけ。


 やだな。死んだら仕事できないや。涙があふれた。


「払います。払います」


 何度もコンクリートに頭をぶつけられ、顔面を何度も殴打されながら鴉野は告げた。


 鴉野がなぜこの駄文を書くことができたのかというと、そのままレジから金を出すふりをして即百当番通報、半分どころか意識がアレな状態なのに場所を告げ、相手の個人情報を要点をついて言ってのけ、暴行を受けたと説明したからである。卑怯だとは思うが、この程度は許してほしい。


 その後、再現しなければならないと言われ、警察署に訪れた鴉野は大笑いしていた。


 正直、男に組み付かれたり押し倒される再現は恐怖を思い出す。それを忘れるように大笑いしていた。


「笑うな?! 鴉野君?! ふざけてる場合じゃないだろ?! 再現なんだから!」

「だってさ~! 男同士でこんなことして……あはは。超おかしい」


 『無敵の人』とは一種の破滅願望を持つ人間であり、死ぬまで戦える人間だ。だが、鴉野はおそらく『無敵の人』にはギリギリでならずに済みそうだ。


 弱くたっていいと思う。悲しくたっていいと思う。


 そもそも強い人だって『弱い』。


 自分に勝ったことを喜んでもらえないと悔しく思う気持ちは美しい。

 弱者を顧みない傲慢さを呪う想いも理解できる。


 しかし、どちらもある種の破滅に向かう考えではないか。


 生死なんていうものは『人生で一度しかないすごいイベント』なのだからなんの反応もないなんて嫌なものだ。その発現の仕方が違うだけと言わざるを得ない。泣かれるのも笑われるのも死んでリアクションがほしいだけ。


 負けても勝っても命を懸けてかまってもらえることを目指す。人間は最後は一人で死ぬのに。


 一人で死ぬからこそ、誰かに悲しんでもらいたい。


 最悪、嘲笑われるのも構わない。無関心よりずっといいと。


 鴉野は弱いままの自分でいい。


 弱いままの人間が嫌いじゃない。それでいいと思っている。


 だから笑う。自分の不幸だって笑って見せる。


 自分の不幸で笑う人がいるならいくらでもネタにする。


『生きていて良かった』


 鴉野は無敵にはなれないらしい。


(襲撃 襲撃 また襲撃 ~肩が抜けても殴り続け、腰が抜けてもおねえちゃんに軽口を放つ日常~ おしまい)

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